第314話:重い選択

 後ろに居るフラウを、更にボクの体で隠すように少し移動した。でも囚われていた時とは違って、ふわりとした服を着ている彼女を全て目隠しすることが出来ない。


「な──何を馬鹿な。どうしてそんなことを言い出すんです。この間だって、今だって、フラウを送り出してくれるつもりだったんでしょう」


 そんなことが出来るはずはない。という論理は成り立たなかった。目の前にある現状でさえ説明も理解も出来ないことに予測や推論を立てたところで、それは当てずっぽうでしかない。


「そうだ。しかし思いが変わった。優れた男の肉体でなければと、俺も思い込みすぎていた」

「当面を過ごすだけなら、華奢な女性でも、フラウでも構わないと?」

「この木偶に替えて、俺の意識の受け皿になる。マイルズ伯のようにはいかんがな」


 戦場でリマデス卿が肉体を乗っ取った人物のうち、マイルズ伯だけは生還した。

 ユーニア子爵が確保していたこの人形の体に、額冠を戻したからだ。それは王城に戻ってからのことなので、ボクがその場面を見たわけではないけれど。


 それとは違うと。肉体の移動を自由にしていた額冠は失われ、リマデス卿としての根本みたいなものらしい人形に限界が来ている。

 その人形の代替品として、フラウの体を使う。そうなればこの人形のように限界が来るまで、ずっとそのままということだ。


「そんな。折れたからって、斧の柄を替えるのとは違うんですよ」

「似たようなものだ、俺に取っては。そもそもが生きていないこの体よりも、使い勝手は随分とましだろうさ」


 ボクは怒っているのか焦っているのか、すぐに次の言葉を発することが出来なかった。

 失礼極まりない、身勝手な話だと思う。しかしどうにかしなければ、リマデス卿の命が潰えてしまう。


 何から表現したものか、気が急くばかりで具体的な言葉が湧いてこない。


「……移動できるなら、今のその人形みたいな物を探してきますよ」

「駄目だ。これは入れ物として作られた、特別性だ。それにこれは受け入れられるだけで何の補助もない。俺の意識のほうが、それでは持たん」


 生きた人間でないと、駄目だということか。となるとリマデス卿の命を取るか、代わりになる誰かの命を取るかの話になる。


「フラウでなければいけない、ということではないでしょう?」

「それはそうだ。しかし最も後腐れのない選択だと思うがな」

「後腐れがって──とにかくフラウの体を使うのは駄目です」


 ボクにしては、きっぱり断れたと思う。

 リマデス卿も「ほう、そうか」と納得してくれたように見えた。


「どうしてそんなに庇う」

「どうして? あなたには何度も言っているじゃないですか。ボクはフラウが好きで、これからずっと傍に居たいんです」


 フラウの手が、ボクの服をぎゅっと握るのが分かった。

 自分自身のことだけれど、意識のなかった彼女には何の話だか分からないと思う。でも全く以て歓迎すべき話でないことくらいは通じているだろう。


 彼女の頭に今あることそのものは分からない。どんな思いで服を掴んでいるのかも分からない。

 でも少なからず、ボクを頼ってくれていることは間違いない。


 その気持ちが、その手が、ボクに向けられなくなるなんて嫌だ。


「確かに何度か聞いた。恥ずかしげもなく、よく言う」


 あらためてそう言われると、顔が熱くなる。でも怯まない。そんなことでは。


「もう一度聞く。お前はフラウを、どうする気だ」

「この場で答えきれることではないでしょう。何かある度に、フラウと話し合います。それでも無理なら、団長たちだって助けてくれるはずです」


 かくかくとした動きで、ため息が吐かれた。やれやれと、呆れている風に。


「分かっていないな。フラウは俺が作り上げた、人を誑かすための装置だ。技術として毒を使えるとか、男を果てさせるとか、そういう話以前の問題だ」

「──仰る意味が、よく分かりません」


 ボクがフラウに抱く気持ちを前に、聞きたくない話ではある。そんな過去なんて、もうなかったことでいいじゃないかと思う部分もある。

 リマデス卿が何を言わんとしているのか、分からないのは本当だ。でも少なくとも、そういう話を無視することは、今のフラウを無視することだ。


 フラウが自分から忘れようと言うなら、ボクもそうする。でもそうでない限り、ボクは彼女の全てを知って受け入れたい。


「フラウに取って、人にも物にも区別はない。目的のために利用することしか考えていない。強いて違うとすれば、話して理解するかどうかだけだ」


 生まれてからずっと育てたのではないにしても、言うようにフラウが成長するほとんどを見てきたリマデス卿。

 曲がりなりにも、それを話にだけでなく知っているボクとしては、その弁に実際以上の説得力を感じてしまう。


「いいえ。フラウはボクと、一緒に居たいと言ってくれました。ずっと傍に居ると」

「だからそれがそうだと言っている。フラウは欺こうと考えて欺いているのではない。指示された目的のために、自身を生かすために、必要な方向へ話を向けるだけだ。それが真実であろうと偽りであろうと、フラウには関係がない」


 フラウはボクの背中に、顔を付けたらしい。聞きたくない話から、身を隠そうとしているのだろうか。

 それともリマデス卿の言う、欺く手法として自然にしていることなのか。


「自分の目的のためにはと考えれば、それは全て真実ということですか」

「理解が早いじゃないか」


 同意を得たとばかりに、卿は満足したような落ち着いた声を発した。いや声質は変わらずに、乾いているけれど。


 言っていることは分かる。それが全くのでまかせではなく、或いはれっきとした事実であるのかもしれない。


「それがお前のような、自分をはっきりと持っていないような人間と共に居るなど、自殺行為だ。お互いに取ってな」


 ボクは何と答えたいのか。何を答えたいのか。考えがまとまらなかった。

 その間を納得していると見たのか、リマデス卿は諭すように言う。


「フラウがお前に合わせて、考えを変えることは出来ん。それは自分の価値そのものを変えることだからだ。であれば逆も然り」

「そんなことは、やってみなくちゃ──」


 言いかけて、身構える。

 疲れて座り込んだ風のリマデス卿。動きも速やかでない人形の体から、強烈な殺気を感じた。


「分かるのだ。やってみるまでもない。俺が王家を許すことなどないように、そうと決まったものを変えることなど出来はしない」

「だからって──」

「だから俺が、フラウを取り込む。そこに居ても望みのない以上は、消えたが本人のためというものだ」


 居る意味がないから、消えるしかない?

 そんな馬鹿な。フラウ自身でないリマデス卿に、そこまで分かるわけがない。もしフラウが自分でそう言ったって、ボクはそれを認めるわけにはいかない。


「もし──あなたの言ったことが、全てその通りだとしても。ボクはそうですかなんて言えませんよ。きっとどうにかしてみせます」


 ボクの返答をどう聞いたのだろう。

 リマデス卿は数拍を黙して、最後に大きく息を吐いた。

 なるほど分かったと受け入れたのか、まだそんなことを言っているのかと呆れたのか。

 どちらであってもボクの思いは変わらない。でも出来れば、ボクたちを知る人には納得してほしい。


「ならば……」


 卿の右手が、ボクの喉を指す。静かながらにこの場の空気を断ち切るような、重い声が響く。


「今ここで、俺を殺せ。そうでなければ、俺はお前を殺してフラウの体をもらう」

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