ⅩⅨ ユリリラ・キラリ→

 ダンジョンはまさに野生の洞窟といった様相で、前世界で訪れた場所とは様変わりしていた。ちょっとした脇道や岩の隙間から敵が出てこないかと、全力で警戒しながら進んだ。少女は現れた敵と対峙することはなく、どんどん前に進んでしまう。敵も少女に目をやることなく俺にだけ敵意を向ける。俺は貸し出し用の剣で倒すことができず、何とか切り抜けながら少女の後を追い続けた。


 ダンジョンもかなり奥深くなり、もはや一人で帰ることはできないほどに入り組んだ頃にようやく少女が止まった。しかし、そこは分かれ道でも大きな部屋の入り口でもない。扉らしきものもなければ、彼女が隠し扉を開く様子もない。存在するのは前と後ろに続く道だけだ。誰かが設置した松明の灯りだけが存在を証明している。


 するとどうしたことか、世界が傾いた、気がした。斜め前方に先に続く道が落ちていき、下方に存在していた別の道へ続く道へと橋渡しをしたようだった。だが俺には目の前に続く道も見える。下に落ちた目の前の道も見える。これは俺の気のせいなのか。幻術か現実か。俺は大いに戸惑った。まだ心は弱いままだ。


「当初、あなたにすべてを説明するつもりはありませんでした」


 彼女は背を向けたまま話し始めた。彼女はもう少女であり、俺の知るこの世界の住人ではない。


「あなたに過去改変がどうして起こったのか。誰が起こしたのか。どうして解決策がこの世界に来ることなのか。三年間も過ごさなければいけないのか。あなたが諦めて無条件に受け入れた、素朴な疑問を当初、あなたに明かすつもりは一切ありませんでした」

「ああ、俺もそのつもりだった。酒と共にそれを呑んだつもりだった」


 だから俺は自分を戒めてきたのだ。ただ過ごすだけだと。警告にも従ったのだ。生徒であり、教師ではないと。


「でも問題が起こりました。これは仕方がないことだと判断し、これまでを教えることになりました。そのうえで黒羽根諦にはある行動を起こすことを強制します。まずはこれに従うことに同意してください」


 彼女は一方的に言うと、ようやくこちらを向いた。いまだ無表情を崩さない。


「断ったら?」

「このまままっすぐ歩いて帰ってもらいます」

「後ろに走るかもしれないぜ?」

「その場合でも帰ることになります」


 なるほどな。何が起きているか知り、それを選択するには条件がある。それを拒絶するのであれば、あとは世界の上で踊り続けろ。知らぬ、存ぜぬで予定通り過ごし、元に戻れってことか。


 俺はどうする。


 どうしたい。


 もちろん、知りたい。俺に何があったのか知りたい。誰が原因か、このわけがわからない世界は何なのか。どうしてそれで解決する。他の人間クラスメイトが似たような状況って、どういうことだ。三年必要なのはどうしてだ。何か行動しろとか、問題解決しろとか、誰か殺せとか、そういう理不尽でも命令でもなく、ただ暮らすことが解決になるのだ。俺の過去が戻り、未来が元のレールに戻るのだ。


「ああ。俺は知りたい。どうしてこうなったのか、俺はどうしたらいいのか、知りたい」

「それは同意するという解釈で、構いませんか」


 少女はまだ無表情だ。


「……はい」

「わかりました。黒羽根諦がどうしたらいいのか、それは分かりません。未来を教えることもできません。だけど、これまでのことはきちんとお話しします」

「はい」


 やがて一本道が自然と一つの部屋になった。常識的には不自然だが、自然の流れだった。俺と少女は間の机を挟んで向かい合って座っており、先ほどまでいた道はこの部屋の外に出されていた。


「その前に条件です。先ほど見えたと思いますが、黒羽根諦には下の道へ行ってもらいます。指示は追って伝えます。これは絶対です。引き返す道を作ることは私にはできないからです」

