第92話:放浪のコニー
「お代は心配していないですみい。こちらも内々に何かあった時の、備えとして置いていただけの物ですみい。それを使うのも、あなた方のためでしたら全く以てやぶさかでないですみい」
はいはい。そうでしょうとも。
メルエム男爵が去ったあと、いかにも恩着せがましいアレクサンド夫人の言い分には乗るしかなかった。
「きな臭くなるようだったら逃げるですにゃ」
という何だか怖い忠告だけを聞いて、その足でアレクサンドの定期航路に乗った。船の足は速く、目的地であるアムニスの町には二日足らずで着いた。
「それにしても、ボクは何をしに来たんだろう?」
様子を見てきてほしい、というのがアレクサンド夫人の依頼だった。具体的な場所は、メモをもらってもいる。
でも、本当にそれだけなのか?
鍋の湯が沸いているか見てこいと言われたら、具材を入れるとか火から下ろすとか、何かあるものじゃないのだろうか。
「まあいいや……」
この依頼をしたのは他の誰でもない、アレクサンド夫人なのだ。まともな内容であるはずはなく、そうであるなら考えても無駄だと悟った。
分かりやすい用事から済ませようと、別件としてトイガーさんに頼まれた場所に向かった。アムニスにほど近い、背の低い丘の向こう側がそうだ。
うねる波のようではあったが、概ね平面のその辺りは牧場らしい。ワカンとカプンが放し飼いにされていた。
トイガーさんからは、ここに行けという以上は聞かされていない。用があるのはこの場所なのか、ここに居る誰かなのかも分からなかった。
とりあえずここの主に会ってみるくらいしか出来ることが思いつかなかったので、住まいらしい建物に向かう。
とその途中で、建物の陰から誰かが姿を見せた。その誰かはまだボクに気付いた様子もなく、連れているカプンたちを小屋へと入れる。
って。誰かも何も、あれはコニーさんじゃないか。
コニーさんもうちの団員で、カテワルトやリベインにはほとんど居ない。トンちゃんが不在気味なのは何かしら目的があるけれど、コニーさんはただあちこち旅するのが好きなのだそうだ。
「コーニッシュさん!」
走り寄って、まだ距離のあるところから声をかけた。返事はなかったがこちらを向いたので、気付いてはくれたようだ。
「そんな大声を出さなくても、居るのは知ってたよお」
目の前まで行くと、そんな事実を吐露された。
「――面倒がらないでくださいよ」
ボクより一つか二つ年上のコニーさんは、服装の趣味がメイさんに似ているかもしれない。すらりとした手足が眩しいような、袖やら丈やらがやたら短い服を着ている。
過剰な服飾を嫌うのはキトルの性質なので、珍しくもないけれども。
「ここへ来るようトイガーさんに言われたんですが、何か分かりますか?」
「ううん?」
コニーさんが首を傾げると、濃い黄色の髪がふわっと舞った。
同じ色の毛並みは二の腕と膝下にあって、服や靴下の延長にも見える。遠目にはハンブルの女の子に思えるかもしれない。
「何だろねえ? とりあえずお茶でも飲もおよ」
「あら――コーニッシュさんも分からないんですか」
到着してすぐに見知った顔があって、トイガーさんの手配はさすがだなと思いかけていたのに。当てが外れていたらしい。
それでもコニーさんから手がかりを聞ける可能性は残っているから、お茶を飲みながら話を聞けるのは有難い。
「コーニッシュなんていちいち長いから、コニーって呼びなよお」
「あ、はい。じゃあ、コニーさんで」
あくまで弱腰なボクに、コニーさんはやれやれと笑う。それでも湿った風ではなく、明るく励ましてくれているように感じさせるのは、団長に通じるところがある。
どこに行っても棲み処に困ることがないのは、そういったコニーさんの人懐っこさみたいなものが影響しているのだろう。
この牧場にはひと月ほど滞在しているという、コニーさんの寝起きしている小屋に案内してもらった。
造りが単純なので小屋とは言ったが、その大きさはかなりのものだ。たぶん倉庫か何かなのだろう。
「おじゃまします」
遠慮なく入ってみて、ボクは驚いた。
いや。あっさりそう言ってしまうと、何だかそれほどでもないように聞こえるかもしれないが、実際はかなりの驚愕だった。
ただ意外性があり過ぎて、目は点になって言葉も発せなかったので、結果として薄い反応になってしまったのを表したのだ。
「親方! どうしてここに居るんです!」
「おお、お前さんか」
ボクたちが首都からの脱出を手引きした、山賊たち。ジスター=バラバスの率いる、むさ苦しい男どもがそこに勢ぞろいしていた。
どうしたことか何だか服装が変わって、こざっぱりしているけれども。
ボクがエコリアで運んだのは五人。囮の漁船が逃げている間に、アレクサンドの定期船で逃げたのが十二人。
全員逃げ延び――てない?
そこに居る人数は、十六人だった。数えながら顔を見ていくと、カルチェの姿がない。
「あれ、カルチェさんは?」
「――奴は死んだ。追手がかかってな」
ああ……全員無事とはいかなかったか。世の中はそんなに甘くない。どころか犠牲が一人で済んだのは、ものすごい幸運だったのだろう。
「警備隊に見つかったんですね。それでよく他の人は無事でしたね」
大変でしたねと、労いのつもりで言っただけだった。しかし親方の返答は、またボクを驚かせる。
「いや、警備隊じゃなかった。じゃあ何だったのかと聞かれると困るが、短い鞭を使う女だった」
「鞭を――」
奴らだろうか。他に考えようはなかったけれど、鞭を使う人は見ていない。想像を積み重ねて事実とするのは危険だと、団長から教わっている。
「ええと――それで、どうしてここに?」
親方からも結論は出ない様子だったので、話題を変えた。さすがに少し渋い顔になっていた親方の顔が、ぱっと明るくなる。
何か面白いことでも見つけたのかな?
「それが聞いてくれよ。俺たちはここから、ガルイアに逃げるつもりだったんだ」
ハウジアの西にはガルイア王国がある。北や東と違って、国交は安定している。それが親方の話では、どうも違ってきているらしい。
「監視の甘いところは知ってたからな、そこを越えようと思ってたんだ。でもアムニスまで来たら、国境の向こうが危なっかしいって噂でもちきりだった」
それから彼らは、休憩場所として案内されていたここにずっと居るらしい。
いやいや全然楽しくないじゃないか。
それはいいとしても、ここの持ち主は気にしないんだろうか。
「ここはいいぜ? 食い物も飲み物も、不自由しない。家畜を集めたりするのも、案外面白いしな」
山賊の誰かが嬉しそうに言うのを聞いて、親方は肩を竦めた。なるほど飲食だけを対価にして、働かされているわけだ。それでこれだけの労働力が得られるなら、牧場としては大助かりだろう。
なるほど、だから身なりも牧場の青年という感じになったと。
「まあ、そんなわけだ」
親方の失笑に、ボクも失笑を返す。
夕方には情報を仕入れに町へ行くと聞いて、それまでボクも時間を共にすることにした。
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