第3章:要塞都市の即興曲

第31話:黒衣の少女ー6

 フラウがワシツ邸から宿に戻ると、受付の前に一人の女性が立っていた。

 宿の従業員ではない。見覚えはなかったが、ユーニア子爵の手配した誰かだろうと察しがついた。


 その通り、その女性はフラウに向かって頭を下げ、持っていた獣皮紙の封書をフラウに差し出した。


「エリアシアス男爵夫人でいらっしゃいますね? 当面のお世話を命ぜられました、セクサと申します」


 その言葉に嘘はないだろうが、すぐに「じゃあよろしく」とは言えない。宿の者からすれば――事実そうだが――今初めて会った者同士なのだ。その言葉をすぐに信用するなど、不用心を通り越したおかしな事態だ。


「あら、そうなの。まずはそれを確認させていただくわね」


 封書には間違いなく、ユーニア子爵の封蝋が施してあった。受付のメイドにナイフと明かりを借りて、隅にある小さなテーブルでそれを開いた。

 連絡係として、侍女セクサを送る。書面はそれだけだった。


 しばらくは、この人が面倒をみてくれるのかしら?


 危急の事態があったとはいえ、男爵夫人を名乗る人物がいつまでも一人で放っておかれるのはいかにもおかしい。まずはその状況を解消する人員ということだ。


 それにフラウ自身、仕事の腕はまあまあであっても勤勉さに欠ける、と自分で評価していて、使う側もそう考えているだろうと判断していた。

 だからセクサは、良くも悪くもフラウがをしないようにするための子守り役だと考えた。


「確認したわ。子守りの経験はおあり?」

「まだその経験はございません。ですが夫人の行いは慎ましく、私どものような者にもお優しい方と伺っております。失礼ながら、乳飲み子のように可愛らしい方だとは思いましたが」


 忙しくしているところなのだから、赤子のようにおとなしくしていろ。ということね。はいはい、仰せのままに。


「まあ。そのように褒めてもらっても、お礼くらいしか言えないわ」

「それだけで十分でございます」


 にこやかに話す二人を見て、受付に立つメイドがほっとした表情を浮かべるのを見た。

 カテワルトで一番を誇りとするこの宿で、宿泊客に取り次いだ来訪者がおかしな者であっては困るのだろう。恐らくメイドは、店主にきっちり見ておくように言われていたに違いない。


「あなたもありがとう。聞いての通り、この人も私の部屋に泊まることになったのだけれど、構わないかしら?」

「控えの間をご使用になられるのですね。もちろん結構でございます」


 宿泊代とは別に銀貨を一枚渡すと、そのメイドは人好きのする笑顔で「ありがとうございます」と朗らかに言った。


 ――まあ普通よね。


 特段にけちを付ける必要はないが、フラウにとっては「何だか違う」という感覚になる。


「じゃあ、部屋に戻ろうかしら」

「畏まりました」


 そんなことをいちいち言っていても仕方ないので自分の部屋に向かおうとすると、手にしていた小さな小物袋を「お持ちしましょう」とセクサが言った。


「これくらい自分で持つわ。大丈夫。夜にお花を摘むくらいは、一人で出来るから」

「左様でございますか」


 くすくすと笑いながら二人が去ったあと、受付のメイドが一人、顔を真っ赤にして俯いていた。

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