6 害獣の森

 へえ、りりのと同じ名前なんて、珍しい偶然もあるものだなあ。

 ……なんて平和なことを考えられるほど、魔法少女の頭は鈍くはなかった。

 至近距離でまじまじと観察してみると、なるほど確かにこの女の人は私が知っているりりのだ。

 トレードマークであるサラサラの長髪をバッサリと短くした上に、髪の色まで変わっているものだから全く気付かなかった。だがこの三白眼じみた大きな目と、喋り方や声の感じ、それらの要素全てが間違いなく本人であると主張している。

 ……なぜ私がこんなにも落ち着いたまま状況の確認をしていられるかと言うと、あまりにもびっくりし過ぎて逆に冷静になってしまったからだ。恐らく無意識のうちに魔法少女としての精神防御機能が働いてしまったのだろう。


 思い返せば今日の放課後、りりのは用事があると言って先に帰っていった。そしてそれは今日だけに限ったことではない。これまでも彼女は週に一度くらいの頻度で必ず先に帰っていたのだった。何の用事なのか聞いたことはなかったけど……どうやらもう聞く必要はなくなったようだ。

 しかし困ったことになった。彼女はまだ私の正体に気付いていないようだけど、ここはいさぎよく自分から正体をバラした方がいいのだろうか。少し迷う。


「さっそく親睦を深めているのは良いことっすけど、そろそろ出発するっすよー」


 魔法使い様にそう言われて辺りを見回すと、いつの間にか広場に残っているのは私たちだけになっていた。


「はーい。それじゃ行こう、ショウコちゃん」

「あ、うん……」


 ……まあ、これから戦いに行くというタイミングで話すのは辞めた方がいいかも知れない。

 りりののことだ、可愛い可愛いと頬ずりをしていた相手が私だったと知ったら、恥ずかしさのあまり、しばらく動かなくなってしまいそうな気がする。


 森の中に入ると、空の上から見た時とは全く印象が違った。

 鬱蒼うっそうと生い茂る木々につる状の植物が絡みつき、その蔓が一度枯れて固い枝のようになり、更にそれらを新しい蔓が結びつけている。そうして幾重いくえにも張り巡らされた植物のカーテンが、まるで結界のように私たちの行く手を阻んでいた。

 おまけに少し足を踏み入れるだけで大小様々な虫が飛び回る。変身していれば刺されるようなことはまずないが、実害はなくとも不快感は増していくばかりだった。

 普通なら前に進むだけで何時間もかかりそうな所だが、りりのは手にした槍を無造作に振り回し、木でも蔓でもお構いなしにザクザクと斬り払いながら奥へと進んでいく。

 脆そうに見えた薄緑色の刃はさすがに魔法の武器と言うべきか、恐ろしいほどの切れ味を誇っているようだ。

 森というよりもむしろ密林といった様相ようそうていする道を歩きながら、私はふと浮かんできた疑問を何気なく口にした。


「百年でここまでなるものかな……」

「単純に人間がいなくなっただけなら、こうはならないっすね」


 独り言のような呟きに答えてくれたのは、最後尾を歩く空手の魔法使い様だった。


「ここまで植物が繁茂はんもしているのは、害獣のせいっすよ」

「害獣が……何か関係あるんですか?」

「害獣の目的は人間を殺すことっす。しかし人間がいない場所では、奴らは人間が作ったものを破壊し始めるっす」


 その習性は宝威さんの授業で習った覚えがある。

 害獣は人間が作った物の中でも、より高度で複雑なものを優先的に壊そうとするらしい。

 だから無人の飛行機を試作して飛ばしても空の害獣に破壊されてしまい、データを収集することすら難しいのだとか。

 しかしそれと植物の異常な繁殖に何の繋がりがあるのだろうか。


「百年前、あらかた人間を殺し終えた害獣は、次に人間の街を破壊し始めたっす。日光を遮る建物をなぎ倒し、地面を覆うアスファルトを引き剥がした。そうして植物が育ちやすい土壌が作られたっす」

