第88話:行く先はジューニ
次の日ボクは、あらためてワシツ邸を訪ねた。今度は一人でなく、トイガーさんと一緒に。
昨夜アジトに帰ってから、ワシツ夫人からの依頼内容を伝えた。その反応は「分かったですにゃ。まずは直接聞いてみるですにゃ」と、何とも微妙なものだった。
大丈夫そうなのか、難しそうなのか、トイガーさんなら大筋の予想くらいは出来ると思ったのだが……。
「パース・アルベドの代表、トイガーと申しますですにゃ」
「まあ、あなたが団長さんなのね。思っていたより、小柄だわ」
夫人は既に団長と会っている。名前も顔も変えていたので、会ったうちに入らないとは思うが。
「吾輩は運営面を任されているので、代表と呼ばれているだけですにゃ。全体をまとめているのは別に居て、そちらが団長ですにゃ」
「あいっ!」
跳びあがるほどの痛みが襲った。いや、何とか耐えたけれども。
隣に座っているトイガーさんに、テーブルの下で足を踏まれたのだ。どうして団長という単語が伝わっているのか、咎めているらしい。
「アビスさん、どうしたのかしら?」
「いえ。テーブルの脚に自分の足をぶつけてしまったんです。すみません」
夫人は「あらあら大丈夫?」と、心配と失笑を半々くらいで聞く。まだ団長のことを深く聞くつもりかは分からないけれど、話題の逸れたこの瞬間を逃すトイガーさんではない。
「早速で申し訳ないですにゃ。何でも大きな取引をさせていただけると聞いたですにゃ」
「ええ、三千人の水と食料を二カ月分。期限は一週間。出来るかしら」
一瞬で夫人の表情が引き締まる。大きな商談に緊張する商人の顔とは違う、ボクにはあまり馴染みのない表情だ。
って……一週間? それは昨日は聞いていない話だ。
考えてみれば期日も確認していないボクが間抜け過ぎるけれど、いくら何でもそれは無茶というものだ。
そう考えて焦るボクをよそに、トイガーさんは涼しい顔で話を進める。
「出来るか出来ないかで言えば、出来るですにゃ。ただ――これはアビスも聞いたと思うですにゃ。常用の依頼先はないですにゃ? それに比べれば、どうしても割高になると思うですにゃ」
「あります。ですがそちらは、もう手が一杯なのです」
トイガーさんは「ふむ」と顎を押さえた。これは彼女が考えごとをする時の癖だ。
「近年、特に不作や不猟は聞いていないですにゃ。大きな祭りがあるわけでもないですにゃ。それなのに首都やカテワルトの商人が手一杯とは、どういう事態ですにゃ? いやこれは事情を探ろうというのでなく、こちらの知らない問題が起こっているなら、吾輩たちの手配事情も変わってくるという話ですにゃ」
隙がない。
聞いている内容が不躾であることは間違いなく、相手が違えば怒りを買うこともあるだろう。
しかし述べた理由は誰だって合点のいくもので、これをただ無視するというなら、この依頼自体が嫌がらせか冷やかしだとこちらも言うことが出来る。
もちろん夫人に限って、そんなことはあり得ないが。
「詳細はお話出来ませんが、大きな戦いが起きるとだけ。既に動いている商人の方たちが、どういう販路を使うのかは知りません」
「なるほど、昨日アビスがお聞きした以上のことではないということですにゃ。安心したですにゃ」
うん? やけにあっさり言っているけれども、それはつまり可能だということだろうか。
「引き受けていただけるのね?」
「お任せいただくですにゃ。ただし――」
「ただし?」
条件の一つや二つ、付いてもやむなしと考えていたのかもしれない。夫人は表情を変えず、トイガーさんの言葉を待っている。
「搬送先は教えていただかないと、運ぶ者が困ってしまうですにゃ」
「――搬送先?」
一転してぽかんとした顔のワシツ夫人は、やがて「ふふふふ」と笑い始めた。
「ふふふ――あははは。トイガーさんは面白い方ね。私はどれだけの特別料金を請求されるかと、びくびくしていたのよ」
「事実を言ったまでですにゃ」
言葉の上では淡々と返したトイガーさんも、口角を上げている。彼女としては、最大級の笑顔と言っていいだろう。
「それで実際のところ、どこへ運ぶですにゃ?」
「ジューニです。準備と搬送を含めて、半月以内にお願いします」
やはりジューニか。
いかにボクが軍隊のことを知らなくとも、今は将軍の妻というだけのワシツ夫人が、直々に戦闘食を手配するのは異常だと分かる。
本来ならば首都にたくさん居る軍の首脳部の人たちがやるべきことなのに、どうしてだか出来ない理由があるのだろう。
それが他ならぬジューニへ持っていくべき食糧ならば、夫人が骨を折る気になっても不思議ではない。どころか喜んでやりそうだ。
「物資の内訳や搬送計画は、追ってご連絡するですにゃ」
「どうかお願いします」
夫人が立ち上がって出した手を、トイガーさんは両手で握り返す。商談成立だ。
「ところで夫人、手配の参考に聞きたいですにゃ」
「何かしら」
何だろう。相場を確認もせず、今この場でこれ以上に聞くことがあるのだろうか。ボクと夫人は揃って首を傾げる。
「ジューニの皆さんは、山の物と海の物では、どちらがお好きですかにゃ?」
何だそれ。畑で採れる物と魚介類とでは、どちらが喜ばれるかということだろうか。それこそ相場を見てみなければ、何をどれだけ用意できるかも分からないだろうに。
あ、いや。それ以前に、戦闘食としてそういう考え方はアリなのか?
ボクと同様に夫人も少しの間、悩んでいた。が、すぐに「ああ――」と何かを悟ったようだった。
「それは山の物が良いと思うわ」
「承ったですにゃ」
女性二人が通じている光景を、ボクは愛想笑いでごまかしながら眺めているしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます