第313話:白と黒

「はい、何ですか? ええと、言い忘れていたことがあったかな――」

「いや、俺が聞いてみたいと思ったのだ。戯れだと思ってくれていい」


 世間話というのでもないのだろうけれど。まあ何でもいい。答えられるものなら答えるし、急ぐことなんて今のボクには何もない。


「質問の前に、俺のことだ。これを聞いて、お前がどう思うのか。それを最後に聞く」


 リマデス卿のこと。確かにユヴァ王女に関してや、レリクタに関して卿の関わったことを知っているだけだ。それもたぶん、ほんの一部に過ぎないのだろう。

 自分から根掘り葉掘り聞く気はなかったけれど、話してくれるというなら聞いてみたい気持ちはあった。


「俺の命は、もうすぐ尽きる。いや、もう既に尽きている」

「え、ええ?」

「ああ、それも違うな。俺は八年前に死んでいる」


 八年も前というのはともかく、そうなのだろうとは思っていた。でないと、その体の説明がつかない。

 それにしたって、人形に意識を移しているというのは信じ難いけれど。


「それでその体に──」

「いや、逆だ。この体を得ることが目的だった。そうしたら死んだ。しかしそれで構わなかった」

「そう、ですか」


 額冠を使って、神出鬼没の存在になれること。優れた肉体を乗っ取って、その力を自分の物に出来ること。

 そのために命をなげうった。

 驚いたようなことを言っているけれど、本当にその程度だったのだろう。むしろそうなればいいと、期待していたのかもしれない。


 ユヴァ王女の仇を討つために、本当に手段を選ばない人だ。常軌を逸していて、理解など──出来るかもしれない。

 フラウを救う方法が唯一それしかないというのなら、ボクも迷わない。

 でもそうしたところでフラウは救えないのなら、ただ仇討ちのためなら、ボクはどうするだろう。


「この体も、永遠とはいかなくてな。もう期限は来ている。何とか終わりをごまかしているが、それにも限界がある」

「他の体を探すとか、何か方法があるのでは……」


 そう言うとリマデス卿は少し顔を上げて、にやと笑った。何とも不吉な影を持つ笑みだ。


「そうだな、それを俺も考えた」


 ところで、と脈絡など完全に無視して話題が転換された。

 新しい体に心当たりなんてもちろんないけれど、探してくれとか言うなら吝かではないのに。


「お前はスーラの子で間違いないのだな」

「──ええ、そうです。お知り合いですか」


 どうしてそんな話を、ここでするのか。

 どんな縁故があったとしても、リマデス卿とボク個人との間には関わらないはずだ。

 それにどうして、わざわざミリア隊長の前で二度までも言うのか。


「知り合いではあるな。何度も取り引きをした。胸糞の悪い女だ、あれだけ流通に強くなければどこかで殺していたかもしれん」

「そうですか、ボクには何とも言えませんが。それが質問ですか?」


 あえて冷たい態度にしたつもりはない。ボクは親子の縁など最初からないものだと思っているし、あちらはあちらでボクにフォローしてもらいたいとも思わないだろう。

 その立場で、言えることなんて何もない。


「いや、確認しただけだ」


 卿の両肘は両膝に乗せられて、手首はだらんと力が抜けている。

 前のめりの姿勢と見えなくもないけれど、疲れきっていると見たほうが正しいように思える。

 人形の体に纏われた雰囲気を、普通の人の体と同じように見ていいのか分からないけれど。


「お前、フラウをどうする気だ」


 少しの沈黙のあと、おもむろに言った。卿はさっきの笑みを残していて、嘲笑としかボクには見えない。


「──それが質問ですか」

「ああ、そうだ」


 これも何か他の質問をする前の、確認事項であれば良かったのに。

 ボクは何を聞かれたっていい。でも今のいくつかの手順を踏まえて、これから為される問答がフラウに取って不快でないはずがない。


 …………というのは建て前だ。

 不快に思ってくれなかったら。やはりリマデス卿の傍に居るべきだと思われたら。

 そんなことを心配していた。


「リンデを躾けたのは俺だと言ったが、フラウもそうだ。お前はそれを、俺の都合を押し付けたと言うのだろう。しかし親とは、そもそもそういうものだ」

「親?」

「大概の子はそうだろう。パン職人の親がそうしたいと思うから、パン職人になる。無頼の人間が捨て子を育てれば、それが貴族の子であっても無頼に育つ」


 それが嫌だと、家を飛び出す子は居るだろう。

 でも卿は、その話をしていない。大概の子はと除外しているし、フラウもボクも家に該当する場所を出ていない。

 いやボクは最終的に飛び出したけれども、パン職人で言えば一応は一人前と呼ばれるくらいまでの期間を過ごしている。


「俺の取り引きでも、お前の姿があった。お前は通行手形で、口を利くこともなかった」

「そこまで関わっていたとは、知りませんでした」

「まあ俺は最初か最後に、物の確認をすることがあったくらいだ。お前は知らんだろうよ」


 ここまではまだ、世間話程度だ。単なる思い出話とでも言おうか、そこら辺りを聞くから思い出せよというところだろう。


「お前は白い。素性は汚れていても、お前自身は何も知らん。何をする知識もない。だから当然、判断基準もなければその技術もない」


 あの人を、色に例えれば白だ。

 そう言えば、普通は褒め言葉だろう。純粋で優しい性格の、おおらかな人。そんな印象を受ける。

 でも卿が言ったのは、もちろんそんな意味ではない。

 ボクを絵を描くカンバスに見立てた時、そこに何も載っていないと言ったのだ。


 その指摘を、ボクは反論出来ない。

 それはボクだって、何も考えずに生きてきたわけではない。ミーティアキトノの団員になってからは、ある程度の経験もある。

 でも、これがそうだと言えるようなものは何もない。

 カンバスだってその辺に置いておけば、風やら何やらで多少の汚れくらいは付くものだ。

 所詮は、その程度に過ぎない。


「フラウは黒い。血の固まった黒だろうし、人の腹の黒さでもあるだろう。何よりその中で、フラウ自身は染まることがない。それが俺の与えた黒さだ」


 表情は嘲っていても、声には抑揚がなかった。人形の体のせいであることを差し引いても、意識してそうしているのだと分かるくらいに。


 それは質問の内容だけを聞いてほしいからだろうか。

 単に感情を抑えるためだろうか。

 それともまた他に意図があるのかもしれない。


「白でも黒でも、そこに優劣があるとかはこの際どうでもいい。人は絵の具ではないのでな、混ぜれば灰色になるというものでもないという話だ」

「海の魚と川の魚は、共存出来ないと?」


 どうでも良くはないだろう。フラウは客車を引く術を知っているエコで、ボクは引かれる身。

 ボクが客車であればまだいいのだけれど、単なる板切れか何かではボロボロに擦り切れるだけだ。


 それをボクが無視して例えたので、そこは訂正したいらしい。卿は「ふむ」と少し考える。


「カンバスに酸をかければ、互いに朽ち果てるのみだ」


 ああ……。

 ボクを白と。フラウを黒と言った意味を、端的に示している。

 この前提を出したとなれば、続く言葉は分かりきっている。


「お前がフラウの傍に居たところで、互いに疲れ果てるだけだ。それをどうする気だ?」

「……そうだとして、どうしろと言うんです」


 聞くべきではない。でも聞かずに逃げてはいけないと思った。そうしてしまえば、フラウはまたこの人の呪縛に陥ってしまう。


「お前はどうする必要もない。俺がフラウの体をもらう」

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