第154話:驟雨来たる

「雨が降ってきました」


 洞窟の外を覗きに行っていた、港湾隊の隊員が言った。


「雨? さっきまで、あんなに晴れていたのにか?」

「間違いなく雨です。ただ少々、おかしなところはありますが……」

「おかしなところ?」


 ペルセブルさんに不審がられた隊員は、その先を言い淀んだ。しかし最終的に言わないという選択肢もないので、おずおずと話す。


「何とも妙な雲でして。まるでこの森だけを狙って、雨を降らせているような。東西南北どこを向いても、遠い空は晴れたままなのです」

「この森だけを……面妖なこともあるものだな。どう思われますか」

「自然の現象として、絶対にないとは言えないけれどね。でもまあ――そういうことの出来る人が居ると考えたほうが正解だろうね」


 ガルダの森は広い。

 領地の小さな子爵であれば、この森よりも狭いというところは、いくつもあるだろう。例えば北の連合王国のように、小さな国が集まっているようなところだと、この森よりも小さな国家もあるだろう。


 ただこの森の周りは平地だ。沼地や湖なんかもない。影も形もなかった雨雲が、突然に出来るものだろうか。

 唯一、北東にデクトマ山脈が近くはあるけれど、この隊員の言い分ではそちらから来た様子でもない。


「知らないことの原因を考えても仕方がないにゃ。要するに火は消えそうということにゃ? そっちを考えたほうがいいと思うにゃ」

「そっち、とは?」


 視線を僅かに外して、ペルセブルさんはその意味を考えようとしたらしい。しかしすぐに答えを聞いた。その切り替えはとても早かったので、分からなかったとかではなく、時間を無駄にしたくなかったのだろう。


「リマっちは、何だか鷹揚に構えているにゃ?」

「リマっち……そうだな。大軍を揃え、計略もうまく進んで当面は対抗する兵もない。そうもなるだろう」

「そう思うにゃ。じゃあどうして森に火を点けるなんてことをしたにゃ?」


 すらすらと答えた最初の勢いのまま、ペルセブルさんは続いて答えようとした。しかし「それはだな――」と言って、思案顔になる。


 自分が侵攻する先に火を点ける。これは勢い盛んで、今の辺境伯の行動としては相応しいものと一見しては思える。

 しかし敵陣との間にある草原を焼いたり、撒いた油を燃やすのとは違って、この森を燃やし尽くすには相当の時間がかかる。

 当然のことながら、その間は辺境伯も前に進めない。いくら時間や気持ちに余裕があるとはいっても、それはさすがに暢気が過ぎるというものだろう。


「ああ、その女性を探すためではないか。山狩り――ではないが、しらみつぶしにしていては時間がかかりすぎる」

「まあそれは一つあると思うにゃ。でもそれだけかにゃ?」

「うむ。実際来てみれば、ここには無数の隠れ穴があって、天然の要塞と化している。しかしそうと知らなくとも、鎮守の森の名に安心感を覚える者も多い。それを丸裸にする意味は大きいな」


 その答えに団長は「その通りにゃ。さすがだにゃ」と褒めたきり、それ以上を言わなかった。

 これにはボクも思ったけれど、きっとペルセブルさんも思っただろう「それで?」と。


「にゃ? 面白い顔をしてどうしたにゃ?」

「面白くて迷惑はかかっていないだろう。だから何だというのか、教えてくれ」

「にゃにゃん。からかわれてはくれないけど、潔いにゃ。教えてあげるにゃ」


 二人のやりとりに、メルエム男爵はふっと笑った。ペルセブルさんへの寸評に、共感でもしたのかな?


「示威行動とするには、森の大半を焼き尽くす必要があるにゃ。でもそうしてしまったら、フロちは死んでしまうにゃ」

「ああ、うむ。その通りだ」

「だからフロちを探す兵を出したし、呼びもしたにゃ。でも今それは、両方とも駄目になってしまったにゃ。ニーちゃんならどうなるにゃ?」


 どうなるか。

 焦点をぼかした質問に、ペルセブルさんは顎を撫でた。熟考の姿勢だが、それほどの時間をかけずにまた口を開く。


「少なからず、苛とはするだろう。その女性の重要度が如何ほどか知らないが、強硬にでも取り戻すか、切り捨てるか。どちらかの判断を下すだろうな」

「切り捨てるって、具体的にはどうするにゃ?」

「それはもちろん、この期に及んでは軍勢を前に進めるしか――」

「どちらを取っても、強硬策しか残されていないということだね」


 はっと表情を固めたペルセブルさんのあとを継いで、男爵が結論を言った。

 なるほど――これまでは上であの連中が捌いていたものが、とても捌ききれない数が押し寄せるということだ。

 もちろん木々の間を進むのに苦労はするだろうが、多少の被害なんてものともしないだけの数が居る。


 この洞窟だって見つけにくいというだけで、絶対に見つからない魔法がかかっているわけじゃない。文字通りに隙間もないくらいの兵が進めば、きっと見つかってしまうだろう。


 これは、万事休すか……?


「それでにゃ。いくら余裕がないといっても、そろそろ首都も動くんじゃないかにゃ? これからどう動くものか、教えてほしいにゃ」

「私たちはたった今の状況を知らないから、定石通りの話しか出来ないが。それでいいかな?」

「そうしてほしいにゃ。構わないかにゃ?」


 そこで団長は男爵でもペルセブルさんでもなく、その向こうの洞窟の入り口方向に視線を向けた。

 つられて二人も振り返って、ボクもそちらを見た。


「構わないというなら、あたいも聞かせてもらって構わないかねえ?」


 不気味なメイド、クアトがそこに立っていた。

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