衝突

「……それでまあ、元一さんが学校を休むようになってからも、お二人の後をつけることにしたんです。りりのさんが眷属だということは知ってましたから、どうにか話を持ちかけられないかと思いまして」


 青衣さんのお話は私たちにとって思いもよらないものだった。

 元一がずっと心の中に抱えていたもの。私はそれに気付いてあげられなかった。

 魔法使いの目すらあざむく魔法は、この世界から逃げ出したいという、彼の切なる願いの表れだったのだ。

 片角かたずみの家がいわゆるマフィアのようなものだということは知っていたはずなのに、私はずっとおじいさんの……武敷の組を基準にしてしまっていて、とんでもなく楽観的に考えていた。

 拷問のやり方を教えたり、人が死ぬところを見せたりするなんて、そんなものは教育でもなんでもない。ただの虐待だ。

 彼を追い詰めている組織へのいきどおりと同時に、自分の不甲斐なさを強く感じた。


「ていうか、アタシのこと知ってたんですか?」

「ええまあ……害獣駆除で顔を合わせますし……」

「ああ、空手様の眷属なんですね……って、それはそうですよね」


 りりのもかなりショックを受けているはずなのに、それを感じさせないように自然に振る舞っている。

 いや、衝撃的な話を聞いた後だからこそ気を張っているのだろうか。


「……でもアタシ青衣さんのこと、害獣駆除で見かけた記憶ないんですけど」

「オレ、変身すると見た目が結構違うんで」

「あー」

「それで……話を戻しますけど、どうでしょう。元一さんを助けるために、協力して貰えませんか」


 りりのは少し、考えるように視線を動かした。


「もちろん、アタシだって元一くんのためなら何だってしてあげたいけど……でも、青衣さんの考えって、肝心な部分が抜けてませんか?」

「……肝心な部分?」

「元一くんとはまだ直接お話していないんですよね? お互いに相談して決めたことならともかく、一方的に話を進めるのは……なんていうか、あまり良くないことだと思うんですけど」

「しかしオレは……」

「やっぱり一度、ちゃんと話した方がいいと思います。本人とお話して、お互いに考えていることを交換して、そこから始めるべきじゃないですか。アタシ、元一くんのこと何も知らなかったけど、ちゃんと彼の口から、悩んでることとか、聞かせて欲しい。相談して欲しいし、もっと頼って欲しいって……そう思います」


 りりのの話を聞きながら、私は密かに驚いていた。

 彼女はこんなに強い子だっただろうか?

 前の世界とは違うから? いや、そうではない気がする。

 きっとりりのは最初から強い人間だったのだ。

 私の元一に対する認識が誤っていたのと同じように、彼女についても未だ、私は何も理解できていないのかも知れない。


「そうだね、りりのの言う通りだと思う」


 私は彼女の意見に同意した。

 人と人との関わりに、魔法使いも眷属も関係ない。結局、人が人に対してできることなんて限られているけれど、それでも話し合うことはできる。答えが出るかどうかは分からないけど……。


「だから、これから元一の所に行こう。会って、話をしよう」

「これから、って……今から?」

「今から」

「ちょ、ちょっと待ってください。元一さんはずっと部屋に閉じこもっていて、誰にも会わないと……」


 青衣さんはさすがに狼狽ろうばいした様子だった。片角の関係者でありながら組織の構成員でもないという微妙な立場の彼からすると、私が言っていることは無茶以外の何物でもないのだろう。

 でも、彼には悪いけど、私たちにはそんなことは関係ないのだ。


「大丈夫です。僕は……魔法少女なので」



 ◆



「おう、青衣。お友達か?」


 元一が住んでいるマンションの入り口。

 管理人室の小窓から顔を出したおじいさんが、慣れた調子で青衣さんに声をかけた。

 しわと傷が刻まれた強面こわもてはしかし、ずいぶんと柔らかい表情を作っている。前の世界でりりのと一緒にこのマンションを訪れて門前払いにあった時は、もっと頑固で怖そうな人だと思ったけど……。

