決着

「……気でも違ったか、青衣あおい? 今はてめえの寝言に付き合ってる暇はねえんだよ」


 組織を継がせて欲しいという青衣さんの突拍子もない提案を、一充かずみつさんはすげなく突き放した。

 まあ、これまでの話の流れからすればそれも当然だろう。私ですら呆気にとられてしまったくらいだ。

 しかし、青衣さんは一切ひるまない。その目には覚悟を決めたような光が宿っている。


「ボス、元一さんは……その人は、ボスを殺そうとしたんですよ。そんな人に組織を継がせると言って、部下たちが納得すると思いますか?」

「納得できねえ奴は力ずくでもうんと言わせるだけだ。そんなことより、こいつが片角かたずみの血を引いているってことの方が重要だろうが」


 それを聞いた途端、青衣さんの表情がにわかにけわしくなった。

 血、という言葉に何か思うところでもあったのだろうか。


「オレは、ボスが片角だから忠誠を誓っている訳じゃねえ。血がどうのなんて、考えたこともない。あの日ボスが拾ってくれたから、だからこそオレはあなたに一生ついていこうと決めたんですよ」

「お前はそうかも知れねえがな、そうじゃねえ奴だっている。それにな、この稼業は面子メンツが第一だ。しっかりした旗印がなきゃ始まらねえんだ」

「今はもうそんなことを言っていられる状況じゃないってことは、ボスだって分かっているでしょう。それに……あなたは自他ともに認める合理主義者ですよね?」

「……それがどうした」


 繰り返される押し問答の、その風向きが少し変わったように見えた。


「そんなあなたが、どうしてオレみたいなガキを、わざわざ大金払ってまで拾ってくれたんですか? 元一さんを監視するためって言うなら、別にオレじゃなくたって、他にいくらでも方法はあったはずだ。……ボス、こういう時のためにオレを買ったんじゃないんですか? 元一さんと年の近いオレを、元一さんにのことがあった場合に備えてストックしておいた――そう考えれば辻褄つじつまが合う。元一さんへの教育をオレにも見せてくれたのは、そういう意図があったってこと――ですよね?」


 一充さんは何も答えず、沈黙を守っている。

 いや、もしかしたら答えることができないのかも知れない。


「今がその時じゃないんですか、ボス。オレを使うのは、今しかないんじゃないですか。オレは地下育ちだから、この組織みたいなやり方にも慣れている。こう言っちゃなんですが、オレなら元一さんよりよっぽど上手くやれる自信がありますよ」

「しかし……」

「ボス、今オレを使わないなら、一体あんたは何のためにオレを拾ったんですか。それともあんたが合理主義者ってのはオレの勘違いで、実はあんたは甘っちょろいだけの、ただのお人好しに過ぎなかったってことですか」

「おい青衣ィ! てめえ口に気をつけろよ!」

「すみません、ボス。つい興奮して出過ぎたことを言ってしまいました。それで……どうするんですか。このままじゃらちが明かないと思いますが」

「……そうだな」


 一充さんはゆっくりと辺りを見回した。

 机はぐちゃぐちゃに乱れ、椅子はてんでに転がり、割れた窓からは生ぬるい風が吹き込んでいる。床に転がった黒服の男たちは相変わらず目覚める気配がない。

 それら一つ一つを疲れたような表情で確認してから、一充さんは元一に顔を向けた。


「荷物まとめて出て行け。お前はもう片角じゃねえ」


 短いが、決定的な一言だった。

 元一は大きく目を見開いて、それから手に持っていた剣を消すと、何も言わずに部屋から出ていった。

 りりのが慌ててその後を追っていく。


「青衣、てめえは明日から学校を休め。イチから教育しなけりゃならねえからな」

「ボス……! ありがとうございます!」


 永遠に続くかと思われた膠着こうちゃく状態は、青衣さんの説得によってあっけなく決着がついてしまった。

 これで元一は自由になったのだ。本来なら諸手もろてを挙げて喜ぶべきことなんだけど……私は思わず、青衣さんに声をかけていた。


「えっと……青衣さん、あなたはそれでいいんですか?」


 話がまとまりかけている所に水を差すのは気が引けたが、これだけは聞いておかなければならないと思った。

 青衣さんは自分を犠牲にして元一を守ったのだ。

 かつて一充さんがどんな意図を持って青衣さんを地下から救い出したのかは分からないけど、その本当の理由が合理的であろうとなかろうと、面子が第一だと自分で言ってしまった手前、彼には青衣さんの挑発じみた提案に乗る以外の選択肢はなくなっていた。そういう意味では確かに見事な起死回生の一手ではあった。

 でもそれは全て、青衣さんが己の一生を天秤にかけたからこそなのだ。

 これから先、彼はもう普通の人生を歩むことはできなくなるだろう。元一が辿るはずだった厳しい道を、代わりに歩いていくこととなる。

 本当にそれでいいのだろうか?

 誰かの犠牲の上に成り立つ日常を、果たして元一はこころよく受け入れられるのだろうか?


「ショウさん、何か勘違いをしているようですけど、オレがボスに言った言葉に嘘は一つもありませんよ。この組織を継ぐには元一さんは優しすぎる。それにオレは、ずっとボスに恩返しをしたいと思っていたんです。自惚うぬぼれる訳じゃありませんが、オレならきっとこの組織をより良い方向へと進ませることができる。そう思ったんです」


 どこか晴れ晴れとした青衣さんの表情には、確かに、ひとかけらの嘘も見つけられなかった。

 その顔を見た時、なんだかストンとに落ちてしまった。

 元一を自由にする。ただそれだけのために、彼は何年も思考と努力を重ねてきたのだ。

 積み重なるシミュレーションの中で、自分が元一に代わって組織を継ぐという方法も、当然一度は思いついていたのだろう。そんな普通ではまずありえないような想定が、まさかこんな形で現実になるとは予想もしていなかっただろうけど……。

 彼の覚悟は多分、私が考えているよりもずっと深く、重いものだったのだ。


「だから、元一さんに伝えておいてくれませんか。オレは望んでこうなったのだから、あなたは何一つ気に病むことはない、と」

「……わかりました」


 元一はその言葉を信じるだろうか。

 いや、青衣さんのためにも、信じさせなければならないだろう。彼の言葉の中に、いくらかの強がりが含まれていたのだとしても。


「おい」


 そうと決まればすぐに元一の所へ行こう、と部屋から出かかっていた私は、一充さんに呼び止められて振り返った。


「なんでしょう?」

「……今日、命を救ってくれたことは、感謝する」


 予想外の言葉だった。

 こんな小娘に頭を下げるのは、彼の言う面子とやらが許さないと思っていたけれど……この人は案外、それほど悪い人間ではないのかも知れない。


「だが、それとは別にお前が壊した窓ガラスは弁償してもらうぞ」


 初夏も近いというのに、どこか寒々しい風が、割れた窓から吹き込んでくる。

 ……そこは命を救ったことでチャラにしてくれてもいいんじゃないの……? などと一瞬考えてしまったが、確かに非常事態だったとはいえ窓を破壊したのは私だし、それを弁償するのは当然のことだろう。

 それにお金なら別にいくらでも……いや、待てよ。

 私の意識がこの世界に転移してから、まだほんの一週間ほどしか経っていない。つまりこの世界では、私はまだ害獣駆除の仕事を一度もしていない。

 つまり……現在、私には手持ちの現金がないのだ。


「……ローンでもいいですか?」


 交渉の末、十二回払いにしてもらうことで、この話はどうにか決着がついた。

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