夜を焦がす光

 眷属は自らの足で、それ以外の者は車に乗り合わせて。

 夜の戸越街を、怒りの塊が走り抜けていった。

 この戦いに参加したものは、例外なく元の生活には戻れない。それは、魔法使いという絶対的な存在がいるためだ。

 この街の管理者――【空手の魔法使い】が駆けつけたなら、眷属同士の抗争などあっという間に鎮圧されてしまうだろう。例え彼女が武敷元蔵と個人的な交流を持っていたとしても、そういった情をかけるには、これから起きようとしている事件は規模が大き過ぎた。

 そして秩序を乱した者たちは全員捕まり、市ヶ谷に送られる。眷属以外は重罪には問われないかも知れないが、眷属がその力の使い道を誤った時の罰は重い。

 それゆえに、六狼たちは急いでいた。

 なんとか【空手の魔法使い】に横槍を入れられる前に、元蔵の仇を討たなければならない。



 ◆



 街が燃えていた。

 濃紺の空に火の粉が舞い、辺りは怒号と悲鳴で満ちている。

 ああ、懐かしいな、と思った。

 いつだったか、こんな景色を見たことがあったような気がする。


 敵の抵抗は激しかったが、数は予想していたほど多くはなかった。何より、ほとんど統率が取れていない。あたかも散らばっていた仲間を急いで寄せ集めたかのようだ。

 しかし、敵はあろうことか、途中から銃を持ち出してきた。

 この世界においても銃は厳重に規制されている。こんなに目立つ場所で大っぴらに見せびらかすような代物ではない。それだけ敵もなりふり構っていられないということなのかも知れないが……。

 銃は眷属にとっては大した脅威ではないが、普通の人間にとっては命を脅かす危険な武器だ。結局、眷属でない仲間は後ろに下げるしかなくなり、戦況は一時的な膠着状態に陥った。

 とにかく時間がない、と焦燥感をあらわにする六狼さんたちに、私は一つの作戦を提案した。

 それは、私の獣で銃を持つ敵を派手に蹴散らし、その隙に六狼さんと宝威さんが反対側から敵の本拠地へと突入するというものだ。

 本当は私もついて行きたかったが、こうなってしまっては仕方がない。魔法使い様が来てしまえば全てが終わるのだから。


 それからどれくらい時間が経ったのだろう。

 いつの間にか、私の剣は血にまみれていた。

 路上にうずくまる人間がいくつも見える。

 まさか、あれを全部私がやったのだろうか? いや、そんなはずはない。

 そんなことを考えながら周りを見回していると、突如耳をつんざくような轟音が響き渡った。と同時に、全身に痺れるような衝撃が走る。

 これまでに感じたことのないほど鋭く研ぎ澄まされた魔力。一瞬で糸を切るように自由を奪われた体は、私の意思に反して力なく地面に横たわった。

 どうにか頭を動かし、空を見上げると、一人の人間が浮かんでいた。まるで昔読んだ漫画に出てきた神様のようだと思った。

 駆け抜けた電撃は一瞬にして、辺り一帯の人間を一人残らず行動不能にしたらしい。

 かすむ意識の中で私は、終わりを予感していた。

 幕が下りる。


 太陽の下、一面に広がる緑。

 地下に咲き乱れる黄金の花。

 二人の魔法使いと、戦うことを忘れた害獣。

 りりのが語ってくれた昔の話。

 様々な記憶が閃光のように駆け巡っていった。

 一瞬の火花。……だけど、楽しかった。

 最後にこれほど輝かしい日々を思い出せたことに、感謝する。



 ◆



 六狼と宝威は、たった二人で敵の本拠地のマンションを駆け上がっていた。

 狭い屋内に潜り込んでしまえば囲まれることもない。正面から現れる敵をなぎ倒すだけの簡単な仕事だ。

 ひたすら階段を上り続け、やがて最上階が見えて来る。扉の前に屈強な男たちが待ち構えていたが、宝威の振るう刃の一閃で扉ごとバラバラに切り刻まれた。

 部屋の中に踏み込む。

 控えていた十名以上の眷属が一斉に襲いかかって来る。だが、少しばかり数が増えた所で、今の二人にとっては同じことだった。次の瞬間には、敵の半数はいくつものパーツに分解され、残り半数はミンチのようにすり潰されて床の染みとなっていた。

