魔女裁判

 市ヶ谷の役所前にある広場には、朝早くから多くの住民が集まり始めていた。

 広場の中央に設けられた円形の舞台から数メートル離れたところに観覧席があり、舞台をぐるりと取り囲んでいる。後方の席ほど段が高くなっているため、さながら小さなコロッセオのようだった。

 日が高くなる頃にはほぼ全ての席が埋まり、入りきれなかった人々は外に用意された大きなスクリーンに映される中継映像を眺める形になっていた。


 正午を告げる鐘が響いた。

 二人の魔法使いが空から飛来し、舞台へと降り立った。

 彼らは二人がかりで運んできた大きな柱のようなものを舞台の上に取り付けると、それに巻きつけられていた白い布を引き剥がした。

 布の下から現れたのは巨大な十字架で、そこにはりつけにされていたのは黒衣をまとった髪の長い女だった。

 それを見た住民たちは大きくどよめいたが、魔法使いの一人がサッと手を挙げると、次第に波が引くように静かになった。


「かつてこの世界に災厄がもたらされてから、今年でちょうど百年目となる」


 魔法使いの代表、ヒューア・メロードが、拡声器も使っていないのに不思議に良く通る声で話し始めた。


「多くの命が失われる中で我々は魔法の力を授かり、どうにか今日こんにちまで人類を存続させることができた」


 白色人種でありながら流暢りゅうちょうな日本語で話す彼の言葉を、住民たちは一言一句聞き漏らすまいとしていた。


「災厄の日から今日まで我々は戦い続けてきた。時に大きな犠牲を払いながら、いつ終わるとも知れない戦いを続けてきた」


 低く穏やかな声は、しかし次第に力強く響き渡り、それを聞く者は自分でも知らぬ間に精神が高揚していくのを感じていた。


「そしてついに我々は、この長きに渡る戦いに終止符を打った。……既に気付いている者もいるだろうが、今一度、あの空を見上げてみて欲しい」


 そう言って天を仰ぐ魔法使いにつられるように、人々は空を見上げた。

 雲ひとつない、まっさらな青空だった。

 かつて空を見上げればいつでもゴマ粒のように点在していた黒い害獣の姿は、今やどこにも見当たらない。


「百年間、我々の頭上を押さえつけてきた害獣は、全て消えた! 我々は、この世の最も大きな災厄の根源、『災厄の魔女』をついに無力化することに成功したのだ!」


 大きな歓声が響き渡った。

 それは市ヶ谷の広場だけでなく、外のスクリーンや他の街でテレビ中継を見ている人々全員に伝播でんぱし、広がっていった。

 魔法使いはしばらくその熱狂を黙って見守り、人々が落ち着く頃合いを見計らって再び口を開いた。


「罪には罰を与えなければならない。我々は本日これより、『災厄の魔女』の処刑を執行する。だがその前に……確かめなければならないことがある」


 ザワザワと人々の間に囁き声が満ちた。


「なぜ、人類は滅びかけなければならなかったのか。『災厄の魔女』は、どういった理由で我々をしいたげ、この狭い箱庭に押しやったのか。……ヒューア・メロードの名において許可する。魔女よ、話してもらおう」


 人々は一斉に口を閉ざし、『災厄の魔女』の姿を固唾を飲んで見守った。

 奇妙な沈黙が広場を包んだ。

 ややあって、『災厄の魔女』がゆっくりと頭を上げた。


「……人間の怒りや憎しみこそが、私の至上のよろこびであり、甘美なるしずくです」


 魔女という呼び名にそぐわない、若々しくもどこかつやのある女性の声だった。

 不思議と心の隙間に入り込んでくるような、甘い毒に似た響きを含むその声は、歌うように言葉をつむいでいった。


「人間が願いを抱くようになった頃から、私はこの世界に揺蕩たゆたっていました。人間というものは実に素晴らしい生き物です。いつの世も互いに争わずにはいられません。私は彼らの憎しみを得て少しずつ形を成し、そしてついにあの日、この世に顕現けんげんしたのです。一九六二年の十月二十七日。今のあなた方には知るすべもありませんが……あの日、遠い地で、世界中を巻き込むほどの大きな争いが起ころうとしていました。世界規模の大戦の、ほんの一歩手前まで緊張が高まっていたのです。破裂寸前の風船の如く高まる不安と緊張、不信感、疑心暗鬼、苛立ち、憎しみ……その素晴らしい感情の数々を一気に吸収して、私はついにこの姿を得ることができました。だから私は、お礼をすることにしました。人間の最も美しい瞬間……花火のように一瞬で弾けて消える命の灯火、そのきらめきを差し上げようと。それは本当に美しくて、私は心から感動したのです。この世界は輝きと幸福に満ちている。こんな素晴らしい世界に私を生まれさせてくれてありがとう、と……」


