帰還

 翌朝。

 元一と二人で家を出ると、扉の近くに小さな女の子が立っていた。


「お二人とも、おはようございますっす」


 その特徴的な喋り方。そしてその白い道着姿は見間違えるはずもない。


「空手様! 戻ってたんですか!?」

「いや~幻想のやつ、迷路みたいな世界を作ってくれてて……一晩中さまよったのに結局見つけられなかったっすよ。あ、あのあと体は大丈夫だったっすか?」

「ええまあ、体は問題ありませんけど……」

「それは良かったっす。そうだ、結局昨日は害獣駆除ができなかったっすから、日程をずらさないとっすね。ショウさんの紹介もしないと」

「昨日……?」


 ……何かがおかしい。普通に話しているはずなのに、会話が噛み合っていない気がする。

 というか彼女の言う「昨日」っていうのは、まさか……。


「え、ひょっとして自分抜きで害獣駆除やっちゃったっすか? 時間までに自分が来なければ中止ってことになってたと思ったっすけど……」

「いえ……その、空手様、いつ戻ってきたんですか?」

「ほんのついさっきっすよ。昨日のことが気になって、真っ先にショウさんの家に来ちゃったっす」


 ああ、やっぱり。


「空手様……あの日からもう、一週間以上経ってますよ」

「……えっ?」


 彼女が幻想の世界でさまよっていた一晩は、こちらの世界での一週間程度に相当していたらしい。

 つまり雪美さんは最初から時間稼ぎをするために、わざと時間の流れの歪んだ世界を作って空手様を誘い込んだのだ。そして恐らく雪美さん自身はすぐにその世界から脱出して、ずっとこちら側にいたのだろう。


 とにかく今は、空手様がいなかった間に何があったのかを報告する必要がある。

 私がこの一週間ほどで起きたことを説明すると、空手様はコロコロと顔色を変えながら聞いていた。


「ああー……大失態っす……ほんとショウさんがいてくれなかったら、今頃どうなってたことか……」

「いえ、僕も勝手にすみれちゃん……シールの魔法使いに接触したのはちょっと軽率でしたし」


 そうだ。シールの魔法使いが姿を消したおかげで、心のり所を失った元一が暴走してしまったんだった。

 最終的には良い方向に転がったとは言え……一つ間違えれば取り返しのつかないことになっていたかも知れない。軽はずみな行動だったことは反省しなければならないだろう。

 しかし空手の少女は、気にするな、という風に私に笑いかける。


「そんなことないっす。害獣侵入事件の真相も分かったし、以降の侵入も阻止できたんすから。いくら感謝しても足りないくらいっすよ」

「……そう言って貰えると嬉しいですけど……でも僕は、自分の力に対する過信というか、一度未来を見てきたことで、どこかおごりのようなものがあったのかなって」

「そうっすかね? 自分はそうは思わないっすよ。むしろあなたは、何一つ失敗しないように完璧にやらなきゃいけない……みたいな、そんな風に自分を追い詰めているように見えるっす」

「それは……」

「……すみれ、っていうんでしたっけね……あの子、シールの魔法使いの名前。もうずいぶんと昔のことっすから……すっかり忘れてたっす」

「……そうですね」

「懐かしいっすね……あの頃は、絶望と希望が混ざり合っていて……少しも休む暇なんてなくて。ただみんな、必死だった。……そんな時を一緒に過ごしてきた仲間っすからね……あの子も、助けてあげないと」

「ええ、もちろん」


 それは、一人でなんでも解決しようとするなという彼女なりの警告だったのかも知れない。

 肝に銘じよう。今はもう、あの頃とは違うのだ。


 と、そこで、それまで静かにしていた元一が、おずおずといった様子で空手様に声をかけてきた。


「あの、すみません。俺、シールの魔法使いの眷属です。さっきショウが言ってた通り、俺も害獣を街に入れるの手伝ったりしてて……今思うと本当にヤバいことしてたって思って……すごい迷惑かけて……その、すみませんでした」


 元一もシールの魔法使いに利用されていたとは言え、自分がしてきたことをずっと気にしていたのだろう。緊張した面持ちで、それでもしっかりと謝罪の言葉を口にした。


「ああ、そんなの別にいいんすよ」

「えっ」


 しかし空手様は、あっさりとそれを受け流す。まるで最初から気にもしていなかったとでも言うようなその様子に、元一は困惑の表情を浮かべていた。


「基本的に眷属がしたことは魔法使いが責任を取るものっすからね。……まあ、話を聞くとシールのやつも正気だったとは思えないっすけど」

「はあ……」

「まあとにかく、元一さんでしたっけ。あなたはこの空手の魔法使いの名において、無罪放免ってことっす。あなたが気に病むことは何もないっすよ」

「……ありがとうございます」

「あ、でも人を殺しちゃったらさすがにかばい切れないっすからね? それだけは気をつけて欲しいっす」

「はい……」


 危うく父親を殺すところだった元一にとってその忠告は、とても苦いものだっただろう。

 私が言うのもおこがましいけれど、命を奪うという行為が自分一人の問題に留まらないということを、今回のことで彼は痛いほど理解したはずだ。


「それと……すみません、もう一つだけいいですか」

「どうぞどうぞ」

「厚かましいとは思うんですけど、俺にも害獣駆除の仕事をさせて貰えませんか? 金を稼がないといけなくて……」


 ああ、そういえば私も早めにお金を稼がなきゃならないんだった。壊した窓ガラス代を弁償しないと……。

 しかし、そんな私なんかと違って、元一の場合はもっと深刻で切実だ。

 手配してくれた部屋の家賃は……まあ、おじいさんなら払わなくていいと言うだろうけど、それとは別に生活費は必要になる。

 そして何より高校卒業までの授業料が全額振り込まれているとは限らないから、それにも備えなければならない。

 これから先、生きていくためには、とにかくお金がなければ始まらないのだ。


「駆除の仕事を手伝ってくれるのは全然構わないっすけど……契約書を書いてもらわないと、お給料は出ないっすよ? お金は国から出てるんで」


 そう言うと空手様は、ふところから契約書の入った封筒を取り出した。

 いつも持ち歩いてるのか……と思いつつ、あの書類に最初にサインした日のことを思い出す。この世界の時間で言えばほんの一週間ほど前のことだけど、私にとってはもうずいぶん昔の出来事のようだ。

 あの時は、魔法使いと契約するのにどうしてこんな事務的な手続きが必要なのかと思っていたけど、よく考えれば当然のことだった。お金は魔法で作ることなどできないのだから。

 しかし契約書と言っても、何か所かに署名をするくらいで特に複雑な手続きはなかったはずだから、元一も問題なく契約できるだろう。


「あ……!!」


 そこで不意に、私は重大なことに気が付いた。

 あの日の空手様の言葉が蘇る。


『これは一番大事なことなんすけど、保護者の方の署名も必要なので、忘れないようにしてほしいっす』


 そうだ。そうだった。署名が必要なのは本人だけじゃない。

 元一には今、保護者がいない。

 空手様の説明を聞いていた元一もそのことに思い至ったようで、私と同じような顔をしていた。


「か、空手様……元一は今保護者がいないというか……絶縁されちゃったというかで……」

「あー」

「何とかなりませんかね……? 何かこう……抜け道的なやつ……」

「それなら一つだけ、いい方法があるっすよ」

「本当ですか!」

「善は急げと言いますし、それじゃさっそく、今から行くっすかね」

「えっ、行くって……」


 結局その日、私は思い切り学校を遅刻することになるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る