 部屋の奥に備え付けられた豪華な机に座る男……片角一充かたずみかずみつが、忌々しそうに侵入者を睨みつけた。


「思ってたより元気そうじゃねえか……六狼」

「お陰様でな。こんなに傷を負ったのは初めてだ。今なら誰にも負ける気がしねえ」


 ずしりと、六狼が重い一歩を踏み出す。


「待て。最後に一つだけ聞かせてくれ。じじいは……元蔵は、死んだのか?」

「ああ……死んだよ」

「そうか……死んだのか……」


 一充は顔をうつむかせると、肩を震わせた。


「そうか……そりゃあ……っ……傑作だなああああ!! ざまあねえぜ、あのジジイめ!!!!」

「てめえッ」

「待ってくれ、兄貴」


 ゲラゲラと壊れた玩具おもちゃのように笑い転げる一充を前に、引導を渡そうとする六狼を宝威が引き止めた。


「宝威てめえ、離せッ! 何のつもりだ!」

「殺す前に聞きたいことがありやして……オウ、片角の親分さんよ。あんた何か隠してねえか? あんたの行動、どうにもせねえ」


 すると一充はぴたりと笑うのを止めて、宝威の顔をまじまじと見つめた。


「……何故そんなことを聞く?」

「おかしいじゃあねェか。この土壇場までよう、車を吹ッ飛ばしたっていう凄腕の眷属をどうして出さねェんだ? 俺ァそいつと刺し違える覚悟で来たんだぜ」

「ハッ……何かと思えば……ククク……馬鹿がッ! そんな奴、最初からいねえんだよ!」

「……どういうことだ?」

「お前らの親分を殺したのは幻想とかいう魔法使いだ! 最初から片角は関係ねえんだよ! そんなことも知らずにこんな戦争おっ始めやがって……お前らは最高の大間抜け野郎だぜ!」

「て、てめえ……魔法使い様と手ェ組んでやがったのか」

「終わりだ! お前らは魔法使いを敵に回したってことだ! 一族郎党根絶やしにされちまえ!!」

「……おい、話はもうしまいってことでいいのか、宝威」


 動揺する宝威を押しのけて、六狼が前に出る。

 その拳が一瞬ブレたかと思うと、次の瞬間には一充の体は原型を留めないほどにグシャグシャの肉塊に変わっていた。


「宝威、獲物で遊ぶのはお前の悪い癖だ。昔何度も注意しただろう」

「兄貴……いやしかし、もしもそいつの言っていたことが本当だとしたら……」

「関係ねえ。次はその幻想の魔法使いとやらをブチ殺すだけだ」

「あ、兄貴には敵わねェな……ハハ……」


 その折、窓の外で雷鳴が轟いた。

 激しい稲妻によって部屋の照明は残らず消え、続いて建物全体を包み込むような電撃が二人の体を貫き、一瞬にしてその意識を刈り取っていった。



 ◆



 さすがに遅過ぎる、と【空手の魔法使い】は思った。

 妙な胸騒ぎを感じて駅の待合室から出ると、そこは石造りの狭い通路だった。

 この幻想の世界は様々な空間がデタラメにつながっている。これらを全て把握しているのは【幻想の魔法使い】だけだが、【空手】は彼女の次くらいにこの世界について詳しかった。空間同士のつながりは一見ランダムなようでいて、実は規則性がある。【空手】はそれをほぼ完璧に解き明かしていた。

 道順を頭に浮かべながら石の通路の突き当たりにある扉を開けると、そこは夕焼けの駅の待合室だった。ベンチの上には先程まで読んでいた色あせた雑誌が転がっている。

 心の奥底でうずいていた漠然とした不安感が、ここに来て正体を現したかのようだった。

 試しに今入ってきたばかりの扉を開けてみると、全く同じ待合室が見えた。明らかに、空間同士のつながりが捻じ曲げられている。

 閉じ込められた。そう理解すると同時に、【空手】は自身の固有魔法を発動した。

 彼女の固有魔法は、見えざる第三、第四の手を自在に操る魔法。

 この手は実体のあるもの、ないもの、その全てに干渉することができる。例えば手の上に自分や他人を乗せて空を飛ぶこともできるし、手を盾のようにして魔力を遮断することもできる。そしてその手に握り込んだものを自在に『から』にすることができる。この魔法は長年の研鑽けんさんによって、既に概念のレベルを突破していた。

 【空手】は、【幻想】の作り出した世界に唯一干渉することができる存在だった。だからこそ、【幻想】は間違っても彼女と敵対しないように友好関係を築いてきた。【空手】がその気になれば、――今まさにそうしているように――幻想の世界に風穴を開けることすらできるからだ。