「わかった」


 少女は変わらぬ調子で話しを続け、おれはそれに合わせる。

「では、始めます。話は柚留木りらから始まります」


 こうして、ようやく俺と俺の周りの全貌が語られることになり、俺はそれを知った。





 ***





 柚留木りらはよくいる日本人だ。彼女は典型的プロトタイプな高校生だと、彼女は言った。りらが学生生活で最も重視していたのは人間関係だ。そんなりらが入学した小学校、中学校、高等学校はそれこそよくある普通の、とてもありふれた日本の学校だった。思考発育途上である子供が作り出した世界が、そのまま学校社会となる学校。小学校ではみんな大人しくしているでしょう、と諭される。考えて行動するようにと、教えられた。りらは自分が不利にならないようにするにはどうすればいいか考え、ただそれだけで人間関係を作った。これは今後の学生生活の基礎になっている。



 中学校では正確に目の前が見えていない人間に囲まれる。ただ目の前にあるものや人間を一切の偏見や考えなしに捉えればよいのに、それができない。前提が、常識が、先入観が先駆する人間の言動に囲まれることになる。心が成長しないままに少年少女は、上級生のお兄さんお姉さんに従うように教えられる。りらは誰に従って生活することが大事で、どうすれば自分がそのような存在になれるのかを考えた。それを初めて実行したのが三年生の夏手前だった。幼い心を隠し切れない二人の少女を傍らに置いて、りらは稚拙な少年に睨まれるようになっていた。これが黒羽根諦だ。



 高等学校でりらは完成される。知識と方便だけを身に着け、他人よりも他人の心を言葉で突くようになったりらは、さながらクラスのエジプト王だ。りらの策士である点は悪目立ちしないところだ。静かに言葉で支配する。協調同圧を強いるのであれば、それを自分からしてやろうという算段。みんなが自分の顔色を窺う。私と仲良くしている友人たちとの仲は完璧だ。常に保たれた安全領土。



 だけど、それなのに拭いきれない不安を抱えていた。りらはそういう女の子だったそうだ。



 自分は不幸にならないように。今の幸せから落ちないように。自由を邪魔されないように。そうやってそれだけを必死に生きてきたのだという。


「ちょっと待ってくれ。それだと、俺の過去は改ざんされたままだ。まるでそれが正しいとでも言うかのような――」


 少女は俺を遮って続ける。


 柚留木りらはある日級友の少年に言いがかりをつけられる。りら含めた女子三人が主導なってクラス内でいじめが起きている。標的は複数で、手段は存在を否定するかのような無視をし続けること。証拠として俺がナイフを取り出すまで誰も俺の話を聞いていないふりをしていたことが証拠になる、などと言ったそうだ。それから交渉は決裂。一歩も動くことができない他の級友を尻目に少年は少女に刃先を突き刺した。刃物はりらを狙ったが、ただの取り巻きだと思っていた友人が庇い無傷で事件を終える。友人は出血性ショック死。りらはそこで時を止めた。


「時を止めた?」


 少女は俺を無視してさらに続ける。


 これはいじめではないから、あしからず。大丈夫だよ、俺は傷ついたりしてないよ?


 りらはタイムリープした。そしてこの悲惨な事件を回避しようと努力し続けた。何度も何度も。友人が死なず、自分も生き残って生きていく道を探し続けた。失敗する度に地に吐瀉したが、りらは努力し続けた。未来を手にいれるために。



 何度リープしたのか彼女にはもう分からなくなったころ、きっかけを見つけ出して世界線を超えることに成功する。七夕の飾りつけで言えば、吹き流しの一本の切込みから一本の切込みへの移動に成功したのだ。今まではその一本の切込みを編んでいる糸から糸へ渡っているに過ぎなかったと言える。少女はそう言った。



 ナイフは壁に突き刺さり、正気を取り戻した他のクラスメイトに少年は取り押さえられた。それからの彼女の生活は順調だった。友人共々彼氏を作り、卒業してからも、就職してからも仲良く、楽しく幸せを生きるはずだった。少なくとも彼女の中ではそう考えていた。しかし、りらはそこで真理を知ったのだという。