 人間とは明らかに違う、異質な価値観。美しい声で紡がれるその話を聞くうちに、人々は胃の底が冷たくなるような感覚を覚えていた。

 美しい女性の姿をしてはいるものの、決して人類とは相容れぬ異様な存在に、彼らは静かな恐怖と嫌悪感を抱かずにはいられなかった。


「ああ、今も感じます。あなた方の甘美なる感情を、こんなにも私の中に注いで下さるなんて。ありがとうございます。私は、幸せ者ですね」

「……お前は、人間の負の感情を喰って生きる化け物なのか?」


 淡々とした調子で、赤髪の魔法使いが尋ねた。


「そうですね。そう考えて頂ければ理解しやすいでしょう。……ああ、そうそう。何年か前に大森という街が滅びたでしょう? 人間の皆様はどうもそれを、あなた方の怠慢が原因だと信じているようですが……真実は違います。あれは私が自ら手を下した結果、ああなったのですよ。どうか、お間違えのないようにお願いしますね」


 観覧席の最前列に設けられた大森街の遺族たちの席から、困惑の声が上がった。


「わざわざそんなことを言って、彼らの憎しみをき立てようとしても無駄だ。お前はこれから死ぬんだからな」

「それはあなた方の価値観ですね。この身が滅びたとしても私は世界に漂い、少しずつ、少しずつ憎しみの感情を得て、いつの日か再びお会いすることになるでしょう。人間はいついかなる時でも争い、憎しみ合うものですから。こんな箱庭のような世界に閉じこもっていてもなお、それは変わらなかったのですから……」

「その言葉は忠告として受け取っておこう。人類が憎しみの心を捨てられる日が、いつか来ると信じている」

「ええ、その日は必ず来ますよ。全ての人間の命が絶える時にね……」


 魔法使いは観客席へと向き直り、鼓舞するように言った。


「皆、魔女の言葉を恐れることはない。仮にその言葉が真実だとしても、魔女が今の姿を得るためには数万年もの歳月が必要だったということだ。我々が今日この日のことを忘れぬよう未来へと伝え続けることで、その周期を限りなく永遠に近付けることができるはずだ。『憎しみを捨てよ』と口で言ったところで、そう簡単な話ではないだろうが、しかし、可能な限り人間同士で争わずに済むような社会を模索していくことはできる。その理想を追求し続けることこそ、この魔女にとって最も苦い毒となるだろう」


 最初は不安そうな表情を見せていた住民たちも、魔法使いの話を聞くうちに少しずつ勇気を取り戻していったようだった。


「それでは今から五分後に、魔女の処刑を執行する。この魔女は人間ではないが、姿形は実によく人間を真似ている。人の姿をしたものが命を奪われる瞬間を見たくないという者や、幼い子供に過激な光景を見せたくない者もいるだろう。見るも見ないも自由だ。これから五分間のうちに、各々の思うように行動して欲しい」


