第165話:記憶を辿って

 結論から言うと、その男はリマデス辺境伯の行き先を知らなかった。

 その男に何の権限や役職があるでもなく、ただ単に身代わりとして置かれただけの人間だった。

 強いて言えば背格好は似ているかもしれないが、それにしたところでそれほど考慮して選ばれたのではないらしい。


「無駄な時間になってしまいましたね」

「いや、そうでもないにゃ」


 団長がそう言っている根拠は、それ以外に男が語った内容についてらしい。

 その一つは、知らないのならどうしてここまで頑なに拒んだのかの答え。もう一つは、辺境伯が連れて行った人員について。最後に、辺境伯の向かった方向。


「こういう事態になった場合に、最後には白状してもいいが出来るだけ引き延ばせ、というのもです?」

「そうだにゃ」


 団長にはこれという確信があるみたいだけれど、それを教えてくれる気はないみたいだ。

 そりゃあボクが自分で分かったほうがいいのだろうけど、こんな非常時にそんなことを言わなくてもいいと思うのだけれど……。


「連絡がついても分からなかったら教えるにゃ」

「連絡?」


 団長はオクティアさんに、行き先を教えるから仲間を呼ぶように言った。

 こんなところでそんなことを言われても困るだろうにと思っていたら、オクティアさんはあっさり「分かりましたあ」と、何やら胸元をごそごそ探した。


 豊かな胸の谷間から取り出されたのは、どうやら笛らしい。

 小指の太さ、手の長さほどの小さな物で、オクティアさんは躊躇なくそれを口に咥えて、思いきり息を吸い込んだ。


「ちょちょっ! オクティアさん!」

「はいい、何でしょうかあ?」

「いやいや。そんな物を吹いたら、ボクたちがここに居るのがばれてしまうじゃないですか」


 辺境伯の軍勢から多少の距離を取っているとはいえ、あちらが本気で探せばすぐに見つかってもおかしくない。

 実際にそうなったらそれより先に逃げはするけれども、わざわざこちらから教える必要はどこにもないのだ。


「そうなんですかあ? でももう吹いてしまいましたあ」

「え――? 何も聞こえませんでしたけど」

「この笛はですねえ。聞こえるように訓練を積んだ相手にしか聞こえないんですよう」


 なんだ、そんな便利な物があるのか。というか分かっているなら「そうなんですかあ?」じゃないだろうに。

 意表を突かれて「あ――はあ」なんて間抜けな返事をしてしまったじゃないか。


 しかしそんな苦情を言っても益はない。団長かトンちゃんかに、からかわれる種になるだけだ。


「じゃあどなたか来るまで、ここで待機です?」

「そうなるにゃ」


 そうか――事態がどうなるものか気持ちは焦るのに、うまくことが運ばないものだ。

 これもまた誰かにからかわれているのならやめてほしいが、もしそんなことをしているとしたら神さまか誰かになるだろう。文句のつけようがない。


「フラウ、大丈夫? 喉は乾いてない?」


 連絡がつくまでと期限の切られた宿題もあるが、まずはフラウに声をかけた。彼女もあれこれと修羅場はあっただろうけれど、戦場に立った経験なんてないだろう。


「ええ――大丈夫。でも、この人……」

「オクティアさん?」


 フラウもだいぶん落ち着きを取り戻してきたらしい。

 でもその顔をじろじろと遠慮なく覗き込むオクティアさんに、困惑した顔を浮かべていた。


「どうかしたんです?」

「どうもしないですよう。フラウちゃんがオクティアさんのことを忘れているようなのでえ、ちょっと寂しいなあ。なんて思っているだけなのですよう」

「私が――?」


 フラウはオクティアさんが誰なのか、全く記憶にない様子だ。

 もちろん二人はレリクタという共通項があるようなので、そこで出会ったのではあるのだろう。でもオクティアさんの口振りでは、フラウも覚えていて当然という感じだ。


 こんなことをボクが考えたところで、フラウの代わりに思い出すことなんて出来ないという当たり前の事実がもどかしい。

 いやさどうしてそんなフラウを動揺させるようなことを言うのか、オクティアさんに苛々としているのかもしれない。


「やっぱりこの髪のせいでしょうかあ?」


 額に垂れ下がった前髪や、顔の横の髪をオクティアさんはいじくりまわす。それは確かに長くはあるが、顔の印象をどうこうするほどではないようにボクには見える。


「ちょっと貸してくださいねえ」

「あ、え?」


 彼女が言ったと同時にボクの腰辺りに手が伸びて、何をされたのか分かった時にはその手にボクのナイフが握られていた。

 そんなだったからそれをどうするのかなんて聞く間があるはずもなく、オクティアさんは器用にナイフを使って顔の周りの髪を切り落としていった。


「オクティアさん、何してるんです!?」

「これで分かっていただけますかねえ」


 用の済んだナイフは、ボクに向かって放り投げられた。

 それを慌てて受け取ってあらためて見ると、オクティアさんの顔はさっきまでとがらり印象が変わっていた。


 見た目の印象だけで言えばどちらかというと静かで清楚という感じだったものが、溌剌と明るい牧場のお嬢さんという雰囲気だ。


「これでどうでしょうねえ?」

「喋り方は変わらないんですね……」

「当たり前ですよう」


 答えがないようだったので、ボクも「どう?」と聞いてみた。しかしフラウは戸惑うばかりで、答えは出そうにない。


「すみません、やはり思い出せないみたいです。お気持ちは分かりますけど、しばらくその話題は避けてもらえませんか」

「そうですかあ。残念ですう」


 それでもオクティアさんは、不満など全くなさそうに微笑んだ。

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