7 初陣2
この雑然とした景色の中で一人だけ白く切り取られた少女の姿は、悪夢の果てに見る幻覚のようにひどく現実感がない。
次に獣は少女の後ろにいる魔法使いに目を向けた。
幼い姿をした魔法使いは獣が己を見ていることに気付くと、悲しみとも喜びともつかない表情を見せた。
その顔を見て獣は、何か……忘れていた何かを思い出したような気がした。
「ッ、消えた!?」
「いや、こっちでやんす! ショウコ殿の後ろ……というか……」
今見えたのは……私と魔法使い様の姿?
あの赤黒い狐の視界が私の頭の中に流れ込んできたのか。
ふと気付くと、前方にいたはずのその獣はいつの間にか私の背後に移動しており、長い尾と前足で私を囲うようにして寝そべっていた。
まるでこれから食べられる小動物といった具合の絵面だが、私は不思議と穏やかな気持ちで満たされていた。
この獣を生み出したのは確かに私自身で、これこそが私の武器なのだと素直に信じられる。
目の前で揺れている尻尾を撫でてみると、思っていたよりも冷たかった。
「……説明するまでもなかったみたいっすね。ご覧の通りって感じっす」
魔法使い様が気の抜けたような声で言う。
「いや、武器っていうか……どう見ても害獣でしょ」
りりのは槍を構えたまま呟いた。
さっきから彼女は全く警戒を解いていないが、それもまあ仕方のないことだろう。
この狐のような獣は、普通の狐とは比べ物にならないほどの大きさもそうだが、それ以外にも害獣との類似点が多い。
害獣のようにのっぺりとした黒色ではないものの、赤黒い血に浸かったかのような体色は明らかに異質で、首まで裂けた口はどこまで開くのか分からないほど大きく、その歯は一般的な哺乳類の歯列を幾重にも連ねたように隙間なく生えている。
「……仮に百歩譲ってそれがショウコちゃんの武器だとすると、さっきアタシが説明したことと思いっきり矛盾するんですけど」
りりのがさっき説明したこと……。
そうだ、『眷属は自分の体から離れるような武器を使えない』ということを実演付きで説明してくれたのだった。
……確かにさっきはずいぶん距離が離れていたし、今も密着している訳ではない。
しかし、自分の魔力がこの獣に流れ込んでいるという実感はある。自分でもどういう仕組みなのかは分からないけど……。
「それに関してはおおよその察しはついているっす。ショウコちゃん、あっちに何が見えるっすか?」
そう言って魔法使い様は、太陽が沈もうとしている方角を指差した。
反射的にそちらを見ると、折り重なる草木を透かすようにして小さな黒い点のようなものが目に映る。
「かなり遠いですけど……たぶん人型が一体……いや、重なって二体。こちらには気付いていないみたいですね」
「二体? ……あ、確かに二体っすね。ほぇー、こりゃすごいっす」
「ちょっと、アタシにも分かるように説明してもらえます?」
私と魔法使い様がいきなり関係のない話を始めたと思ったのか、りりのが不機嫌そうな声で割り込んできた。
「さっきの戦闘の時、ショウコちゃんがいち早く害獣の存在に気付いていたみたいだったんで、もしやと思って今テストしてみたんすよ。そしたら結果は予想以上だったっす。恐らくショウコちゃんは、自分を中心とした固有領域のようなものを広い範囲に展開しているっすね」
固有領域……ちょっと前に教えてもらったばかりの言葉だ。確か、元の肉体を保存しておくための領域だとか言っていたような……。
「あのー……固有領域って、自分以外は開けられない金庫みたいなものって説明された気がするんですけど?」
「本来はそのはずっす。でもショウコちゃんのそれはまた別種のモノで、この世界のあらゆるものを阻害しない……何の力も持たない領域みたいっすね。そいつが
「よく分かんないけどさ……それとその獣に何の関係があるんですか?」
りりのが