 驚いたことに、このおじいさんが青衣さんの教育係兼、義理の父親ということになっているらしい。黒鉄くろがねという名字も、このおじいさんのものだそうだ。


「ただいま。あー、この人たちは……」

「こんにちは。僕たちは元一くんの友達です。最近学校を休んでいるので心配になって、顔だけでも見れないかと思いまして……」


 私が事情を話すと、おじいさんは途端に険しい表情になった。


「……おい、青衣」

「いや、オレも心配でさ……」


 監視対象である元一の友人に接触して、あまつさえ家に連れてくるというのは、青衣さんにとっては行き過ぎた行為だったのかも知れない。

 しかしおじいさんはそれ以上青衣さんをとがめようとはしなかった。元一のことを心配する気持ちは同じなのだろう。

 とは言え、おじいさんの立場からすれば、やはり私たちを元一と会わせるのは難しいらしい。


「せっかく来てもらって悪いがな、元一坊っちゃんから誰も通さねえようにと言われてるんだ。すまんが今日のところは……」


 このままでは前の世界の焼き直しだ。いっそ強引に突破してしまおうか……などと考え始めた時、私はすぐ近くに魔力反応を感じ取った。

 この建物の中で、今まさに元一が魔法を行使しているのだ。


「ごめん、先に行く!」


 私は一足でマンションの外に飛び出し、変身しながら飛び上がった。

 目標の部屋はそれほど高い階層ではない。一瞬で到達し、迷わず窓を蹴破って中に突入する。

 窓に使われていたのが網入りガラスだったためか、思っていたよりも大きな音はしなかったが、部屋の中にいた十人あまりの男たちが一斉にこちらを振り返った。

 会議か何かの最中だったのだろう。お揃いのような黒スーツたちが、向かい合わせに並べられた席に並んで座っている。

 私は間髪入れずに彼らの頭上を飛び越し、そのまま議長席と思しき場所に座る男性に向けて剣を突き出した。

 ぎいん、と鈍い衝撃が伝わる。間一髪、間に合ったようだ。

 私の剣は、不可視化した元一の剣をギリギリで止めていた。

 元一が命を狙ったということは、この男性が恐らく元一のお父さん――片角一充さんなのだろう。


「なんじゃ貴様はー!?」

「どこのモンだてめえ!」

「ダッテメッコラー!」


 一瞬遅れて物騒な罵声が上がり、その場の全員が私に殺意を向けてきた。

 ある者は拳を構え、またある者は魔法の剣や槍を振りかざして、私を亡き者にせんと飛びかかってくる。

 これはまあ、仕方のないことだ。元一の姿が見えない以上、彼らのボスの首に剣を突きつけている私は、どこからどう見ても魔法少女ヒットマン以外の何者でもないのだから。

 見たところ、相手は一人残らず眷属のようだった。この全員を短時間で大きな怪我もさせずに無力化するのは難しいかも知れない……とまばたきの間に考えていると、彼らは不意に糸が切れた人形のようにバタバタと倒れていった。

 彼らの後ろには、変身したりりのが槍を構えて立っていた。私が突入したすぐ後に、同じ窓から入ってきたらしい。


「……殺したの?」

「んなわけないでしょ。眠らせただけ」


 よく見ると、男たちは背中や腕などに小さな傷を付けられているだけだった。りりのが使う毒の魔法ならば一瞬で効果が現れるし、彼女が解毒しない限り自然に治ることはない。

 ……しかし、これは普段りりのが害獣に対して使っているものとは明らかに違う毒のようだ。相手を眠らせるだけの毒――そんなバリエーションをいつの間に編み出していたのだろう。

