第163話:オクティアさんの拷問
視界を遮られてしまった兵士たちに、団長やボクたちを追うことは不可能だ。そうしてくれた団員たちも、今ごろはもう四散していることだろう。
少し離れた位置にある深い茂みに入って、抱えていたリマデス辺境伯を放り投げる。
「ぐっ――うげっ」
鎧を着たままで腰の高さからの落下では、受け身も取れない。鎧の中から痛ましい呻きが漏れた。
まあ怪我まではしていないだろう。
しかしそれとは関係なく。あ、いや。原因は一致しているのだろうけれども、団長がつまらなそうな顔をしているのに気付いた。
「どうしたんです?」
「間違えたにゃ」
その言葉を聞いて、ボクは慌てて兜を取ろうと引っ張った。しかし「ぐっ!」という声を出させただけで、兜は取れない。
「何やってるみゃ。紐があるに決まってるみゃ」
「あっ、すみません」
指摘したトンちゃんにではなく、図らずも首を絞めてしまった相手に謝った。
そうだ。鎧なんて着たことがないから意識していなかったけど、あんな重そうなものを頭にただ載せているだけのはずはない。
それはともかく。顎にある革のベルトを切って、今度は兜を外させた。
その下からは比較的に若い、青年とも壮年とも言える年ごろの男性の顔が現れる。
これがリマデス辺境伯……?
団長が間違えたと言った意味は察している。でもそれがなくとも、ボクには今感じている違和感があっただろう。
この人は違う。この人は、何というか――普通だ。
メルエム男爵やペルセブルさんのように、シイ隊長やチームさんのように、普通に出会えば普通に仲良くしてもらえる人だと思った。
しかしその確認は、間違いないように行わなければならない。
当たり前だが、この場にいる中で辺境伯の顔を最もよく知っているのは、フラウだ。
何だか酷なことだとは思ったけれど、確認の視線を彼女に送る。
「違う……」
首を縦か横かに振ってくれるだけで良かったのだけれど、彼女は首を竦めて小さく横に振るのと同時にそう言った。
その怯えた仕草を見ていられなくて、彼女の頭を胸に抱く。けれどそうしながらも、ボクの頭は別のことを考えていた。
辺境伯なんて人物が反乱の旗頭の立場で、身代わりを戦場に置いているなんてことがあるものだろうか。
少なくともボクが読んだことのある英雄譚には、味方にも敵にもそんな人物は居なかった。
「何をなさっているんですかあ?」
どうやってここに居ることを知ったのか、気楽な口調のオクティアさんが茂みを分け入ってきた。
「何をも何も、へまを踏んだところにゃ」
「そうですねえ。鎧からして違うと、ヌラさまも仰ってましたあ」
「見てたんですね……」
偵察めいたことは、彼ら彼女らの得意とするところだ。中の誰であっても、それは容易だっただろう。ここに来たということは、オクティアさん自身が見ていたのだとは思うが。
「お前たちは本物を見つけているのみゃ?」
「残念ながらあ、オクティアさんたちもまだなのですう」
「じゃあ、こいつに聞くしかないみゃ」
連れて来た男は、トンちゃんに言われたメイさんがロープでぎゅっと縛っていた。とりあえず暴れられては困るからだけれど、ボクはメイさんの力で自分が縛られるなんて想像もしたくない。
「く、ぐっ……」
「お前の親玉はどこに行ったにゃ? 答えたら解放してやるにゃ」
案の定で苦しそうな息を漏らす男に、団長は聞いた。しかし声も出せないほどではないはずだけれど、男は何も答えない。
「分かってると思うけど、このままだと死ぬだけにゃ?」
答えない。
「困ったにゃ。トイガーが居れば楽なんだけどにゃ」
「トイガーさんです?」
何だ。彼女が自白をさせるのが得意だなんて、聞いたことがない。
あのいつも怒ったような、それでいて感情を読みにくい表情で拷問なんかをされれば、それはさぞ怖かろうと想像は色々と捗った。
「ううん。時間もないことですからあ、オクティアさんが聞いてもいいですかあ?」
「構わないにゃ。どうするにゃ?」
オクティアさんは腰に付けていたポーチをごそごそと探し、中から黒っぽい球を取り出した。
「これを使いますう」
「何です?」
泥団子にも見えるそれを、オクティアさんはぽいと自分の口に入れた。
自白させるための手段を自分に使ってどうするのかと悩むこちらをよそに、彼女はむちゃむちゃと唾液の音をさせながら咀嚼した。
「――あの、オクティアさん?」
他人の咀嚼を見ているだけの時間というのは、何とも耐えがたかった。それでも多少は待ったつもりだけれど、待ちきれずに声をかける。
と、彼女は答える前に倒れている男の顔を両手でつかみ、その口と自分の口とを重ね合わせた。
「お、オクティアさん!?」
前もあとも、彼女の口は塞がっていたのだからボクの問いかけに答えられるはずはないのだけれど、声をかけずには居られない。
数十秒ほどか、口を合わせたままもごもごと何やらやっていたオクティアさんも、ようやく顔を起こした。
「ぷはあっ。すみませんけれどもお、口に布を噛ませてあげてくださいますかあ?」
「え? はい」
口を割らせようとする相手に布を噛ませるとは、どういう趣向だろうか。わけがわからなかったけれど、それはささっとトンちゃんがやってくれた。
また数十秒ほど待っただろうか。男に異変が起きた。
何をされたのか不安げだった男の目が血走って、全身をくねらせながらのたうち回る。
布を噛ませた下からは激しく悶絶する声が、ぐふう、がふう、と発し続けられた。
この人はどれほどの毒物を飲まされたのか。この様子だと、このまま死んでしまうだけじゃないのか。
不安しか感じない。
「これは一体どうしたんです!?」
「この薬を飲むとですねえ、体がとっても痒くなるんですよう」
「え、痒く?」
呆気にとられた感もあるボクに、オクティアさんはあっけらかんと「はいい」と明るく返事をした。
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