第278話:緊張と弛緩
「ユーニア子爵が押し返したぞ! 続けえっ!」
王軍が息を吹き返した。でも、どう考えても退き時だ。
ユーニア隊が血路を開いたのも、辺境伯軍の視線が全て王軍に向いていたからだ。圧倒的優勢にある軍勢の何割かが、もしも差し向けられていたら。ユーニア子爵は、もうこの場に居ない可能性が高い。
「圧倒的とまでは言えないかもしれないよ」
乱れた息を整えながら、メルエム男爵が言った。一緒に僅かながら後退したのだけれど、男爵はもっと先から逃げてきたのだ。
「確かに員数的にも種族差的にも、辺境伯が有利ではある。しかし追い詰めてはいても、密集陣形で防御に徹した王軍を攻めきれずにいた。陛下の采配によるものか、騎士たちの技量によるものかは分からないが」
「なるほど、それは確かにです」
納得して返事をしたのに、男爵は「でもあれはまずい」とすぐに発言を翻した。
涎を垂らし、ギールの特徴でもある鋭い牙を剥き、抑えた唸り声を誰もが上げている。
それで勢い付いて押し寄せるのでなく、概ね整然と列を成して進む。
ここまでのギールは一応の部隊のようなものを作ってはいたものの、個々の戦闘を見ればそれぞれ適当に相手を選んで戦っていた。
それはむしろそのほうが、ギールの戦闘力の高さを活かせるからだと考えていたのだけれど、今更どうしたというのか。
「部隊行動の訓練までしていたんでしょうか」
「いや、違うと思う。訓練まで施して、ギールもそれに従う気でいたなら、最初からそうしていただろうからね。たぶんだけれど、あれは弓を引き絞っているようなものじゃないだろうか」
誰もが知っている通り、弓は弦を引いてやらなければ矢が飛ばない。それをあのギールたちに当て嵌めるなら、自分で飛び出そうとしている矢を辺境伯が強力な指揮で我慢させている──と?
「
「それはうまい例えだ」
田舎の街に行くと、それほど大きくない野獣や魔獣同士を戦わせる獣闘をやっていることがある。
わざと餌を与えなかったりして闘争心を煽っているそうで、その決着は必ずどちらか、或いは両方の死だ。
試合をさせる前、互いに届かないぎりぎりの距離で睨み合わせるのだけれど、辺境伯はそれを鎖なしでやっている。
「それで男爵は逃げてきたんです?」
「人聞きが悪いな。いやまあ否定もしないけれど、相手が先に勝負を放棄したんだよ」
「イスタムがですか。するとリリックもですね」
あの二人はギールの中でも、幹部的な位置付けにあるのだろう。役職なんかはないだろうけれど、人が集まれば自然とそういう意識はするものだ。
辺境伯があの態勢を作る間を、アイルルフとグレーデンが他にいくらかのギールとで支える。イスタムとリリックは、挑まれた勝負を捨てて指揮下に入った。
「何だか──まるで戦争みたいですね」
「んん? これは確かに反乱という名が付くだろうけれど、規模は完全に戦争だよ」
思わず言ってしまったことを、男爵に答えさせてしまった。
そうじゃない。これを戦争としなかったら、史実に残る有名な戦いのいくらかが戦争のカテゴリから外れてしまう。
だけど、そうじゃないんだ。
「ええと、何ていうか……ここまではギールたちにただのケンカをさせていたみたいというか……」
「ケンカ?」
男爵は顔をあちこちに向けて眺めた。ハンブルの目には遠くの景色なんて全く見えないだろうけれど、ここで起こった成り行きを思い出すためならば十分に意味がある。
「──そうだね。確かに彼らは、ケンカをしていたらしい。それがここに来て、戦争をしようと心積もりを変えた。どうしたというんだろう」
「それはですね──」
なぜだか辺境伯は、ボクたちのことを特別扱いしてくれていたと思う。あれこれ言いはするものの、言い分を全く聞かないということはない。
それがさっきのユーニア隊の乱入を、ボクたちが手伝ったと辺境伯は受け取った。
それでたぶん、ボクたちのことも王家を卑下するのと同列に落としたのじゃないだろうか。
「その予想は、きっと正しいだろうね。しかし、ただ戦うだけならば相手がどう出ようが構わないけれど──」
「ええ。うまく利用されました」
セフテムさんが協力してほしいと言ったのは、たぶん嘘だ。あの人は自分を捨て駒にしても、ユーニア隊が見せ場を作る舞台が整うには時間が足りないと判断した。
だからボクたちに本当の目的とは違う役割りを与えて、辺境伯に接近するように行動を操作した。
ヌラがセフテムさんの狙いを聞いていないと言ったのは本当だろう。でも気付いてはいて、セフテムさんも気付いてくれると確信していたに違いない。
というのは全部想像で、真意はもう知りようがない。でも現実として、どうやら国王の前で手柄を立てたいらしいユーニア隊の思惑通りになっている。
「あれも思惑通りなのか、聞いてみたいところだね」
また話題が、ゆっくりと進んでくるギールたちに戻った。
ユーニア子爵としては、どうせ戦うのに変わりはないから相手がどう出ても同じとでも言うのだろう。さっきの男爵の言葉と同じで。
王軍は前線を支えるアイルルフたちを押している。さっきまでとは、ギールとハンブルの混合比が違う。だからそれが、有利と不利の判断基準にはならない。
目立つのは、やはりユーニア隊。
全身鎧の戦士とウナムが右と左に中央──つまりは巨漢のギール二人を受け持っている。
その外からは騎士団と近衛騎士団が、それぞれ前線の兵士たちを押し潰そうとしていた。
しかしそれは間に合わない。方針を変えた辺境伯の本隊は、目の前に迫っている。
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