第193話:辺境伯の兵

 ……それから、しばらく。

 やがて、見えてくる。これまで目にしていなかった、軍勢の姿が。


「あれが本当の、リマデス辺境伯の軍──ですね」

「そのようです」


 辺境伯を守って先頭に立つのは、イスタムとリリック。昨夜と同じ服装をしているし、間違いないと思う。


 しかしフードは外している。

 その下にあったのは、ハンブルとは明らかに違う形の耳。その耳は、彼らの背後に居る兵士たちの中にも多く見られる。


「ギールを軍に入れているとはね」


 驚いているのか、呆れているのか、半々といった様子でメルエム男爵は言った。


 キトルがキトンとハンブルを合わせたような人種であるのと同様に、ギールはギルンの特徴を持つ。

 野獣としてのギルンはハンブルに飼われていることも多くて、不審者を「ワンワン」と警戒したりもしてくれる。


 それに似て、ギールもハンブルと懇意になる人が多いとは聞く。


「入れてはいけないんです?」

「そういう規則はないよ。でも彼らはこれと認めた相手しか、上に置かないそうだからね」

「ああ──なるほど」


 その代わりに、認めた相手には献身的に働くとは聞いたことがある。ギールの知り合いは居ないので、ボクの知識もそれほどないのではあるけれど。


「ここに来るのを察するとは、誰かと思えば。メルエム男爵だったか」

「お久しぶりですね。以前とは随分と様子が変わられた」

「それはお互い様だろう」


 カテワルトの外壁の北東。広い平地に、ボクたちは待ち構えていた。岩盤回廊の迷宮を最短で抜けたために、辺境伯を追い越していたのだ。

 少し声を張れば、問題なく会話できる距離に対峙する格好になった。


「ここまで来るのを待たずとも、出口を押さえれば良かっただろうに」

「そうしても良かったんですが、万が一にもあの中に立てこもられては面倒かと思いまして」

「俺がそんなことを?」

「何ぶん、久しぶりですから」


 二人は親しげだった。

 貴族同士なので不思議はないのだろうけれど、間にある緊張感を思うと奇妙ではあった。


「隣に居るのは知り合いか? 諦めの悪い子どもに付き合っていても、いいことはないぞ」

「いえいえ、彼は優秀ですよ。あなたがここへ来ることも、彼が教えてくれましたから」


 一瞬の間があって「ほう?」と、一段低い返事があった。

 その意味は、恐らく分かる。余計なことを誰が教えたのかとか、そんなことだろう。


「まあいい。それで、やるのか? お前に勝ち目はないと思うが」

「ここで引いては、次もありませんからね」

「そういう当たり前のことが分かる将になったのを、喜べばいいのか分からんな」


 辺境伯が率いているのは、恐らく五千人ほどのはずだ。対してこちらは、二千を切っている。

 数字だけを言っても、二倍以上。その上向こうには、身体能力に優れたギールがたくさん混ざっている。

 このままだと、勝ち目は薄い。


「サマム伯のものと偽装して温存した兵の力を、見せていただきましょうか。それまでも十分に手強かったですが」

「ここに来ただけあって、お見通しか。ならば時間をかけるのが得策でないことも分かるな」

「ええ、ディアル候の兵の振りをしていた隊も来ますね」


 通じ合う何かがあるのか、二人はそこで笑い合った。ひとしきり笑って、お互いが腕を上げる。


「いざ!」

「勝負!」


 揃って振り下ろされた腕を合図に、こちらはセフテムさんが、あちらも隊長格の誰かが「前へ!」と号令をかけた。

 合計で七千余の人間が、それぞれに武器を構え、足を踏み出す。


 両者はすぐに衝突し、互いが一歩も引かない。

 辺境伯はこちらを包み込むことだって出来るだろうに、そうはしないらしい。先頭付近だけが陣を重ね合い、斬り合っている。

 これでは互いに、数を削り合うだけだ。 


「アビスくん、これを!」

「え、あ、はい!」


 不意に、ミリア隊長が投げつけてきた。視界には入っていたので何とか受け取ったが、見ていなかったらどうするつもりだったんだろう。

 ミリア隊長が佩いている二本の舶刀の一本が、抜き身でボクの手に納まった。


 刃はもう一本の舶刀よりも短く、ボクのナイフよりも長い。戦場でナイフ一本では、身を守るのも心許なかろうという気遣いだ。


「必ず返してください。大事にしているんです」

「分かりました。必ずお返しします」


 ミリア隊長は、にっと笑って言った。


「さあ、我が隊長どの。どこへなりと、お供致しましょう。何処いずこへ参りましょうや?」

「たい――ボクです!?」


 ボクの前には、六人の兵士が居た。ミリア隊長と、彼女の選んだ五人の男の兵士だ。

 女性として至って普通の体格であるミリア隊長なのに、五人をよく従えているというのが見ただけで感じられる。一番頼もしく思えた。


 その五人にも、見覚えがある。海軍基地に行った時に、一緒に居た人たちだ。

 ミリア隊長はもちろん、彼らだって命令だからそうしてくれているだけのはずなのに、彼女の言ったどこへでも行くという言葉に抵抗は全くないらしい。

 本来の上司である男爵のことも、今は忘れてしまったかのようだ。


 もしもボクが「盾になって死ね」と言ったら、どうするんだ。

 そんなことを言う気は当然にないけれど、きっと彼らは本当にそうしてくれるのだろう。

 そう思うと、さっきのミリア隊長のセリフが酷く重く感じられる。


 この舶刀を、必ず返させてくださいね。


 言ってしまえば良かったのかもしれない。でも急に恥ずかしくなって、言えなかった。

 そうやってまごまごしている間に、兵の一人が言った。


「ではまず、あそこですかな」


 厳しい顔で指さす先は、激しく戦闘している向こう。太く高い杭が地面に打ち込まれて、格子状の板が立てられている。

 そこにはフラウが縛り付けられていた。

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