 一方、ボスである一充さんはよほど肝が据わっているのか、それとも腰が抜けて動けないのか、どっしりと椅子に腰掛けたまま私たちの様子を注意深く観察していた。

 こちらとしては下手に暴れたり騒いだりされると面倒なので、かえってありがたい。


「さてと……元一」


 私は未だに姿を消したままの相手に向かって声を掛けた。


「そろそろ剣を下ろしてくれない?」

「……どうして邪魔をするんだ」


 意外にも、元一は魔法を解除してその場に姿を現した。

 観念したというよりも、魔法の制限時間が来ただけだったのかも知れない。


「友達が親を殺そうとしていたら、そりゃ止めるよ」

「俺が自由になるためには、こうするしかないんだ。そいつを殺すしかない。だから頼む、止めないでくれ」

「あー……まあ、一人きりで悶々と悩んでいると、そういう極端な答えに辿り着いちゃうよね……」


 正直、元一の気持ちも分からなくはない。

 己の今と未来とを縛り付ける鎖。それを壊せるだけの力を自分が既に持っていたとしたら、それを行使せずにいるのは難しいだろう。

 とは言え、友達が親を殺そうとしている場面を黙って見ている訳にもいかない。

 どうしたものかと考えていると、りりのが元一に声をかけた。


「その人……元一くんのお父さんなんだ」

「……ああ」


 遠慮がちに、野生動物との距離を測るかのように、りりのは元一に近づきながら言葉を紡ぐ。


「その人を殺せば、私たち三人でさ、また前みたいに一緒にいられる?」

「それは……」


 まず無理だろう。

 人を殺した眷属は、例外なく市ヶ谷の対眷属部隊に捕らえられる。罪を犯した眷属がこの狭い世界のどこに逃げようと、安息の地はない。市ヶ谷の組織力を相手にして一生逃げ続けることなど不可能だ。

 仮に元一の魔法がそれを可能にしたとしても、結局平穏な日常は二度と戻ってこない。求めていた自由とは程遠い日々が待っているだけなのだ。

 ……そんなこと、少し考えれば分かるはずなのに。

 心が追い詰められた時、私たちはきっとそれを想像できなくなる。あるいは、今のままよりはだと……あるはずのない希望にすがってしまう。最も簡単で手っ取り早いやり方こそが最善だと、錯覚してしまうのだろう。


「もっといい方法があるのかどうかは、分からないけど……元一くんが何を思って、どうなりたいのか……それをちゃんとお父さんに話すべきだと、アタシは思う」

「話しても無駄だと知っているから、俺は今こうしているんだ」

「元一くんは、お父さんの後を継ぐのが嫌なんだよね?」

「ああ」

「人を傷付けたり、脅したりして生きていくのは、誰だって嫌だよね……」

「……どうしてそれを」

「ごめんね。ある人に元一くんのこと、教えてもらったんだ」


 りりのはそこで、一充さんの方に向き直った。


「元一くんのお父さん。私は元一くんの友達の、尾礼りりのっていいます。えっと、元一くんの話を聞いてあげてくれませんか? ていうか、そうしないとあなたの命が危ないかもなので……」


 一充さんはギョッとした様子でりりのを見返し、それからじろりと元一を睨みつけた。


「……お前が俺に黙って眷属になっていたとはな。しかも、こんな馬鹿な真似を……これまで育ててやった恩を忘れやがって」

「親父。俺があんたを殺そうとしているのはな、別に恩を忘れたからでも、あんたが憎いからでもない。俺はただ、普通に生きたいだけなんだ。あんたが作ったこの組織から自由になりたい。でも俺がそう言ったって、あんたは許さないだろう。それならもう、あんたを殺すしかないじゃないか」

「この……大馬鹿野郎が!」


 ガタンと大きな音を立てて、一充さんが立ち上がった。

 額に血管が浮き、顔は真っ赤に茹で上がっている。


「お前が自分勝手なことをしたら、誰がこの組織を継ぐんだ!」

「誰だってやりたい奴にやらせればいいだろ!」

「片角の名を継ぐ者以外には任せられねえってことが何故分からねえ!」

「それならこんな組織、あんたの代で解散しちまえ!」

「本当に……何も分かってねえんだな、お前は」


 ヒートアップしていた一充さんのトーンが急に落ち着いたのを見て、元一はやや困惑したように口を閉ざした。


「いいか、元一。お前の目にどう映ってんのかは知らねえがな、この組織は金を稼ぐことを目的として作られてるんじゃねえ。この社会でうまく生きられなかった半端モンや、道を踏み外しちまった奴ら、生まれつき罪を犯さずにはいられねえクズども、そういう奴らの受け皿なんだよ。そういう奴らはどれだけ社会が成長しようと必ず現れる。ここはな、奴らを辛うじてこの狭い世界に留まらせるための最後の砦なんだ。それをお前、解散しろだと? 居場所を失った奴らが再び世に迷い出たら、治安は乱れ、余計な人死にが大勢出る。そして最後は市ヶ谷の奴らにしょっぴかれて全員一生地下暮らしだ。ただただ不幸だけを撒き散らして、後には何も残らねえ。そんなことにならねえように、片角は代々この組織を維持してきたんだ。眷属でもねえ俺にこの組織の奴らが黙って従うのはな、いいか、奴らにゃ拾い上げられた恩があるからだ。片角の名に忠誠を誓ったからだ。だからお前には、この組織を継ぐ義務があるんだよ」


