第44話:人の行き交うところ
午後の市が開かれる通りからは、一つ外れた路地。
一般住民の住む家の背中と、また別の家の側面とが突き合っていて、何をすることも出来ない細い隙間がそこにあった。
その隙間は、例え太陽が真上にあっても明るくなることはない。理由は単純に、その隙間の上には庇が飛び出ているからだ。
庇の上は日光を充分に浴びて暖かく、強すぎない風も通り過ぎていく。重なり合うように建つ家並みも、適当な目隠しになる。
ボクはそこで、ひなたぼっこを決めこんでいた。
寝転んだ視線の先を、もう何百人が通り過ぎたのか分からない。それでもきっと、ボクがここに居ることに気付いた人は居ないだろう。
人と建物がひしめき合うこんな中にも、いやこんな中だからこそ、死角はいくらでもあるのだ。
昨日、エレンさんと一緒に魚を買った店は、今日も新鮮な魚介類を並べている。好きな物を買えと言われたけれど、これまで食べたことがなかった川魚にしてもらった。
海の魚と違ってさっぱりしていて、おいしかったな……。
おや。あれは布屋の奥さんと、木工屋さんの奥さんだ。仲良くお買い物か。その向こうに居るのは、金属細工の親父さんだな。油でも買いに来たんだろうか。
この数日で尋ねた店の人も通ることがあって、やはり全く知らない人の行動よりは興味をそそる。
もちろんずっと付け回して、行動を暴こうなんて気はさらさらないけれども。
ああ――来たな。
フラウの参加している慰問団の人たちは、揃いの肩掛けをしている。面子はしばしば入れ替わるので、メンバー証のようなものらしい。
グレー地に黄色い刺繍の入った肩掛けが、今日は二つ見えた。
刺繍はユーニア家の紋章か何かかと思ったらそうではなく、目印に星が入っているだけだった。
あれ、今日はフラウの番なのか。
二人のうちの一方は、見間違うことなくフラウだった。もう一人は何日か前に一度見た、年長の女性。
慰問団の人だってもちろん食事はするし、それ以外にも日々使う物はあるだろう。そういった物を毎日、二、三人で買いに来るのだ。
そんなに買う物があるのなら、もっとたくさんで来て一度に買ったほうが効率的だし安く済むのにと最初は思った。
でもどうやらジューニに来ている間は休日が全くない代わりに、ここへ息抜きに来ているようだった。
中でもフラウは、これまで一度も来たことがなかった。遅れて参加したことで遠慮しているのかもしれないが、心配に思っていた。
数日前に、疲れていないか聞いてみると「体調を聞いて、それに合った品物を渡すだけだもの。疲れようがないわ」と言っていた。
そんなものか、とは思えない。どうもフラウは自分自身のことについて、無頓着な気がする。でも今日やっと来ることにしたらしい、と少し安心した。
フラウは同行していた女性と、何ごとか話して別れた。買いたい物が違うらしく、その女性は脇道にある出店のほうへ向かった。
あっちはすぐに食べられる屋台ばかりだけど……。
見ているとその女性は、間食にちょうどいいような食べ物ばかりをいくつも買い、低い石垣に座っておいしそうに頬張り始めた。
ああ、いい休憩の過ごし方だ。
一方フラウはボクが居る目の前を通り過ぎて、野菜なんかを売っているほうへ向かった。
食材の買い出しでも頼まれたのかな? と思ったが違った。どうもフラウが手に取っているのは、薬草や香草の類だ。
うわあ、仕事熱心にもほどがあるよ……。
買い物を終えて戻ってきたフラウに、声をかけようか迷った。
しかしそのつもりがなかったとは言え、自分の行動を高いところから見られていたなんて、気持ちのいいものではないだろうなと、今更なことを考えて見送ることにした。
「フラウ!」
来た道を戻るフラウの背中から、呼び止める声がした。彼女も気が付いて、振り返る。
軽く駆けて来たのは、デルディさんだ。二日目に案内をしてもらって以来、本来の業務に戻ってしまったので会っていなかった。
チュニックだけを着ているところを見ると、今日は休みだろうか。
「あら。今日はお休みなの?」
「今日は午前の訓練だけだったんだ。君のところへ行こうとしてたんだよ」
「どこか悪いの?」
心配した様子もなくフラウが聞いたのも当然で、デルディさんは元気いっぱいだった。気分が悪いとか怪我をしたとか、そんな気配は欠片もない。
「そうだな。胸が苦しくて」
「――へえ」
呆れた風にフラウが答えて、二人は歩き出した。集会所へ行くのかと思いきや、ボクが居る路地に入って来る。
この路地の先は、袋小路だ。この路地そのものに用がなければ、入って来る必要がない。
「あんなところに来られても、どうも出来ないでしょう」
「ちょっとだけでいいんだ。少しの間、ぎゅっと出来れば」
ああ――。
二人は周囲に誰も居ないことを確かめて、置かれていた樽の陰に身を隠した。
やれやれという感じでフラウが薄く笑うと、デルディさんはフラウの華奢な体を力強く抱きしめる。
やがてどちらからともなく、二人は唇を重ね合った。
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