第68話:トイガー教授の講義
食欲はなくなってしまったけれど、残してしまうのはお店の人に申し訳ない。無理やりに喉の奥へ流し込んだ。
それから岩盤回廊を周回する公共エコリアに乗って、アジトへと帰る。その間、フラウの話は全くしなかった。
もちろんあれこれ聞きたかったが
「細かいことは帰ってから説明するにゃ。とりあえず今は、それだけ言っておきたかったにゃ」
と、団長はそれきり本当に教えてくれなかった。
アジトに帰るとテーブルが用意してあって、そこにはトイガーさんが座っていた。団長とボクも座ると、すぐにコラットがお茶を振舞ってくれた。
いつもならコラットが一言や二言は何か生意気なことを言っていくのだけれど、今日は何も言わない。静々とお茶とお菓子の準備だけをして部屋を出て行った。
建物全体がしんとしていて、他の団員の気配もまるで感じない。
「アビたん。まず先に聞いておきたいことがあるにゃ」
「何でしょう」
腕組みをして、ボクの目をまっすぐに見る団長の視線。揺れ動いたままの気持ちでは、しっかりそれを見返すことが出来なかった。
「ミーティアキトノは、団員の誰かがやりたいことを団員のみんなで叶えるために存在しているにゃ」
質問ではないのか。
とは思ったが「はい」とだけ答えた。団長の表情にいつもの朗らかさがなく、これから話すことに重大な何かがあることだけは分かる。
「アビたんは、フロちのことが好きかにゃ?」
「すっ。好きって突然何を――」
真面目そうに見せて、またいつものおふざけかと反応しそうになった。でも団長の目は笑っていない。
「それは……団長だってご存知じゃないですか。ボクがそんなこと、考えるわけないんです」
「でも助けたいんじゃないのかにゃ?」
「それはもちろん助けたいです。助けられるものなら……」
「本当かにゃ?」
団長はボクに、どう言わせたいんだ。自分でこうじゃないかと言っておいて、肯定したら疑って。
「どうして助けたいにゃ」
どうして? 人を助けたいと思うのに、理由なんてあるものか。
「咄嗟の判断でエコリアから飛び降りてしまった、とかいうなら分かるにゃ。でも今はそうじゃないにゃ。あの妙な連中のところから、どうやったら無理やりに取り返すことが出来るか。アビたんはそれを悩んでたんじゃないのかにゃ?」
そういうことか――。
団長はボクが悩んでいたことを知っている。首都での話を聞いて、その気持ちが薄れたことも。
助けに行かないなら、この話はここで終わり。
でももしも助けに行くなら、そんなことをして怪我の一つもせずに帰って来れるとでも思っているのかと。
そんなことをするのに理由がないなんて、馬鹿げたことを言う気かと聞いている。
「あたしが首都でフロちがあいつらの仲間だと話したのは、アビたんがどうしたいのか考えてもらうためにゃ」
「ボクがどうしたいのか?」
問い返すボクに、団長はただ頷くだけだった。
「フラウは、クアトたちと一緒に人を死なせたりしたんですか」
ワシツ夫人から聞いた、彼女の噂を思い出していた。仲間だというなら、そこにあいつらも介入していたことになる。
「仲間と言ってもにゃ、役割が違うみたいにゃ。でも、フロちが何かしたんじゃないかっていう噂のいくつかは間違いなさそうにゃ」
「そう──ですか」
「証拠はないけどにゃ」
ボクが黙ってしまうと、団長はトイガーさんに説明するよう促した。するとトイガーさんは、部屋の奥に置いてあったたくさんの資料を取りに席を立つ。
ボクが、どうしたいのか?
さっき言われたことが、頭の中をぐるぐる回っていた。
迷ってはいるけれど、極論を言えば選択肢は二つしかない。フラウを助けるか、助けないかだ。
もちろん団長は、方法論とかを聞いているのではない。
フラウはボクの目の前で、いわばボクのせいでさらわれた。ボクが無力なせいで。
でも実は彼女はあいつらの仲間で、とても善人なんてことはなくて。
結局ボクに分かっているのは、それだけだ。これで一体、どうやって考えろと言うんだ――。
「では説明するですにゃ」
持ってきた薄紙の資料を広げながら、トイガーさんが言った。どこかの
首都で聞いた話の詳細ということだろう。
「まずこの国の、男爵という爵位についてですにゃ。準貴族などを除けば、最も下の爵位だというのは知っていると思うですにゃ」
トイガーさんもボクの目をじっと見て、理解しているか確認しながら話しているらしい。それにボクは頷いて答える。
「では、これは知っているですにゃ? 基本的に、男爵には領地が与えられないですにゃ」
そうなんだ、それは知らなかった。でもだからといってそれが何か――。
「ええっ!」
「気付いたかにゃ」
「フラウは、亡くなったご主人の遺した荘園に住んでるって!」
二度、トイガーさんは頷いた。そうだそれがおかしいのだ、というように。
「それから、これはもう聞いてるはずですにゃ。エリアシアス男爵という家は、ないですにゃ」
「ええ……」
住んでいる場所も、身分も嘘。フラウが一体何者なのか、見当もつかない。フラウと出会ってからの場面ごと、色々な表情で語った彼女の言葉が、どれも信用出来なくなる。
――あれ?
そんな家はないって、おかしいじゃないか。
ボクだけを騙すならともかく、どうしてメルエム男爵やワシツ家の人たちまで騙せているんだ。面倒をみてもらっているという、ユーニア子爵のことだっておかしい。
貴族の身分を騙るなんて、そんなに簡単なことなのか?
「あの。宮廷に出入りする人たちには、分からないものなんですか?」
「よく気付いたですにゃ」
このタイミングで、かなり希少なトイガーさんの笑顔を見ることになった。普段なら「おお……」と感動しているところだが、今はそんな気分でもない。
「エリアシアス男爵という家はないし、そういう人物が居た事実はないけれども、エリアシアス男爵という家名はあるですにゃ」
「え――ええ?」
謎かけのような答えに、ボクの頭は混乱するばかりだった。
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