第51話:焔立つ
「こんな時間に届け物なんて、何ごとかと思ったわ」
「配達屋さんだったの?」
既に就寝していた夫人二人を起こしてしまった。
そのことについては「どうせ早起きしたところで、やることなんてないわ」と咎められなかったが、アレクサンド商会名義の、大量の荷物を、こんな時間に、なぜボクが、と四つの疑問をぶつけられていた。
「うちとアレクサンド商会とは、付き合いが深いんです。ボクが世話になったお礼をしたいと相談したら、こんなことになったそうで」
「あのアレクサンドと? 大きな商いをしているのね」
ミーティアキトノを知らなかったフラウも、アレクサンド商会は知っているらしい。
ハウジア王国で流通している品物の四分の一を握っているとまで噂されるところだから、知らずに居るほうが無理かもしれないが。
もちろんそれは、大袈裟に誇張された噂に過ぎない。ただ、その噂を口にしたとしても「そんな馬鹿な」と一笑に付されないだけの説得力は持っている。
「それは分かりましたが、どうしてこんな時間に? それもアビスさんが」
「それを聞かれるとボクも困るところですが、用意が出来たと聞いた団長が、すぐに持っていけとボクを名指ししたんです」
「団長――ああ、あなたと一緒に男爵夫人を助けてくれた方ね」
肯定すると、ワシツ夫人は何やら複雑な表情を浮かべた。驚きと困惑が入り混じったような。
「大商人のお気に入り……ううん、悪くはないと思うけど。まあこういうことは成り行きかしらね」
「はい?」
「いえ、こちらのことよ」
夫人が突然に何を言ったのか理解出来ず、フラウの顔を窺った。しかし彼女は優雅にお茶を飲むだけで、ボクの視線には気付かない。
「奥さま。事情がよろしいようでしたら、お休みになられたほうが」
会話が途切れたのを見計らって、アンさんが言った。二人の夫人は夜更かししてもいいと言っていたが、やはりそういうわけにもいかないのだろう。
あれ、そういえばセクサさんの姿が見えないな。
「そうね。詳しいことはまた明日聞けば良さそう。アビスさんのお部屋を用意してあげて」
「畏まりました」
泊めていただくなんてそんなと遠慮する前に、アンさんは部屋を出て行った。
しかし実際のところ、遠慮する気持ちはありながらも甘えるしかない。日が変わってから、既に相当の時間が経っている。全ての門は閉ざされているし、岩盤回廊も封鎖されてしまっただろう。
こんな時間でも開いている宿屋は怪しいし、ここに泊まらないとすれば野宿するしかない。
いや野宿そのものはいいけれども、王城のある首都でそんなことをしていれば、兵士に見つかった時の手続きが面倒臭いのだ。
「すみません。図々しいですが、お言葉に甘えます」
「そんなことはないわ。ゆっくり休んでね」
立ち上がった夫人は何やら大きなあくびをして
「あらごめんなさい。急にとても眠くなってしまったわ。お先に失礼するわね」
と微笑んでから部屋を出て行った。
どう見てもそんな気配はなかったんだけど――。
「フラウは大丈夫です?」
「私は全然。部屋の準備が出来るまで、ここに居るわ」
「気を遣わせてしまって、すみません」
どんな顔をして良いか分からなくて、頭を掻いた。フラウはただ「構わないわ」と笑ってくれた。
――それからどれくらい時間が経っただろう。急に客室の準備なんてそんなにすぐには出来ないだろうけど、それが終わる前だった。
首都の住民のほとんどが寝静まっているはずの、この時間。遠くから、たくさんの人の騒ぐ声が聞こえてきた。
「何でしょう?」
「え、何が?」
その喧騒は、すぐにワシツ邸をも取り囲んだ。まさかお祭りでもあるまいしと思っていたが、やはりそんな楽し気な雰囲気ではない。
怒声と悲鳴の入り混じった、混乱が伝わってくる。
「お二人とも、避難の用意を! 私は奥さまのところへ行って、すぐ戻ります!」
駆け付けたアンさんは冷静だった。しかしその声には、緊張感が多分に含まれている。
もしかして、避難と言ったのか?
城壁が五層にもなるこのリベインで、そんなことをしなければいけない事態があるものなのか。明確にそう思ったわけではないが、信じ難い気持ちを分析すればそういうことだっただろう。
「火事でも起きたのかしら」
フラウが窓のほうへ歩いて行った。
なるほどそれなら、ないとは言い切れない。あとは戦争くらいだろうけれど、それはさすがに様子が違う。
ボクも外の様子を見るために、椅子を立った。
「おおおおっ!」
気合いを入れるような、雄々しい声が外から聞こえた。それはすぐそこ、目の前にある壁の向こう側。
「フラウ!」
駆け寄ってフラウを突き飛ばすのと、壁が砕け散ったのは同時だった。砕けた石と漆喰が、ボクの体を無数に打つ。
「がはっ! く、う……」
床に倒れて悶絶するボクの前に、女性の脚が伸びる。顔を見る余裕はなかったが、その声に間違いはないだろう。
「おやあ? これは悪いことをしちまったねえ。わざとじゃないから堪忍しておくれよ?」
その女は警戒係なのか、部屋の中を物色しているようだ。
「まこと、すまぬな。手当てもしてやりたいところだが、時間がない。無事を祈る」
続いて入ってきた巨漢の男はそう言って、その通り足を止めることなく室内に入ってきた。
それからボクがフラウを突き飛ばした方向に足を向ける。「あっ」と短くフラウの声がして、男女二人組は屋敷を出ていった。
ボクが上体を起こせるようになった時には、思った通りフラウの姿は見当たらなかった。
破れた壁の向こうに、火の手が見えた。ここからは離れた場所だが、一つや二つではない。
爆発音も何度か聞こえた。
息苦しく咳き込みながら呆然とその光景を眺めていると、ワシツ夫人とアンさん、それにコムさんが戻ってきた。
「アビスさん!」
「あ――す、ませ――」
すみませんと言ったつもりだったが、声が出なかった。喉が潰れた感覚はなかったが、どこか怪我でもしているのだろうか。
「謝ることなんて何もないわ! 自分の心配だけしていなさい!」
抱き起こしてくれた夫人が、叱りつけるように言ってくれた。
「奥さま! 男爵夫人はいずこに!」
「えっ、ここに居たはずだけど――」
遅れてやってきたエレンさんの言葉に、ワシツ夫人も一瞬だけ言葉を失った。
「さら、さら――われ――」
「さらわれた?」
頷くと「何てこと……」と、夫人は気色をなくして力も抜けた。
「すみま――せ」
夫人の驚愕を目の当たりにして、やっと現実が認識出来たのかもしれない。ボクの頬を涙が伝った。
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