第152話:瑣話ー交渉人は見た 後編
主人に続いて入った部屋には、当たり前だが錚々たる顔ぶれがあった。
まず身分からして、候か伯の付いた貴族の方々、若しくは局長とか団長とかいう役職の付いた方々しか居ない。
その中で例外は、最奥の椅子に腰を下ろしている人物ただ一人。
それはこのハウジア王国の現国王。御歳六十二を数える、ガレンド・アルゼン=ハウゼングロウ。その御方だ。
と持ち上げてみたところで、私の敬意は誰にも向かっていない。私が敬うべきは、我が主人ただ一人なのだ。
恐らくこれは、ウナムやセクサはもとより、クアトやセフテムにしたところで同様だろう。
「どうも騒々しいが。何ごとかご存知かな、子爵?」
閉ざされた軍議の場に乱入した主人には、室内に居た騎士の剣が突きつけられている。ついでを言うと、私にもだ。
そこへ国王の隣席に座っている、プロキス侯爵が尋ねた。
騒々しい理由が我が主人であることは明白であるし、常であればユーニア子爵と呼ぶところを爵位しか口にしないなどは幼稚とも思える。が、これは侯爵にとって精一杯のユーモアであるのかもしれない。
もしかすればそこに、何やら意味もあるのかもしれない。察しておくとしよう。
「数々の無礼を差し置いて、勝手ながら言上奉ります」
「まこと無礼だ! 下がれ!」
床に膝を突いた主人に向かって、阿呆のボナス伯が椅子を蹴倒し、唾を散らした。国王以下、他の面々は一応でも聞いてやろうという顔をしているのに気付いてもいない。
阿呆と形容するにこれほど相応しい男が、他に居るだろうか。
「辺境伯は既に、ガルダの西にあります」
「……何だと? 既に一戦を終えたと言うのか」
疑いの念を含みながらも、今度はプロキス候も声を低くした。首都とその近隣に駐在するハウジア王軍全てを統帥する候としては、見過ごせない話ではあるだろう。
「良い。思うところを述べよ」
明らかに聞く耳を持ったプロキス候に、阿呆がまた何か言おうとした。しかし国王は、それに先んじて話を促した。
既に往年の面影は薄く、崩御もいつかと囁かれる御身ではあるが、少なくとも聞く耳だけは確かであるようだ。
「近郊子爵の合同部隊は、既にその用を成しておりません。鉾を交えることなく、素通りさせております」
「ほう……それで?」
「何を目的としているか判明しておりませんが、辺境伯はガルダを焼き払おうとしております。これを前進偵察させておりました我が警備隊が牽制している、というのが現況でございます」
まずはここまでと口を閉じた主人を前に、居並ぶ面々も残らず思案の表情となった。考えることは色々とあるだろうが、どこまでを信用して良いものかと疑うのが第一だろう。
言っていないことがありはしても、言ったことに嘘はないのだが。
「噂通り――ユーニア子爵は、優秀な斥候をお持ちのようだ。それが全て正確な情報だったとして、この狼藉は何か」
「前進部隊が一千。我が管理下の警備隊は、残り四千。これを全て使ってよろしければ、辺境伯の正面を押さえ続けてご覧に入れましょう」
「何を馬鹿なことを! 貴公、職務も忘れて首都を空にする気か?」
まただ。また阿呆が阿呆なことをさえずっている。他人の真意を即座に汲めとは言わぬから、話を最後まで聞くくらいは出来ないのだろうか。
「伯の言う通り、それでは首都の内部をどうする心積もりか?」
「その点につきましては、賜りし職務を怠慢すると言われましても弁解の余地はございません。ただ――我が隊においては、たった今すぐにでも出撃が可能でございます」
「なるほど。確かに我らも準備はさせているが、たった今すぐにとはいかん。この場でこちらの怠慢を指摘するとは、子爵も手厳しい」
皮肉めいた笑みが、プロキス侯爵の口元に浮かぶ。その周りの数人もそれに同調する表情だ。ただそれは皮肉の域に留まるものであって、主人の言を否定するものではない。
主人の言い分を全面的に肯定したわけではないが、間違ってもいないと暗に認めたということだ。
「そのような意図は決して。恐れながら首都内部の治安は、一時的に準備の遅れる部隊にお任せしたく。さすれば我らが正面を押さえている隙に、本隊で側面を突いていただけるかと」
「策としては常套なのだがな――」
騎士団長、マイルズ伯は言葉を濁す。
子爵たちの合同部隊でしばらくは時間を稼げる、うまくすれば解決もあると考えていたに違いないこの場の面子からすれば、主人の進言を受け入れることは自分たちの無能を認めることになる。
従い難いであろうとは同情する。
しかし急遽の迎撃として出撃させるよりは、準備を整える時間の上に側面を突くお膳立てまであったほうが良いに決まっている。
国を滅亡させたいのでなければ、考える余地などないのだ。
「閣下、恐れながら……」
「ん、何か」
ここがタイミングだと計って、おずおずと遠慮がちに言った。主人は国王に向けていた顔を一度下げ、あらためて私を振り返る。
床に突っ伏すように薄紙の束を差し出す私に、主人はまた問う。
「何かと聞いている」
「出発直前に入りました報告によりますと、辺境伯に呼応したディアル候とサマム伯の軍勢も展開しております――」
答えるために上げた私の顔を、主人の手の甲が襲った。
水平に振られたそれは、魔獣の尻尾ででもあるかのように私を壁に打ちつける。激しい痛みが体の内にも背中にも起こって、私の口からは多少の吐瀉物が漏れた。
しかし失態を犯したのは私だ。いやそれはもちろん演技だが、だからこそ本気でやらねばならない。
「そのようなこと――すまぬですむか!」
「申し訳ございません!」
主人と私に対して警戒の命令を解かれていない騎士たちが、私を気遣っても良いものか迷う表情となっている。有難いことだが、そんなことでは不意を突かれてしまうぞと心配にもなる。
「私の確認不足でございました。ディアル候は辺境伯の後詰め。サマム伯は街道の南の森の中に潜伏している模様です。しかしこれならば、森の更に南を進むことは可能かと」
吐き気やら咳を抑えながら姿勢を正した私を確認すると、主人は王に向かって深々と頭を沈めた。
誰も言葉を発さぬまま、不自然な時間が過ぎた。一分と三十一秒だ。
その沈黙を破ったのは、国王だった。
「諸君。各々、どれだけの時間があれば万全の用意が整うか。指で示してみよ」
誰を責めるでもない。まずは出来るかどうかだろう。王がそう考えたのかは知らないが、私にはそう聞こえた。
これにはもちろん、兵を持つ全員が指を立てて示した。
最も早いのは、近衛騎士団と騎士団が二時間。しかし騎士も弓兵も槍兵も備える辺境伯の軍勢に、騎士団だけでは摩耗が激しい。
それではと他を見れば、早い部隊でも四時間。それでは夜になってしまう。
「伯はどうか」
国王の視線がボナス伯に向けられた。いつの間にか着席した伯の手は、テーブルの上で握られたまま数を示していない。
「万全ということでありますれば……明日の朝に」
「――そうか。首都の警備役は貴公であるな」
誰も責めない。今はそんなことをしている時ではない。
静かな王の言葉が、言外にそう語っていた。
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