憧れの高校生活1

 その日の朝のホームルームは、いつもより遅い時間に始まった。

 慌てて教室に入ってきた担任を見るともなしに見ていると、その後ろに続いて小さな人影が入ってくるのが見えた。


「えーと急な話で先生もちょっとそのー、アレなんだけど。今日はこのクラスに体験入学の生徒が来ることになりました」


 にわかにクラス中が騒がしくなる。

 先生にうながされて教壇に立ったのは、私たちの学校の制服を着た背の低い女の子だった。

 小さいのは背だけではない。顔や肩幅、手足の細さなどは、まるで中学生のように見える。

 見る者に活発な印象を与えるぱっちりとした瞳と細くしなやかな短い髪は、どこか見覚えがあるようで……。

 ……いや、というか。

 私は……厳密に言えば私と元一は、間違いなくその女の子に見覚えがあるはずだった。


「どうも、山中風湖っす。よろしくお願いするっす」


 聞き覚えのある声。特徴的な語尾。

 こめかみや背中にじんわりと汗がにじむのを感じる。脳が目の前の現実を受け入れることを拒否しているかのようだ。

 というか何やってるんだあの人は。意味がわからない。


「あっ、ショウさん! 今日はよろしくっす!」


 そんな私の混乱を知ってか知らずか、体験入学の少女こと空手の魔法使い……フーコは、思いっきり私の名前を呼びながら手を振っていた。

 え、知り合いなんだ、といった呟きがクラス中から聞こえてくる。

 ちっちゃくてかわいい、中学生かな、武敷くんとどういう関係なんだろう? ……そんなざわめきが広がっていく。

 実はその人はこの街を守ってくれている魔法使い様なんだよ、などと説明しても、恐らく誰も信じないだろう。それほどまでに、彼女の顔は一般の人々には知られていないのだった。


「えー山中さんの席は……あー、後ろに追加した席だと黒板が見えないかな。それじゃあちょっと席移動して、武敷君の隣につけてもらおうか。二人は知り合いみたいだし、その方が都合がいいよね?」

「はい! 先生さん、ありがとうっす!」


 なんだろう、これは。一体何が起こっているんだ。

 私の意志とは無関係に突拍子もない話がどんどん進んでいるような気がする。

 ガタガタと机を動かして隣の席に移動してきたフーコは、私の胸中を察する様子もなく、物珍しそうに教科書をパラパラとめくっていた。


「あのー……フーコさん、これは一体どういうことですかね……?」

「ショウさん。敬語はやめて欲しいって言ったっすよね」

「あ、ごめん」


 あからさまに不機嫌そうな顔をするフーコに思わず謝ってしまったが、そういうことではない。


「フーコ、とりあえずホームルームが終わったらちょっと二人で話そう」


 私がそっと顔を近付けて言うと、彼女はパッと表情を変え、嬉しそうな満面の笑みで頷いた。

 そんなに喜ばれるようなことは言っていないと思うんだけど……まあ、あまり気にしないでおこう。


 クラス中から好奇の視線に晒されているかのようなホームルームが終わると、私たちは足早に教室を出た。

 誰にも邪魔されず二人きりで話せる場所、と考えて真っ先に思いついたのは、屋上だった。

 この学校の屋上は工事やメンテナンスのために業者が入る時以外は、生徒はもちろん、教師でも許可がなければ立ち入ることはできない。

 つまり、いつでも自由に出入りできるのは魔法使いか鳥くらいしかいないのだ。


「空を飛んじゃいけないっていう校則がなくてよかったっすねえ」

「そんな校則があるのは魔法使いの学校だけだよ」

「いいっすね、魔法使いの学校。毎日楽しそうっす」


 なんだろう、彼女とのたわむれにも似たやり取りの中に、どこか憧れのような感情が垣間見えてしまって仕方がない。

 ショーウィンドウの向こうに飾られた宝物を、キラキラと輝く瞳で遠くから眺めている少女。私は少し後ろからその光景を見ている。……例えるならそんな感覚だ。

 本題に入る前に脱線するのもなんだけど、私はそれが気になってしまって、思わず聞いてみることにした。


「……もしかして今日いきなりフーコが来たのって、単純に学校に来てみたかっただけとか?」


 フーコはきょとんとしたように目を丸くすると、ほんの少し寂しそうな笑顔を浮かべた。


「そんなわけないじゃないっすか」

「そう……? じゃあどうして?」

「今日は例の話をするために来たんすよ。体験入学は……もののついでっす」


 例の話、と聞いて思い当たったのは、今現在も行方が分かっていないシールの魔法使い……すみれちゃんのことだった。

 彼女が私たちの敵となるか、それとも味方になってくれるかはともかく、こうして野放しにしておくのは不安要素にしかならない。なので、まずはその居場所を突き止める必要がある、という話を害獣駆除の日にフーコとしていたのだった。


