第65話:御使の記憶ー3
新しい監督者が来て変わったことは、もう一つあった。
それまでお役目に使う薬は大人たちが用意していたが、子どもたちも自分で薬を作る機会が与えられた。
まずレシピを理解するために、読み書きと簡単な計算が教えられた。それが出来るとすぐに、実際の調合を教えられた。
読み書きと計算で半分以上、意外と気を使う調合で一割ほどの子どもたちが音を上げた。フラウには問題なく出来たが簡単でもなかったので、音を上げた子たちが劣っているとも思わなかった。
「塗るわよネファ」
「ひいっ!」
「何よ、情けない声を出して」
「ニヒテは塗るって言ってからが早いよ。しかもいっぱい。タイミングってあるだろう?」
ネファとニヒテは、よくお互いの薬を与え合っていた。口げんかも度々していたが、気が合っていたのだろう。
フラウが相手を選ぶことはなかった。体格で量と効果に差があることを聞いて、自分でも検証してみたかったからだ。
レシピをまとめた本は大人たちの部屋にあったから、フラウは熱心に通って読みこんだ。
その本には薬の効果も記されていた。教わったばかりの読み書きでは難解な書き方だったが、ここでお役目に使われている薬は概ね毒だと知った。
大人たちが言っていた通り、それを使ったからすぐに死んでしまうような物は使われていない。
体の一部を麻痺させたり、幻覚を見せたりするような物がほとんどだった。
人体で実験しているのね。
それを酷いとは思わなかった。動物で実験しても人間と結果が異なることはあるらしいし、綿密な結果の出るほうが良いに決まっている。
ある時、同じ部屋の子どもたちの一人が体調を崩した。微熱が続くほかは辛そうな咳をしているだけで、当人は平気だと言っている。しかしそれがひと月以上も続いた。
フラウはレシピの本に書いてあった効能を思い出してみた。そこから逆に考えて、何の病かを推し量る。
ニヒテとネファに意見を聞いたが、よく分からないと言われた。それが分かったところで、どうするのかと聞かれもした。
どうする? 薬を使えば治せるけど――それでどうするの?
治すことに意義があるのか、答えは出なかった。
その子が死んだところで、代わりは来る。治療中だからと、お役目に影響を与えることのほうが問題だ。
そうか、それもお役目としてやればいいんじゃない。
名案だと思った。だから次に薬を変えるタイミングで、その子を相手に選んで治療薬を与えることにした。
その最初の日、検討を重ねて調合した治療薬と、咳を抑える薬を飲ませた。治療薬はある程度の期間をみなければ効果が分からないが、咳を抑えるほうは、一時間もしないうちに効果があった。
「これ、いつものとは違うね。飲んだら、咳が出にくくなったよ」
「ええ、新しいのを教えてもらったの」
思った通りの効果があるようだ。その事実には、フラウにも達成感のようなものがあった。このまま病気を治せたら、本来のお役目とは目的が違っても意味はあるのではと思った。
投薬の四日目、フラウの提出している資料を元に、クラートがその子の様子を見た。
「フラウ。これは本当に、この通りにしているのかい?」
「はい」
いつもしているのと同じように返事をしたつもりだったが、クラートは納得していない。フラウの顔をしばらくじっと見て、最後にため息を吐いた。
「余計なことをしないでくれ。殴られるのは私なんだ」
あの男が来る前には見たことのない、疲れた表情だった。大人たちが子どもたちの部屋を訪れる頻度は、以前と比べるべくもなく減っている。
大人同士で居る時の空気がどんなものなのか、フラウはそれだけで察した気がした。
明日からこれでやるようにと渡されたレシピは、見覚えのあるものだった。レシピの本に載っている、殺害を目的とした毒薬。
用法通りに服用させれば、思った通りの日数で相手を弱らせて殺すことが出来る。
「頼むよ、本当に……」
力のない声を置き捨てて去っていくクラートの背中に、フラウはもう何の感慨も覚えなかった。
その子が予定通りに死んだあと、フラウが指示されるレシピは、相手を死なせるものばかりになった。
本来は死なせない薬であっても、どれくらいで致死量に達するのか。本来は死なせる薬であっても、死なせない境はどれくらいか。
そんな検証ばかりになった。
対象になる子どもが、どういう基準で選ばれているのかは知らなかった。そもそも知りたいと興味も湧かなかった。
もう何人目だったか、今日からフラウの相方はこの子だと指定されたのは、ネファだった。
そうだと知った時、名前さえも何といったかというような他の子とは違う思いがあった。
その思いが具体的にどういうものか、説明するのは難しい。ただ、いつもは淡々と作業と記録を繰り返す以外に何の気持ちも抱かないのに、これを続ければネファは死ぬんだなと、漠然とした事実確認のようなものが心の中で繰り返されていた。
「ふ……あぶっ! ふら……これ……おわ……り?」
「ええ。うまくいったわ」
「……さすが」
どす黒く変色した血を吐きながら、ネファは笑って死んだ。
何日か前に「これって僕は死ぬんだろ? そんなのをやらせてもらえるって、フラウはすごいな」と無邪気に褒めてくれたのと同じ顔だった。
ネファが死んだことにニヒテも気付いていたはずだが、特に何を言ってくることもなく、変わった様子もなかった。
ネファの死体を見ながら記録を締めくくって、何故だか濡れている自分の頬をフラウはごしごしと拭きとった。
それからフラウは、感情というものがよく分からなくなった。
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