第303話:執事のお仕事ー17

 首都の北端。そこは王城を守るのとは別に、内壁がある。高さはそれほどでないがやはり強固で、墓地と市街地とを隔てている。


 建てたばかりの部下たちの墓へ参るために、執事はそこへ足を運んだ。警備隊の隊員たちには家族があるが、影たちにはない。墓を作っても誰も参らないでは、穏やかに眠れというのも無理がある。


 何度来れるか分かりませんが、まあ一度くらいは。


 部下が死ぬ度に、執事はそう考えていた。だのにいつも死ぬのは部下が先で、自身は生き延びている。

 適所に配置することに、生命の安全は考慮していない。それは執事自身に対しても同じであったが、結果はこうだ。


 隣を歩く女性に視線を送ると、まだ包帯が厳重に巻かれている腕が痛々しい。彼女ももう、影として働くことは難しい。


「おや、ウナムですね」

「そのようです」


 向かう墓の前に、巨岩が落ちているようだった。見間違うことはないが、印象としてやはりそう思う。


「ウナム。ご苦労さまですね」

「──ああ、セクサであるか」


 ウナムは立ち上がって執事に向かい、腰を折った。


「主役は彼らです。気にせずと良いですよ」


 片手で答えると、ウナムは頷いてまた一つの墓の前に座り込む。その木の墓標は、ノーベンの墓だ。


 彼らが兄弟であることは聞いていた。しかしそれ以外の素性は、全く知らない。レリクタの者に聞いても、最初にラシャの方から来た旨を話した以外は何も分からなかった。


 誠心誠意、働いてくれる気ではあるようですから。何者でも構いませんがね。


 掃除の一つもしようと道具を持参していたが、既に終えられていた。葉っぱ一枚落ちてはなく、雑草の一本も生えていない。

 庭師としても、彼は優秀だった。


 北門は開け放たれていて、その向こうに広がる森もよく見えた。西側と比べれば樹木の密度は低いが、ガルダの森から続いている。

 墓地を抜けた風が、その森へと駆け込んでいく。もうすぐ盛夏ではあるが、大陸の北西に位置するハウジアではそれほど暑くもならない。


 片手で器用に、セクサは墓石を磨いていた。以前の手早さは望めずとも、最低限のことなら自分で出来そうだった。


「随分と急に人数が減ったものだが、セクサはどうなるのだ?」


 兄弟と話し終えたのか、邪魔者が来たために中断したのか、ウナムは座ったまま尋ねた。


「私はこのまま、屋敷に置いていただけることとなりました」

「ほう、それは良かった。大丈夫だ、気にするな。戦闘などは、セクサの分まで拙が働こうぞ」


 特にこれという表情を浮かべず、それでも「お気遣いいただいて、ありがとうございます」とセクサは礼を言った。


「寂しくなくて良いのは本心だが、意外でもあるな」


 また問われたセクサは、答えても良いかという視線を執事に送る。

 気恥ずかしいというか何というか、しかし内緒にしておくことも不可能だ。セクサに返答はせず、代わりに執事は自分で説明することにした。


「言う通り、戦闘には参加させません。それどころか、侍女としてもメイドとしてもなかなか難しいと判断しました」

「ほう?」


 絡んでもいない咳を払い、執事は極力に冷静を保って言う。


「ゆっくりとなら何でも出来るようですから、私の身の回りの世話をしてもらうことになりました。言ったところで私も歳ですからね。そうしてもらえると助かるのです」

「──ほう?」


 二度目の相槌は、何やら一度目と色味が違っていたように思えた。しかしそれを咎めて、自ら話題を広げるような愚は犯さない。


「そうか、良かったな。セクサ、念願の奥方だ」

「ありがとうございます」

「な……ごほっごほっ」


 執事の身で婚姻など出来ない。それは社会的常識で事実であったし、執事もそうと認めた覚えはない。

 セクサがそのような感情を持っていたことでさえ、執事には寝耳に水だったのだ。


 けれどもそれを否定しようとして、どんな言葉を用いれば良いか思いつかなかった。発言を咳き込んでごまかすなど愚の骨頂だと考えていたが、訂正しなければならない。

 こういう場合、咳は勝手に出るのだ。


「どうして落としたのだ?」

「ただ普通に、お慕いしていると」

「はあん?」


 今度は疑念のこもった声だった。そういう話にもっとも疎いと思っていたウナムが、どうしてこうまで鋭いのか。

 執事は呆れと焦りとを、同時に味わっていた。


 鎮痛や麻酔の香が切れて、セクサが目を覚ました夜。それは起こった。

 そう。執事に取って、それは一つの事件が起こったのだ。


 と言っても、ややこしい話ではなかった。セクサの言っていることも嘘ではない。「普通に」という部分を除けば。


 セクサはまだ血の滲む包帯が解けそうになるのも構わず、執事に迫った。このまま行けば自分は放逐されるだろうから、気持ちだけは伝えておきたいと。


 驚きつつもセクサを宥め、気持ちは分かったから興奮しないように。せめてもう少し怪我が良くなってから、その話をしようと執事は説得した。


 しかしセクサは止まらない。出血が増すのも構わずに詰め寄り、語気は強まった。


「シャナルさまのお役に立って死ぬつもりでしたのに、それであれば本望でしたのに」


 だらしなくも生き残ってしまっては、どう生きていけば良いか分からない。であれば恥ずかしいついでに気持ちを伝え、あわよくば傍に置いてほしいと頼み込んだ。


 執事の衣服を脱がせながら。


 女性に命をかけて押し倒され、その意のままになってしまったなど、言えるはずがない。


「がははっ! まあ良い。何にしても、セクサの顔は見られるということだ」

「ええ。これからもよろしくお願いします」


 いやはや……。

 尋問の手が緩められて、執事は安堵した。そこへまたウナムは「しかし──」と言葉を続ける。

 執事はまた、背筋に力が入った。


「クアトとオクティアまで居なくなるとはな」

「ああ──その件ですか」

「ん?」

「いえ、何でも」


 その二人には、辺境伯の額冠を盗み出すよう指示をした。

 しかし帰ってこなかった。


 オクティアについては、リマデスが軟禁されている屋敷に現れたと報告があった。クアトはどこへ消えたものか、消息が知れない。

 額冠が何者かに盗まれたのは間違いないようなので、となればそれはクアトが持っているのだろうか。


 どちらにせよ、態勢を立て直す必要があった。額冠の捜索は、当面ドゥオに任せることになる。

 しかしそれでは手が足るまいし、主人の警護や今後の行動にも人が足りない。


 やれやれ、まだまだ忙しいですね。


「それで、実際にはどう迫ったのだ?」

「答えてもよろしいでしょうか」

「遠慮していただきなさい」

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