第103話:ボクの特技
ハウジア王国を含む近隣諸国では、貴族の家紋に複雑なデザインが用いられる。
一説には、今は滅びてしまった大きな国が、友好的な国との間で文化的に競っていた名残りと言われているけれど、定かではない。
よく使われている絵柄は、武具や農具などの道具類。強さを象徴する獣や、信仰心を表す神聖印など。
使ってはいけないものの決まりがあるのかは知らないけれど、とにかくありとあらゆるものがデザインに盛り込まれる。
例えば、盾の上に交差した剣というデザインに使われている絵柄が三つと数えるならば、大抵の家紋はその数が五十を超えるだろう。
「見えるかどうかやっとの家紋を、たった今の間に覚えたというのか?」
「ええ、覚えるのは得意なんですよ」
覚えるのは得意でも、絵を描くのは人並だ。時間は、まあまあかかる。出来栄えで言うと、団長からは「何を描いているか、分からなかったことはないかにゃ」という微妙な評価を戴いている。
持ってきてもらった薄紙に描くのは、五分と少しかかっただろうか。先日描かされた、サマム家の紋章よりかなり簡単だった。
「早いな……これは、ディプロマ伯の紋か?」
「そのようです」
出来上がりを見たシイ隊長は確認を求め、チームさんもすぐに認めた。
良かった。覚えるのが得意なのは間違いないけれど、描いた物が伝わるかはいつも自信がないのだ。
「有名な方なんです?」
複雑なだけにいかに貴族といえども、関わりのない紋をいちいち覚えてはいないものらしい。それは知っていたので聞いてみた。
「国外交渉によく顔を出す方だな。急な訪問の先触れということであれば、分からん事態ではない」
「さすが、国境の最前線だねえ」
状況も分かったことだしということか、コニーさんは気軽な空気でシイ隊長を褒めた。貴族でもないのにちゃんと知っているのは、ボクもすごいことだと思う。
しかし当人は、あまり気安くない。
「いや、それほどだが――」
「移動柵を出しておきますか?」
砦のガルイア王国側には、突撃を防ぐための防柵が常に設置してある。
チームさんが言ったのは、普段の通行の邪魔になるので設置されていない街道上や、それ以外の手薄なところに追加で置きましょうかということだ。
「さすがに、そこまでも出来んだろう。門は閉めておけ。土砂の用意もな」
「そのように」
チームさんは望遠鏡をシイ隊長に預け、指示を果たしに下へ降りていった。
それからしばらく、向かって来る一団以外に何かないか、コニーさんとボクとで監視することになった。
望遠鏡でももちろん可能だけれど、肉眼の視界とはやはり比べ物にならない。が、結果としては何も見つけられなかった。
その間にボクたちの居る屋上にも、門の裏の地上にも、兵士がたくさん集められていた。
みんな、ガルイア王国側からは見えない位置に居るようにしていたので、すわとなれば一斉に顔を出すという算段だろう。
怖い怖い。
ほどなくして、正体不明の一団が足を止めた。こちらからの弓は届くが、向こうからは届かない。そんな位置だ。
「ガルイア王国が使徒、ディプロマ伯の先触れである! 危急の用にて、通門を願いたい!」
「国境からは知らせが来ていない! いかなる儀か!」
「それもご説明する! 門前に至ってもよろしいか!」
シイ隊長は歯噛みする。
「どう考えてもおかしいが、用件を聞かぬほどではない……」
独り言だったのかもしれないが、聞こえたので聞き返してみた。
「何がおかしいんです?」
「普通、先触れは身軽にした者が行う。遅れがあっては問題が起きるからな。それがエコリアを伴っているなど、ありえないとまでは言わないが――」
なるほど確かにと納得する間に、シイ隊長は決断した。
「どうにでもなる。寄越せ」
おお、男らしい。伊達に暑苦しい人じゃないな。
近くに居た兵士に言うと、その兵士は階段を降りて、一つ下のテラスで先ほどの問答をしていたチームさんにそれを伝えた。
「用件は了解した! 門前まで来られよ!」
これに答えはなく、一団の動き出したことが無言の回答となった。
門前までの三割ほどの距離は、
これに備えていたらしい人たちが十騎、てんでばらばらに逃げているのをそれぞれ追いかける。
残されたエコリアも一気に速度を上げた。これはもう、門に向かって突撃する意図は明白だ。
幌のかけられた荷台からは白煙が上がり、それはすぐに轟々と燃える炎に変わった。その熱に暴れ始めたエコをも見事に操って、御者はまっすぐ門を目指す。
「放てっ!」
待機していた弓兵たちが、百本近い矢を一斉に放った。
ざっと半数は、エコに命中しただろうか。二頭立ての一頭が、その狂乱を最高潮にして駆ける。もう一方も引きずられるようになりながら、何とか速度を上げて走る。
「方向が!」
もう距離がどれほどもない。先ほどの弓は御者にも命中して、動く気配はない。しかしエコたちは頑として、まっすぐに走り続ける。
鋸壁から身を乗り出して、下を覗いた。
十人ほどの兵士が丸太を持って、燃え盛るエコリアにぶつかっていく。それは見事に荷台を捉え、粉々に打ち砕いた。
重りを失った二頭のエコは、装具で繋がれたまま門に激突する。首も胴体もあれだけ縦横無尽に暴れていたものが、その一瞬を境にして完全に止まった。
燃えていた藁や木などは、そこら中に散らばった。エコが引きずっていた荷台の片割れにも残っていたが、門まで届いた物は僅かだった。
油の染み込んだそれらの火はなかなか消えないので、土砂がかけられていった。湿った消し炭の臭いが、ボクたちのところにまで立ち上ってくる。
「これも、おいらたちのせいになるのかなあ?」
ボクと並んで見ていたコニーさんが、世間話のように言った。
またそんな角の立ちそうなことをとも思ったけれど、そう言われる可能性も否定できないのは確かだった。
どうなんですか? という慈悲を求める目でシイ隊長を見ると、
「それはないだろう」
と言ってくれた。
それはさすがに、言いがかりになってしまうか。保証してもらうと、すぐにそんなことを考えてしまった。ボクも現金なものだ。
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