 魔法使いが告げると、幾人かはパラパラと席を立ったが、ほとんどの者はそのまま動かなかった。

 怖いもの見たさ、あるいは時代の節目を見逃すまいと気を張る者たち。そして、大森で大切な人を失った遺族の多くは、全ての決着を求めてその場に残った。

 様々な感情を抱えたまま、人々はゆっくりと過ぎていく時間を待った。


「時間だ。火を掲げよ!」


 予定していた時間が経過し、宣誓するように魔法使いが手を挙げた。もう一人の赤髪の魔法使いも同じく手を挙げると、その上にごうごうと燃え盛る炎が現れた。


「今日この日は東京国、日本にとって、未来永劫語り継がれる日となるだろう! 我々はこの瞬間から血塗られた過去と決別し、新たな未来へと踏み出すのだ!」


 二人の魔法使いが魔女を挟むようにして向かい合い、同時に手を振り下ろした。

 魔女の体が一瞬にして炎に包まれる。

 真っ赤な炎は魔女に触れた途端に青い炎へと変わり、耳をつんざくような断末魔の悲鳴が辺りに響き渡った。

 魔女の体が燃え尽きるまでの数十秒間、恐ろしい悲鳴は途切れることなく続いた。


 不意に辺りが静かになり、炎が消え、黒い染みのようなものだけが舞台の上に残されると、人々の顔に少しずつ安堵の表情が戻っていった。

 波がうねるようにして徐々にざわめきが膨れ上がり、それはやがて歓声へと変わっていった。

 全てが終わり、そして始まる。

 もう壁に囲まれた狭い世界で一生を終える必要はない。

 どこまでも続く無限の世界が、人類の目の前に広がっていた。


 ◆


「お疲れ様です。熱演でしたね」


 戻ってきた雪美さんに声をかけると、彼女はぐったりした様子で椅子に腰掛けた。


「あー緊張した……ちゃんと映ってた? 変じゃなかった?」

「完璧だったっすよ。演劇か何かやってたんすか?」

「そんな訳ないでしょ……」


 ここは荻窪の地下にある雪美さんの隠れ家だ。何十年も前に放棄された街だけど、この部屋には何故かしっかりと電気が通っている。

 つい先ほどまで私はフーコと二人で魔女裁判のテレビ中継を見ていたのだった。


「でも、本当にこれで良かったのかな。こんな……皆を騙すようなこと」


 雪美さんは髪をかき上げながら、ため息交じりにぼやいた。


「普通の人たちからして見れば、『災厄の魔女』が死んだのは事実じゃないですか。目の前で処刑されて、二度とその姿を見ることはない。それって死んだのと全く同じことだと思いますよ」

「それはそうかも知れないけど……」


 私たちは地上に帰還した後、全ての魔法使いを集めて最後の会議を行った。

 害獣が消滅し、この世界の脅威は消え去ったが、一つだけ問題が残っていた。

 それは他ならぬ、雪美さんの存在だった。

 幻想の魔法使いとして人類を助けてきた彼女と、人類を滅ぼしかけた災厄の魔法使いとしての彼女。それらが一つとなった今、彼女の存在をどう扱えば良いか、誰もが決めあぐねていた。

 何より、数え切れないほど多くの命を奪った存在に対する審判をどうするかという問題があった。

 これらに対して、私は一つの提案をした。

 それは、追放刑だ。

 仮に彼女を死刑にしても、多くの失われた命と釣り合いが取れるとは思えない。それならば彼女をこの世界から追放し、別の世界で、これまでに彼女が奪ってきた命と同等の命を救わせることで、あがないとするべきではないか。私はそう主張した。

 ――実は、それは私がこの世界に来てからずっと考えていたことでもあった。

 前の世界でたくさんの人々を殺してしまった罪を、私はどうすればつぐなうことができるだろうか?

 考えた末に辿り着いたのが、奪った以上の命を救うということだった。

 そんな決意を密かに抱いてここまで来たけれど、私は未だにその道の途中にいる。

 結局の所、償いのために何かを差し出そうとしても、それを受け取ってくれる人が誰もいなくなってしまった場合、罪の所在は自分自身の中だけに残る。ゆるしてくれる人が誰もいないのだから、自分で納得して自分を赦す以外に方法はないのだ。

 私の考えを彼女に押し付けるのは違うかも知れないと思ったが、私は、ごく個人的な感情として、雪美さんには生きていて欲しいと思った。

 しかし、憎むべき対象に死を与えることは、大切なモノを奪われた人々の怒りをしずめるための有効な手段の一つであることは確かだろう。

 だから私は雪美さんに、死による贖罪と、命を救うことによる贖罪の両方を行うことを提案したのだった。

 そして今日、『魔女』の処刑が行われた。

 災厄をもたらした『魔女』は死に、害獣は消え、この世界の未来はひらかれた。

 大森で家族や友を失った人々も、街が壊滅した原因が『魔女』にあったことが分かり、その犯人の死をもって、過去と決別する……そういう筋書きだった。

 自分たちの思うように人々の心を操作する。明け透けに言ってしまえば、つまりはそういうことだ。それに対して雪美さんが複雑な気持ちを抱くのは理解できた。


「……もっと、石とか投げられるかと思った」

「確かに予想より静かだったっすね。あんたの演技が怖すぎたんじゃないっすか?」

「うー……やりすぎだったかなあ……?」

「いえ、それもあるかも知れないですけど」


 しょんぼりと落ち込む雪美さんをフォローするために、私は自分の意見を話すことにした。


「もしかしたら、皆それほど『魔女』のことを恨んでいなかったのかも知れません」

「……どういうこと?」

「ほら、変な言い方ですけど、この世界って平和だったじゃないですか」

「んー……?」

「少なくともここ数十年は、害獣による大きな被害はほとんどなかった。……もちろん例外はありますけど、多くの街では平和みたいな時間が長く続いていたんです」


 百年という時間が経過し、世代交代が進み、災厄の日を覚えている者は魔法使い以外ではほとんどいなくなった。

 多くの人々は生まれた時から壁の中で暮らしていて、害獣を直接見る機会すらないまま一生を終えることも少なくなかったはずだ。それは魔法使いたちが全力で彼らを守ってきたことの結果であり、間違いなく誇るべきことなのだけれど、それゆえに彼らはこの世界を特別悲惨なものとは思っていなかったのかも知れない。