「なるほど……」

「でもそれだけでは、恐らくここまでにはならないっすね。どうも害獣の存在自体が、植物の成長を促進させているとしか考えられないんすよ」

「……害獣は食事も排泄もしないと習いましたけど」

「その通りっす。ならば他に害獣がもたらすものは何か……と考えると?」

「まさか、魔力ですか?」

「鋭いっすね。どうやら害獣から漏れ出ている微量の魔力が、植物を異常な速度で成長させているらしいんすよ」

「それは……まるで……」

「まるで、奴らが人間の手から地球の自然を守っているみたいっすか?」


 まさに、そう思った。

 人類がその歴史の中で多くの自然を破壊してきたことは紛れもない事実だ。

 大地は荒れ、水と大気は汚染され、いつか限界が来ることを誰もが予感していた。

 多くの人々はその予感を抱きながら、それは遠い話だと、自分が生きている間は関係ないのだと、そう思い込むことで見て見ぬふりをしてきた。

 なんと愚かな生き物だろう。これは滅ぼさねばならない。……と、どこからか現れたお節介な第三者が考えたとしても、何ら不思議ではない。


「確かに奴らは人間以外は襲わないし、自然を守っているように見える部分もあるっすね。でも自分は違うと思うんすよ。奴らはただ人間を殺すためだけの装置で、他には何の意思も使命も持っていない。人間の文明を無闇に破壊したせいで、取り返しのつかない汚染が広がった地域もあるっす。あちこちで起きた火災によって焼け死んだ動物がどれほどの数に上ったことか。奴らは決して善なる存在などではないと自分は確信しているんす」


 例え真実がどうであれ、厄災の日という地獄をその身で体験した魔法使い様にとっては、害獣は悪以外の何者でもないのだろう。

 私も、害獣は実はいものであるなどと言うつもりは全くない。現在進行形で人間に害を及ぼしている以上、私たちは奴らを殺すしかないのだから。


「でもまあ、こうして森が広がったおかげで野生の鹿や猪が出ることもあるっすから、興味があれば狩ってもいいっすよ。街に持ち帰るのはダメっすけど、その場で捌いて食べるのはオーケーっす」


 重くなってしまった空気を変えるように、魔法使い様が明るく言った。

 確かに野生動物の肉はこの世界ではめったに食べられないものとは言え、さすがに自分で捌こうという気にはならないけど……。

 しかし、狩りという言葉を聞いて、一つ気になっていたことを思い出した。


「そういえば、眷属さんたちの中で弓を持っている人が見当たらなかったんですけど、何か理由があるんですか?」


 狩りといえば、普通は銃や弓を使うものだろう。狩るべき対象が害獣に替わったとしても、遠距離から攻撃した方が有利なのは同じはずだ。

 構造が複雑な銃はともかく、弓と矢なら魔法で簡単に作れそうなものなのに、それらしい武器を持っている人は一人もいない。となると、そこには何か理由があると考えるのが自然だ。


「あー、アタシたち眷属はね、自分の体から離れるような武器が使えないんだ」


 魔法使い様の代わりに、前を歩くりりのが振り返って言った。


「体から離れる? っていうと?」

「見てもらうのが一番早いかな。ほら」


 そういうとりりのは、手に持っていた槍を手近な木に向けて投げつけた。

 槍の穂先が木の幹に突き刺さる、と思った瞬間、槍は煙のように消えてしまった。


「こんな風に、魔力で作った武器は自分の体から離れるとすぐに消えちゃうの。だから例え弓矢で攻撃しようとしても、矢が消えるまでの距離はかなり短いから、害獣に近寄らないといけない。それなら槍みたいなリーチの長い武器で良くない? ってわけ」


 そう言いながら腕を振ると、消えた槍とまったく同じものがりりのの手に収まっていた。

 うっかり武器を落としても今みたいに一瞬で作り直せるなら、むしろ便利と言えるのかも知れない。


「矢だけ本物を用意するっていうのはダメなの?」

「魔力がこもっていない武器じゃ害獣にはほとんどダメージが入らないからねえ」

「それじゃあ本物の矢に魔力をこめれば……あーでも結局体から離れるから……」

「そ、同じこと」


 なるほど、納得がいった。

 ということは、恐らく火や氷を飛ばすような派手な魔法も眷属には使えないのだろう。

 いや、燃料に魔法で火を付けて投げつけるくらいはできるかも知れないが、それだと害獣には大したダメージを与えられないし、そもそも魔法でやる必要がない。

 魔力をこめた武器以外のダメージが通りにくいのは、害獣自体が魔力で体を強化しているからだろう。つまり通常の兵器で害獣を倒すのは難しいということだ。

 だからこそ魔法使い様は眷属を増やして、魔法の力で害獣に対抗するしかなかったのだ。魔法使い様一人一人がどれほど大きな力を持っていたとしても、眷属を作らざるを得ないほど、またそうしてもなお現状を維持するに留まっているほど、害獣と人類の差は未だ歴然としているのだ。

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