 必要悪、というやつだろうか。

 確かに、どうしても社会に適応できない人は確実に存在する。脳の疾患によって犯罪を繰り返してしまう人もいるだろうし、たった一つの不運をきっかけに、二度と元の生活に戻れなくなった人も、必ずどこかに存在している。

 そんな人達を「生きる資格なし」と切り捨てるのは簡単だが、そういった考え方は少なくとも成熟した社会が認めていいものではないだろう。

 そういう意味では、一充さんの言っていることにはある程度の正しさがある。まあそれが犯罪行為の免罪符になる訳ではないけど……。

 元一もそれが分かっているのだろう、何も言い返さずに押し黙ったままだった。


「分かったら腹ァくくれ。いい加減、お前もガキじゃねえんだ」

「……あんたは」

「なに?」

「あんたは、俺が今ここで『分かった』と言ったら、その言葉を信じられるのか? 一度は自分を殺そうとした人間を、ずっと側に置いておけるのか?」

「なにを……」

「いつまた命を狙われるかも分からない。俺の魔法の前では護衛が役に立たないのは実証済みだ。ショウが来なければ、今頃あんたの首は床に転がっていたんだからな。そんなことを考えているうちにどんどん疑心暗鬼が膨らんでいって、いずれ俺を殺そうとする……違うか?」

「……馬鹿なことを」

「俺は自由にさえなれれば、あんたを殺す必要なんてないんだ」

「クソ……いい加減にしろよ、この馬鹿息子が……てめえの身勝手なワガママで、片角が終わってたまるか……!」


 ここで答えを出さないまま力ずくで場を収めたとしても、いつかまた同じことが繰り返される可能性は高い。

 あるいは元一自身の予言通り、一充さんが疑心暗鬼に負けて元一を亡き者にしようとするかも知れない。

 一充さんが元一を自由にしてくれるのが一番良いのだけれど、そうなると組織の未来に大きな影を落とすこととなる。組織のボスとしては、そんなリスクは取れないだろう。

 ああ、ダメだ。

 これは、抜き差しならない状況というやつだ。

 元一が暗殺を実行に移してしまった時点で、どうあがいても一充さんは詰んでいる。

 これを穏便に解決するためには、第三者の力が必要だ。しかし、この街の管理者でもない私に一体何ができるだろう?


 二人の記憶を書き換える?

 無理だ。私が再現できる魔法では精密な記憶操作はできない。

 いっそ、この組織に属する全てのならず者を牢屋送りにして、組織の存在意義をなくしてしまう?

 ……無茶苦茶だ。一充さんも言っていたが、社会が続く限りそういう人間は決していなくなることはない。その受け皿を自ら壊してどうするというのか。


 じりじりと、嫌な汗が流れるような無言の間が空いた。

 ああ、ここに空手様がいてくれたら。彼女なら、この膠着こうちゃくした盤面をひっくり返してくれるのではないか。

 そんな情けない考えが頭の中に浮かび始めた時、不意に部屋の扉が開いた。


「盗み聞きするつもりはなかったんですが……すみません、大体のお話は聞かせてもらいました」


 そこに現れたのは、青衣さんだった。

 私たちが突入して間もなく、彼がこの部屋の前まで来ていたことは分かっていた。

 部屋の外の廊下には、今も護衛の男が二人転がっている。それは恐らく元一が部屋に忍び込む際に、やむを得ず気絶させた人たちだろう。青衣さんはそれを見て、部屋の中が鉄火場と化していることを察し、外で待機することにしていたのだろう。


「……青衣、てめえがどうしてここにいる」

「オレが元一さんのお友達を連れてきたんです。最近、元一さんの様子がおかしかったから、なんとかお話できないかと思って。そしたらこんなことに……でもボスが無事で何よりです」

「そんなことはどうでもいいんだよ。なんで今てめえが出しゃばってきてるのかって聞いてるんだ。元一とは直接関わるなと言ってあったはずだよな?」

「……今は、そんなこと言ってる場合じゃないでしょう」

「てめえ、誰に向かってそんな口きいてやがる」

「ボス、オレの提案を聞いてくれませんか?」

「……提案だあ?」

「そうです。オレに、片角の……この組織を継がせてくれませんか」

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