 もちろん学校ではその歴史を教えているだろうけど、目の前に差し迫っていない脅威は、どこか遠い世界の話のように聞こえていて……だから、今日いきなり『災厄の魔女』が目の前に現れても、その存在に対して心から憎しみを抱くことができない人も多かったのではないか……。

 そんな推測を、私は雪美さんたちに語ってみせた。


「なるほど……平和ボケね」

「簡単に言えばそうですね。この世界にはあまり似合わない言葉ですけど……」

「そう? ショウくんの意見を踏まえて考えれば、この世界も私たちがいた世界も、そんなに違わないんじゃないかな。たまたま私たちは戦争のない時間と場所に生まれたけれど……地球のどこかでは、ずっと戦争してる国だってあった訳だし」

「え、そうなんですか?」

「うん。だからまあ……規模や条件が違うだけで、実質的には私たちも壁の中で生まれて育ったようなものだったのかもね……」


 そう言われてしまうと、私が生まれたあの世界も、この世界とあまり変わらないような気がしてきた。

 もしもあの世界が滅びなかったとしても、私はきっと日本から出ることなく一生を終えただろう。これまでも、そしてこれからも、世界はおおむね平和なのだと信じて疑うこともなく……。


「そう考えると、これから壁が取り払われるこの世界の方が……何だか希望に向かって進んでいけるような気がしますね」

「そう……そうだね。でも多分、そう簡単な話にはならないと思うよ」

「えっ?」

「さっきの『魔女』じゃないけど、人間は人間同士で争う生き物だから……」

「今度は人と人が殺し合う時代になるってことですか?」

「それならまだ分かりやすいんだけど、この世界には魔法使いと眷属っていうイレギュラーな存在がいるからね。どう転ぶかは予想もつかない」

「そんな……」

「……どうにかしたいなぁ」


 雪美さんが最後に呟いた言葉の真意は分からなかったけれど、私にできることは、この世界が明るい未来へ向かうように祈ることだけだった。



 それから、雪美さんの追放刑が実施されるまで、一年間の時間を要した。

 この一年というのは完全に私の都合によるものだったのだけれど……その空白の期間に雪美さんは残りの名付きの害獣を討伐してくれたり、壁を段階的に撤去するための工事に力を貸してくれたり、街の周りの密林を伐採する手助けをしてくれたりと、大活躍だったらしい。

 そしてその間、私は何をしていたかと言うと……。


「……あっ、空手ー! ショウさまが目をさました!」

「マジっすか! えっちょマジっすか!」


 ドタバタと騒がしい音を立てながら現れたフーコの姿を見て、私はようやく戻って来たことを実感した。

 私はこの一年間、自分の固有空間の中に潜っていた。

 骨の怪物へと変貌してしまった魔法少女の肉体を取り戻すべく、魂だけを固有空間に飛ばして、あの呪いのような強烈な力を少しずつ調伏ちょうぶくしていった。

 そして長い長い自分との戦いの末に、ついに魔法少女の肉体を再構成することに成功したのだった。


 骨の怪物が溜め込んでいた膨大な魔力を得たことで、ようやく雪美さんの追放刑を実施することができる。

 実のところ、本物の魔法使いである雪美さんなら一人で別の世界へ行くこともできるのだけれど、この件に関しては私が彼女を導き連れて行こうと心に決めていた。

 私の願う世界。

 それが彼女にとって救いになれば良いのだけれど。


「ただいま、フーコ。すみれちゃん。久しぶりに会えて嬉しいけど、すぐに出発しないといけないんだ」

「……とうとう、行くんすね」

「まあ、ちょっと行って帰ってくるだけだよ」

「世界間の移動は、時間が大きくズレることがあると聞いたっす」

「ああ……雪美さんから聞いたのかな。まあ確かにそういう可能性もあるけど……」

「自分はいつまでも待ってるっすよ。ショウさんは必ず帰ってきてくれるって、信じてるから」

「なんだか待たせてばっかりみたいだね。なるべくそうならないように努力するよ」

「……約束っすよ」

「うん。約束。フーコに黙ってどこかへ行ったりしない」

「ありがとうございます。でも……」

「でも?」

「もしもその世界がショウさんにとって大切な場所なら……約束、忘れちゃってもいいっすよ」

「……フーコは優しいね。でも大丈夫、必ず戻ってくるよ」

「はい。……待ってます」

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