休日

 今日も気持ちのいい青空が広がっている。

 そういえばこちらの世界に来てからというもの、この時期梅雨に雨が続いたという記憶がない。

 世界全体の気候が変化しているのだろうか。

 晴れの方が好きな私にとってはありがたいけれど、農作物への影響はどうなのだろう?

 ……などと、普段なら考えもしないようなことが頭に浮かんでは消える。


「ショウ、どうした?」


 そんな他愛もない思考にとらわれていたせいだろうか、ついついぼんやりしていたらしい。


「んー、空がきれいだなーと思って」

「……そうだな。少し前までは空の色なんて気にしたことなかったけど……こんなに濃かったのか」

「まあ、相変わらず害獣が飛び回ってるのが玉にキズだけどね」


 ふと、自分で言ったその言葉で、フェンス越しに空を眺める少女の姿を思い出してしまう。


『あいつらを一匹残らず倒すのが夢なんだ』


 彼女がこの空を美しいと思える日は、きっとその夢が叶うまで訪れないのだろう。

 それは惜しいことだ。どうにかしたいと思う。

 でも、彼女の心を本当の意味で救うのは、とても難しいことでもある。

 そんなことを考えていると、その本人が遠くから歩いてくるのが見えた。

 軽く手を振ると向こうもこちらに気付いたらしく、小走りで駆け寄ってくる。

 その顔は先ほどまで想像していた彼女より、ずっと穏やかに見えた。


「おはよう、りりの」

「おまたせー。っていうか早くない? 待ち合わせの時間まだだよね?」

「せっかく部屋が近いからと思って元一と一緒に来たんだけど、思ってたより早く着いちゃって」

「サラッとうらやましいことを……あ、元一くん、おはよう」

「おはよう」

「なんか……学校も駆除もない日に集まると変な感じだね」

「そうだな」


 まだ少しぎこちないけれど、以前よりも二人の距離はずっと近くなったように思える。

 ここ数日で私たちを取り巻く環境や私たち自身は、目まぐるしく変化していった。

 元一は私の義弟おとうとになるし、りりのは元一と名前で呼び合えるようになったし、世界を滅ぼそうと計画を立てていた雪美さんはいきなり出鼻をくじかれて、これから何をしてくるのか予想もつかない。

 ……それでも変わらず一緒にいられる私たちの関係は、もしかしたら奇跡のようなものなのかも知れないと思った。


「そろそろ開店みたいだし、入ろう」


 開店の音楽が流れ、戸越中央百貨店の入り口が開かれる。

 お店の中はいつもの放課後に訪れる時と様子が違い、それぞれのショップから店員さんが通路の脇に出てきてずらりと並んでいた。

 前を歩くたびに「おはようございます」「いらっしゃいませ」と頭を下げられる。分不相応な気分というか、そこまでしなくていいのにという気持ちが湧き上がって、なんだか肩身が狭いような気持ちになる。