「すみれちゃんが今どこにいるか、だね」

「その通りっす」

「でも、それならわざわざ学校に来なくても良かったんじゃない?」

「今の所、手がかりは元一さんだけなんすよ。学校の方が皆揃ってて都合がいいじゃないっすか」


 そう、すみれちゃんの手がかりは、彼女の唯一の眷属である元一だけだった。

 彼に話を聞いて、情報を整理する必要がある。

 それくらいなら私一人でもできる……と思ったのだけれど、事前にフーコから、『シールの魔法は応用力が高く、質問を引き金にした魔法を元一に仕掛けていないとも限らないから、今はその件には触れないように』……といった旨のことを言われていたため、今日までその話題は出さないようにしていたのだった。


「それじゃあ今日、元一に話を聞いてみるんだね」

「そうっす。お昼休みにでも……自分も昼には帰るので」

「えっ、一日いるわけじゃないんだ」

「できればそうしたいんすけど、今は街の警戒を怠る訳にはいかないっすから」


 そう言って彼女はまた、寂しそうに笑った。


 それからの授業中、フーコは興味深そうに先生の話に耳を傾けたり、私がノートに板書を写している様子をじっと見つめていたりした。

 彼女は、授業の内容に全くついていけていなかった。

 彼女が魔法使いになったのは中学生の頃で、それから百年もの間、勉強とは無縁の世界にいたのだから当然と言えば当然だ。

 退屈でしょうと私が言うと、とても楽しいと彼女は答えた。


「自分はもう高校生にはなれないと思っていたから、今こうしていられるだけで満足っすよ」


 私は授業の合間の短い休み時間を使って、彼女と一緒に校舎のあちこちを歩いて回った。

 静まり返る部室棟、坂の上にあるテニスコート、体育館裏でひっそりと朽ちゆく壊れた備品の墓場、渡り廊下から見下ろす中庭のベンチ……。

 そのささやかな、小さな冒険を、フーコは心から楽しんでくれているようだった。そんな彼女の様子を見ていると私まで嬉しくなってしまって、彼女が百年を生きる魔法使いであることをうっかり忘れてしまいそうになるのだった。


 いつもは長く感じるはずの授業の時間はあっという間に過ぎ去り、お昼休みになった。

 私はお弁当を作って持ってきていたが、フーコは手ぶらのようだったので、一緒にパンの販売所に行くことにした。

 この学校には学食がなく、購買で食品は扱っていない。そのため、お昼になると専門の業者がパンやお弁当の販売に来てくれるのだ。

 お弁当は競争率が高いと聞いていたのでパンの方へ来たのだけれど……こちらも負けず劣らず混雑していた。

 生徒たちの行列を遠巻きに眺めていると、見知った顔を見つけた。いつものパンを抱えて人混みから抜け出そうと押し合いへし合いしている、りりのだった。


「あら、珍しい。アンタも今日はパンなの?」


 なんとか混雑から抜け出したりりのはそう言いながらてくてくと歩いてきて……そこで私の隣にいる女の子に気付いたようだった。


「あっ、その子が噂の体験入学の……んー?」


 りりのは少し腰をかがめてフーコの顔を覗き込みながら、いぶかしげにうなった。

 一方のフーコはなにも言わずにニコニコしている。まるでいたずらを仕掛けようとする子供のようだ。


「あなた中学生? なんか見覚えがあるような気がするんだけど……どこかで会ったことあったっけ?」

「つい先日お会いしたばっかりっすね」

「……はあっ!?」


 声を聞いてようやく少女の正体に気付いたりりのは、頓狂とんきょうな声を上げて後ずさった。


「からっ……空手様じゃん! なにその格好!?」

「似合わないっすか?」

「いや似合ってる! 可愛いですけど! そういうことじゃなくて……」

「今日は極秘任務で来たんすよ」


 フーコが人差し指を立てて「静かに」というジェスチャーをすると、りりのは慌てて辺りを見回した。幸い、昼食を求める生徒たちの喧騒のおかげで、私たちに注意を向けている人は誰もいないようだった。


「……この学校に何かあったんですか?」


 りりのは一転して真面目な顔つきになった。

 街の管理者たる魔法使いが『極秘任務で』高校に忍び込んでいるのだ。よほどの事態が起きていると考えてしまうのも仕方がない。


「そういうわけじゃないっすけど……」


 言いながら、フーコはちらりと私に視線を投げる。

 このままいたずらを続けようか迷っているといった顔だ。

 りりのは基本的に真面目な子だから、あまりからかわない方がいいだろうと思い、私は口を挟むことにした。


「とりあえず、中庭で話そう。元一も先に行ってるって」

「ん、わかった」


 こんな場所で立ったままするような話ではないと考えたのか、りりのは素直に頷く。

 と、そこで私は、ここに来た目的をすっかり忘れていたことに気がついた。


「……中庭に行く前に、りりののおすすめのパンってあるかな?」

「おすすめ? はい」


 そう言ってりりのは、抱えていたいつものパンを掲げてみせた。

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