 幻想の世界から抜け出すと、そこは火と煙に包まれ、瓦礫と化した建物が転がる、変わり果てた戸越街の一区画だった。

 たくさんの眷属や人間が倒れている中に、【空手】は見知った姿を見つけた。


「ショウコちゃん!」


 倒れ伏した白い衣装の少女に慌てて駆け寄り、抱き上げる。

 呼吸はある。出血や外傷はなし。気を失っているだけのようだ。

 ほっと息をついてから周囲を見回してみると、倒れている人々は皆同じように意識を失っているらしかった。


「ずいぶん早いご到着だね、【空手】」

「……ヒュー、これは一体どういうことっすか!」


 見上げると、空に一人の魔法使いが浮かんでいた。茶色の髪に白人男性特有の顔立ち。魔法使い、ヒューア・メロードである。


「どうもこうも。眷属同士の……いや、元眷属か。とにかく魔法の力を持った者同士の抗争みたいだね。まったく、たまたま僕が仕事でこの街に来ていなかったら、もっと死傷者が増えていた所だ。こんな有様になるまで、君は一体どこで何をしていたんだい?」

「それは……【幻想】が……」


 【幻想】が自分を足止めしていたのは、この抗争を止めさせないためだった……ということだろうか。

 しかし、では一体何のために? 【幻想】の意図が見えてこない。こんなことをしてしまったら、もう取り返しがつかないではないか。


「ん? ちょっと待った……君の後ろにいた白い服の眷属、どこにやったの?」

「えっ?」


 言われて振り返ってみると、ついさっきまでそこに倒れていたはずのショウコの姿が、煙のように消えていた。


「あの子、確か君の眷属だったよね。やけにお気に入りだって噂は聞いてたけど」

「……」

「今、【幻想】がどうとか言いかけてたけど……もしかして彼女に運ばせたのかな? ……まずいよね、そういうの。事件に関わった者は例外なく捕まえる。魔法使いが特定の眷属を贔屓ひいきするようなことはあってはならない。そうだろ?」


 その時、【空手】は全てを悟った。

 【幻想】の狙いは最初からショウコを連れ去ることだったのだ。


 つまり、


 今すぐ【幻想】を追いかけなければならない。しかし、そのためにはヒューア・メロードを説得する必要がある。誤解は解けるだろうか? 時間がない。彼を無視して見えざる手で幻想の世界に通じる穴を開けるにしても、それなりに時間がかかる。それに今、少しでも妙な素振そぶりを見せれば、彼は容赦なく自分を拘束しようとするだろう。

 迷っている暇はない。決断の時が来たのだ。


 だが次の瞬間、二人の魔法使いは同時に、驚愕に目を見開くことになった。

 ヒューア・メロードの胸部から、ぎらりと光る刃が突き出ていたのだ。

 彼の背後から、刃の持ち主が姿を現す。金髪に多数のピアス、高校の制服を着崩した少女。【光の魔法使い】である。

 彼女はそのまま刃を上に振り上げ、ヒューア・メロードの上半身を二つに分断した。しかし、彼はそんな状態になっても尚、猛烈な火炎の魔法を繰り出す。

 だが、火球が【光の魔法使い】を包み込む速度よりも、彼女がヒューア・メロードの体を七分割する方が早かった。

 生命を失った肉片は魔法による浮力を失い、バラバラと地面に降り注ぐ。

 ほんの数秒前までヒューア・メロードが浮かんでいた場所に、今は【光の魔法使い】が髪と制服をバタバタとはためかせながら浮かんでいた。


 空を飛ぶ魔法は、五行のうちの火の魔法による。熱を操ることで空気を動かし、体を浮かび上がらせるのだ。そのため空を飛んでいる間は常に強い気流の真っ只中にいることになる。

 その点、五行を極めた魔法使いであるヒューア・メロードは気流を完璧に制御し、髪の一本すら乱すようなことはなかった。

 だが、それほどの力を持った魔法使いでも、害獣から作られた武器で肉体を分割されてしまえば、百年に及ぶ叡智と魔力の蓄積も霧散し、後は単なる物体と成り果てるのみだ。


「……あたしがさあ、まさかこの場面で現れるなんて……想像もつかなかっただろ? ……【空手】よお」

「ヒカリ! あんたなんてことを……!」

「おいおい、お前だってやる気だったじゃん。なら別にさあ、あたしが先にやっても問題ねーよな?」

「……まさかあんたが黒幕っすか」

「黒幕? 何それ、ウケる。あたしはただぶっ壊したかっただけ。何もかもさ、もう飽きちゃったんだよね」

「人類を滅ぼす気っすか?」

「さあ、どうかな……っていうかさあ、お前ものんびりお喋りしてていいワケ? あたしはお前の足止めしろって言われてるだけだから別にいいんだけどさ……」


 ブン、とモニターの映像が乱れるように【光の魔法使い】の姿がブレたかと思うと、一瞬にして彼女の姿が五人に増えていた。


「……せっかくだからさあ、お喋りより、もっと楽しいことしようぜ?」


 五人の魔法使いが十人に増え、それぞれが全く同じ動きで一斉に【空手の魔法使い】に襲いかかった。

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