「ねえ、なんかさあ……」

「うん……ちょっと恥ずかしいね」

「開店直後ってこんな感じなんだな……」


 私たちは場違いな雰囲気から逃げるように、急いでエレベーターに乗り込んでいった。


 開店してすぐということもあり、婦人服売り場はほとんど貸し切り状態のようだった。

 エスカレーター脇のベンチもガラガラで、小学生の女の子が一人で座っている、なんてこともない。


「ショウ、どうしたの?」

「ん……なんでもない」

「ていうかこれだけ空いてたらさあ、変身したまま服選んでも大丈夫なんじゃない?」

「あーその方が楽かも」

「……じゃあ俺は雑貨でも見てくる」

「えーっ」

「まあまあ、待ってよ元一」


 一人、そそくさと離脱しようとする元一を、りりのと私の二人がかりで引き止める。


「いや、男の俺がいても仕方ないだろ」

「そんなことないって」

「お、男の人の意見も大事だと思うし!」

「そうそう、どれが似合うか教えてよ、元一」

「あ、じゃあアタシも自分の選ぼうかな……」

「……わかった、わかったから」


 二対一では勝ち目がないと悟ったのか、元一は早々に白旗を掲げた。


 りりのと二人、目まぐるしく店内を歩き回っては服を試着していく。

 まるでファッションショーのようだ。

 たった一人の観客である元一は、「よくわからん……」などとぼやきながらも、律儀に付き合ってくれていた。

 今回はあまりお金に余裕がないので、実際に買えるものは限られる。

 そんな中で選んだ服が、前の世界で買ったものとよく似ていたり、あるいは全く同じものだったりすることに気づいた時、私はまた少し心の中に痛みを感じるのだった。


 ちなみに、猫耳のついた白いローブはどこにも見当たらなかった。


「いやー、買ったわー」

「時間かけた割には少ないけどね」

「……女の買い物って大変なんだな」


 元一はすっかりぐったりとしている。


「元一も服とか買う? 付き合うよ?」

「いや、俺はいい。それより腹減った……」

「アタシもお腹すいたかもー」

「あ、それならちょっと行きたいところがあるんだけど」


 二人を連れてレストランフロアへおもむく。

 お店の配置は記憶にあるものと変わっておらず、目当てのカレー屋さんも同じ場所にあった。


「タイカレー……? タイ……?」

「外国の名前だよ」

「普通のカレーとは違うのか」

「うーん、結構違うかも。とりあえず食べてみれば分かるよ」


 窓際の席を確保し、メニューとにらめっこする。


「一応説明は書いてあるけど……味の想像がつかないわ」

「元一は辛いの大丈夫?」

「あまり得意じゃないな。食えなくはないけど」

「そっかー」


 初めて見る料理を前に、二人とも決めあぐねているようだった。

 それならば、自分で誘った手前、ここは私が責任を持って決めるべきだろう。


「それじゃあ……マッサマンカレーにしよう」


 自信満々な顔で注文しておいてなんだけど、実は私も食べたことがないのでどんな味かは知らなかったりする。

 説明にはあまり辛くないと書いてあったので、辛いものが得意ではないという元一でも大丈夫だとは思うけど……。

 しばらくして出てきたカレーは、グリーンカレーと違って馴染みのある暖色系の色をしていた。

 具は巨大な鶏肉とじゃがいもがゴロゴロ転がっており、それらの隙間を埋めるように見慣れない豆……かと思いきや、ピーナッツが入っていた。

 説明にあった通り、辛さはほとんど気にならない。それどころか甘みすら感じるほどで、さらりとしているのにやけに味が濃厚だ。

 鶏肉は軽く噛んだだけでホロホロと肉の繊維がほどけていき、じゃがいもはねっとりとしていて芯まで味がしみている。ピーナッツの面白い食感がアクセントになっていて食べ飽きない。


「なんだろう……変な香りと初めての味で頭が混乱しそうになるけど……とりあえず美味しいってことは分かるわ……」

「よく分からないけどうまいな。肉がうまい」


 私はもちろんのこと、二人とも気に入ってくれたようで、私たちはあっという間に食べ終わってしまった。

 食後のお茶を飲みながら、誰からともなくまた来ようと口にする。

 なんとなく、その約束はきっとすぐに叶うだろうと思った。


 食後は屋上に出てみることにした。

 まだ昼食時なのでお客さんはほとんどフードコートに行っているのだろうか、気持ちの良い天気だというのにずいぶんと空いている。

 私たちの他には、ベンチに座ってお弁当を広げている家族や、ゆっくりと散歩している老夫婦が数組いるくらいだ。


「あっ、ちょこちょこだ!」


 急にりりのがはしゃいだ声を上げた。


「ちょこちょこ?」


 彼女の指差す方向を見てみると、尾の長い小さな鳥が芝生の上に立っていた。

 その鳥はピョコピョコと尾を上下させながら、テテテーと早足で歩き回っている。


「ほら、ちょこちょこしてるでしょ!」

「ほんとだ。……セキレイだね」

「セキレイ? っていう名前なの?」

「多分……いろいろ種類がいるみたいだから、合ってるかどうか自信ないけど」


 セキレイが歩いていく先を目で追っていると、小さな人影にたどり着いた。

 ほんの少し前まではそこには誰もいなかったはずだ。

 足元から目線を上げていくと、それは空手着に身を包んだ、中学生くらいの女の子だった。


「……空手様!」

「おや、皆さんおそろいで」


 短めの髪を後ろで結んだ空手着の少女、空手の魔法使い様は、頭の上に飛び乗ってきたセキレイを気にする様子もなく微笑んだ。


「いつからそこに? 全然気付きませんでした」

「今しがた、ふと思い立って寄ってみたんすよ」

「あ……もしかして追悼式の下見ですか?」

「追悼式……? ああ、それもまあそのうち考えなきゃっすけど……今日は本当にたまたまっすよ」


 ふと前の世界のことを思い出して聞いてみたが、そう言えばあの時と今日とでは時期も情勢も違うのだ。

 時々二つの世界の出来事が混ざって混乱しそうになる。


「三人はお買い物っすか?」

「ええ。と言っても、もう用事は済んでしまったんですけど」

「そうっすか。それじゃあ、もし良かったらちょっと歩かないっすか? 今日は絶好のお散歩日和っすよ」


 空手様の提案に、私たちは顔を見合わせた。

 確かに、このまま帰るのは惜しいと思っていたところだ。しかし……


「じゃあ、お散歩は僕がご一緒します。りりのは元一の部屋を見に行きたいって前から言ってたよね? せっかくだから今日行ってみなよ。元一、いいよね?」

「俺は別に構わないけど」

「ちょっ、アンタ何言ってんの!?」


 思わず赤面して突っかかってくるりりのに、私はそっと顔を寄せる。


「いいじゃん、元一の部屋を見たいって言ってたのは本当なんだし」

「いくらなんでも話が急すぎるでしょーが!」

「こっちは魔法使い同士で話したいことがあるの。お願い、りりの」

「うっ……」


 魔法使いという言葉を持ち出されては、さすがにそれ以上食い下がれなかったらしく、りりのはうーと唸り声を上げながら渋々承知してくれた。

 少しずるい気もしたけれど、これくらいのおせっかいは許して欲しい。

 こうでもしないとあの二人はいつまで経っても進展がなさそうだし。


「元一、お茶くらいは出すんだよ」

「わかった」

「そっ、そんな気を使わなくていいからね!」


 いちいち真面目に返事を返す元一と、あたふたしているりりのを残して、私は空手様の手を引いてその場を離れた。


「……よかったんすか?」

「もちろん」


 あの時と同じ空手様の問いかけに、今なら素直な気持ちで頷くことができる。

 もしも私がいなくなったとしても、あの二人の関係だけはずっと続いて欲しい。

 そんな願いが私の中に確かに芽生えていた。


「えっと、ショウさん……」

「それじゃあ、お散歩に行きましょうか。どこかお勧めの場所とかあるんですか?」

「……はい。以前からあなたと一緒に行きたいと思っていたところはあるっす。ここからだとちょっと遠いっすけど」

「なるほど。それじゃあ……」


 私たちは周囲の目がないことを確認すると、魔法使いらしく空に飛び上がった。

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