第279話:執事のお仕事ー16

「ノーベン、あなたが行きなさい」

「僕だね。大丈夫、任せて」


 巨漢のギール。あれは執事の部下たちといえども、難儀をする相手だろう。

 戦闘においての上策は、勝てる相手とだけ戦うことだ。その理屈でいけば最も戦闘技術の高いセクサと、膂力と技術のバランスが良いウナムに任せるのが良い。


 しかし実戦で面倒なのは、いつもこちらの手の内で間に合うだけの状況とは限らない。

 正規の警備隊員でもあったセフテムの亡い今、先頭を大っぴらに任せられるのはセクサだけだ。

 力は強くともその活かし方にやや難のあるノーベンでは、勝敗は五分五分といったところだ。


 ドゥオやクアトでは相性が悪いだろう。直接の戦闘力という面では一つ落ちる、クインやオクティアは考えられない。いよいよとなれば執事自身が穴を埋めることも出来るが、まだその時期ではない。

 ノーベンがうまくやってくれることに、期待するしかなかった。


 しかし獣王化インフィルとは厄介な。話には知っていましたが、これほど気軽に使っていただいては困りものですね。


 獣王化はその肉体に重大なダメージを与えることもあるし、寿命を大幅に縮める。だから気軽にそうしているのでないことは執事も理解していたが、そんなものをわざわざ自分たちの居るこの戦場で使ってくれなくともと愚痴を言いたくなった。


 指示通りにノーベンがセクサのあとを継いで、最も体の大きなギールとの戦闘に入った。

 見たところでは相手の手に得物はない。しかしグローブを握り込むと、先に大きな瘤が出来る。きっとあそこには、殴打の威力を上げるための金属か何かが仕込まれているのだろう。

 体格を見て分かる通りに、ノーベンと同じく力自慢の戦士ということだ。


 そんな分析めいた視線を執事が送っている最中、いきなりギールの拳がノーベンの頬を貫いた。

 いやそれは誇張した表現となってはしまうが、打撃の様子を一言で表せとなると、やはり貫いたとしか言いようのない鋭い一撃だった。


 殴りつけたはずの拳は、次の瞬間には元の位置に戻っている。武器を失った凡百の者が、苦し紛れにやるように振り抜きはしない。

 その攻撃だけをして、執事は確信した。あのギールは強い。決して恵まれた体格だけを武器に、漫然と戦っているのではない。


 ノーベンは今の拳打が、どのようなものであるかを理解しているだろうか。分からないが、少なくとも怯んではいない。

 それが良いのか悪いのか、拳打を警戒しながらも前に出ようとしたところをまた打たれた。半歩下がって、また出ようとしたところを打たれる。

 今度は横方向にも大きく移動を加えて、更に二発をもらった。

 ノーベンの脚が震え、一瞬だが態勢を崩して持ち直した。


 ハンブルとしてはノーベンも巨体ながら、鈍重なほうではない。影たちの中で比べたり、あのキトルたちと比べれば劣るだろうが、それでさえ決定的な弱点となるほどではないはずだ。

 それがどうして、ああも易々と打たれるのか。

 離れて見ている執事でさえ、すぐにそれとは分からなかったくらいだから、当事者のノーベンが気付くのはもっと難しいだろう。


 あのギールは、独特の足捌きをしている。

 一定のリズムに乗って体を揺らし、それが時に変調したかと思うと、次の場所に移動している。まず足を出してから反対の足を送るという普通の足捌きとは、移動の速度が段違いだ。

 同時に移動を始めたとしても相手が先にその場所に居るのだから、わざわざ当たりに行っているようなものだ。


 私ならば、いくらも対処のしようがあるのですが――。


 執事の戦闘に死角はない。強いて言うならば、どの手段も届き得ない遠方に逃げられた時だけがどうしようもないと言える。

 だからここで攻撃しようという位置に相手を誘いさえすれば、あのパンチを受けることなく、どうやって攻撃したのか悟られることなく仕留めることが出来るだろう。


 執事がその立場でありながら戦場に立っている方便は、主人の参謀であり従者としてだ。

 あれほど目立って、実際に多くの目が注がれている戦闘を代わるわけにはいかなかった。


 尚且つ主人の身の安全にも、気を配らなければならない。主人も剣技に優れてはいるが、あくまで他者との比較としてだ。

 どんな時にも誰よりも強い──などという人間はそもそも居ないだろうが──のでない以上、誰かが警護役をしなければならない。

 執事以下、誰にも代わりは居るが、主人の代わりは誰にも出来ない。


「ぎゃんっ!」

「させませんよ」


 また一人、主人に届きそうな牙を払い除けた。

 それで外した視線を戻すと、ノーベンが棒立ちになっている。


 まともに食らいましたか……。


 ギールの姿勢は相変わらず、いつでも攻撃出来る格好に戻っているが、距離が近い。

 どうも脳震盪でも起こしているらしいノーベンに、止めを刺そうというところか。


「俺の拳にここまで耐えたのは、ギールにも居ない」


 それは賛辞なのか、ギルンそのままの顔にある口が、かぱと開かれる。あのギールの最大の武器は拳でなく、牙のようだ。

 肉食獣が獲物を仕留めて、息の根を止めることに遠慮したりはしない。むしろそれで絶対に殺せるという方法を選択する。


 自然の摂理に従うと……しかしね。


 執事は、また一人。部下が失われることに目を細めた。

 心を痛めはしない。そうなることは部下の誰とも話し合って、互いに納得している。

 しかしそれでも同じ目的を持って、同じ時を過ごしてきた誰かが死ぬことに何の感慨も持たないほど人として終わってはいない。


「がううっ!」


 ギールの牙が、ノーベンの首に突き立てられる。太い動脈が破れ、盛大な赤い噴水もそこに生まれた。


「──やっと捕まえたよ」

「ぐうっ!?」


 ノーベンの両腕が、ギールの胸部を一周する。背中で結ばれた右と左の手は、もう離されることがないだろう。

 噛み付いているギールは、ノーベンの腕に加えられる力が死にゆく者のそれでないと気付いたらしい。しかしまともに声を発することが出来ない。


「ぐうっ! ぐうっ!」


 両の拳をノーベンの背中に叩きつけ、脇腹を抱えようともしている。

 しかし無理だ。忍耐強さにかけて、執事は彼よりも優れた人間を見たことがない。


 ギールを締め付ける腕が、段々とその拘束範囲を狭めていく。


「ぐうっ! ぐっ──ぐふうっ! ぐ……」


 噛み付いた牙を抜かせてもらうことすら出来ずに、ギールは急速に命を縮めていった。


「グレーデン!」


 ウナムと戦っているもう一人のギールが、名を呼んだ。確かあちらは族長と呼ばれていたから、腹心に当たるギールだったのだろう。


「槍の一本は、折らせていただきましたよ」


 ギールの胸の骨の砕ける音がした。あばらの数本は、皮膚を突き破って表に出ている。

 それでもノーベンは力を緩めなかった。

 そのまま彼は、最後に自身を抱きしめるように死んでいった。

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