どうしたんだろう、なんだかいつもの……というかさっきまでの彼女とは様子が違うようだ。妙にイライラしているというか、余裕がないというか……。
「領域の管理者たるショウコちゃんなら、自分の武器が領域内にありさえすればどこからでも魔力を供給できるということっす。管理者にとって領域内は己の体内のようなものらしいっすからね。領域内に存在するものならつぶさに知覚できるし、遠くにいる害獣を見つけることもできるというワケっす」
ふと、眷属の契約を交わした直後のことを思い出した。
変身した私は目を閉じていても周囲のことが手に取るように分かった。目の前の魔法使い様の動作までしっかりと見えていた。
あれは単に感覚が鋭くなったからだと思っていたけど、あの時既に領域が展開されていたということなのか。
「このあたり一帯が全部……ショウコちゃんのお腹の中……?」
「言い方」
「まあそういう感じっすね」
「……ていうかなんで私より私の能力に詳しいんですかねこの人……こわ……」
「こう見えても魔法使いっすからね。えへん。……まあほとんど推測っすけど」
ドン引きする私と得意げに胸を張る魔法使い様を見て、りりのは若干呆れたような表情になった。
議論の中心であるはずの赤黒の狐は相変わらず私の背後でくつろいでおり、カラオくんに至っては完全に気配を消して聞き役に徹している。
既に一触即発の空気は消え、場の雰囲気は
だというのに、そんな状況の中でりりのだけは一人槍を構え、臨戦態勢を崩そうとしない。
彼女自身も、既にその必要はないと気付いているはずだ。
それでも一度振り上げてしまった武器を下ろすには、何かきっかけが必要なのかも知れないと思った。
「りりの。その槍、こっちに向けられてるとちょっと怖い」
「あっ……ご、ごめん」
私が声をかけると、りりのはハッとした表情で槍を下ろした。
怖い、と言ったのは嘘だった。害獣と対峙していた時と違って、今のりりのからは全く殺気を感じなかったから。
「いやーこっちこそゴメンね。こんな……誤解させるような変な武器で」
私がそういうと、りりのはしばらく俯いてから、震える声で話し出した。
「……あ、あのね。アタシ、昔から害獣だけは絶対に許せなくて、奴らを殺すためだけに眷属になったの。願いごととか他に何もなくて……ただそれだけで……。だからさっきもね、その……
「いやいやいやそんな大げさな話じゃないって! 気にしすぎだから!」
「ごめ……ごめんね……許してくれる……?」
「はい許しまーす! だからもう泣かないで!」
「ううー……」
正直ちょっと……いや、かなり驚いた。まさか泣いてしまうとは……。
私は慌ててりりのの側に駆け寄り、――駆け寄ったところでどうしたらいいのか分からず――とりあえず手を握った。
おかしいな……変身すると精神も強化されるのは魔法少女だけだったのか。
しかし、りりのにこんな一面があるとは意外だった。
仲間思いというか、普通に優しい子だというのは普段から知っていたけれど、こんなにも感情を露わにすることがあるなんて。
そして、こんなにも害獣を殺すことに固執していたなんて知らなかった。
『アタシね、あいつらを一匹残らず倒すのが夢なんだ』
りりのと初めて出会った日、空を舞う害獣の群れを見上げて言った彼女の言葉を思い出す。
それを聞いた私は、この世界の誰もが願うような当たり前の夢だと思った。
でも本当は違ったのかも知れない。
彼女はいつだって本気だった。
害獣が街に侵入した日、彼女は私を守るために全力で走ってくれた。
今日だって、私の正体も知らないのに、彼女から見たら出会ったばかりなのに、私のことを仲間だと言ってくれた。
……ああ、彼女の情緒不安定がうつってしまったのだろうか。
この気持ちは感傷でも、ましてや同情でもない。
私はただ、彼女の本気に報いなければ、と思った。
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