 りらは突然一人ぼっちになってしまった。


 流行に必死に乗り、それが友人関係を構築するすべて。学校で友人が級友を差別するのであればそれを支持し、価値観を同調させた。りらは他の友人同様に彼氏を作った。それも一つのステータスだった。しかし、彼は浮気ばかりで、遊びほうける日々の人。友人も明日のことよりも今日が楽しければそれでいいという主義。何かを忘れるために快楽を求めていた。それだけだった。りらが彼氏の行動の異常さに言葉を発すれば、すぐにめんどうくさい女だと縁を切られた。見かねた友人たちもあっさりときらりを見切った。


 きらりは一人ぼっちになってしまった。孤独になってしまった


 だからりらは再び過去をやり直そうとした。タイムリープを繰り返し、自分の理想となる未来をもう一度作ろうとしたのだ。しかし、それは失敗に終わる。過去改変の過程で歪が生じたのだ。分岐した世界によって本来あってはいけないものが存在し、存在すべきものがなくなった。


 そこには人間も含まれていた。


 そこには町も含まれていた。


 消えてなくなった世界と存在する世界。両社の存在によって存在定義は曖昧化し、とある町が形成された。歪の収束地となったその場所がこの【とある高校】だという。りらの無理な改変は彼女をとある町へ導いた。ここまで時間遡行を手助けしてきた少女と再会。自分の犯した罪を自覚し、この世界での送り人となることを決意。時間を操作したことによって自分の時間をとらえられなくなった人間に自分の時間を取り戻させ、元来た同じ世界同じ場所に返す。


 不正入学をしておらず、殺人の過去もない。そのまま大学卒業して就職ただそれだけのおかしいところも、不可思議もない世界。バタフライエフェクトの羽ばたく前に戻し、分岐しない世界を歩めるようにする。


 諦が殺人を犯したのはいじめに耐えかねてだ。きらり数名率いるクラスに彼の味方はいなかった。握りしめたナイフの刃先はりらへ向かうが、取り巻きの一人が庇って刺される。当時、学校側はこれを隠蔽。世間が不祥事に目を尖らせているときだったからという設定。しかし、四年後。別の刑事事件にこの事件が関連し、発覚したことにした。黒羽根諦がまずこの世界に来られるように。そうするために。


 諦は不正入学していたことになっており、単位と未来が剥奪される。逮捕、移送、トイレ、少女の選択へと誘導した。導かれるようにこのはによって遣わされた「担任」によってとある町へ。



 これが柚留木りらの世界線。長い世界改変旅行だ。



「きらりに何があったのか。それは分かった。でも、俺がそこに関わる理由が分からない」

「黒羽根諦と柚留木りらの存在する宇宙は根本的に別の物です。交わることは一切ない、交差することのない全くの別物です。殺人歴のない黒羽根諦はあなたですが、殺人歴のある黒羽根諦も存在します。両者は異なる宇宙に存在するため、一切交差することがないはずでした」


 俺は頭を抱えた。拒否しないように、話をそのまま受け入れるように努めた。正直、ついていくので精いっぱいだ。


「柚留木りらは周囲の目を気にしながらも強く、必死に生きました。でもそれは本当の彼女ではありません。初めに彼女が私たちを訪ねてきたとき、彼女は『佐倉ゆり』と名乗っていました」



 ……な、なんだって? いま、なんて?



「佐倉ゆりは世間体や価値観をひどく嫌い、独りで生きてきましたが、ふと、強さで塗り固めた心が壊れてしまったのだと、言いました。そこで私たちは【アンティキティラ】の試用も含めて、佐倉ゆりにタイムリープさせることにしました。簡単に言えば過去に戻って、やり直す機会を与えたのです。一度目は感情に振り回されて失敗しました。そして二度目に〝佐倉ゆり〟は名前を〝柚留木りら〟変えて理想の未来を、人生を生き始めたのです」


 その末路は既に語られた通り。そしてきらりはここで同じように自分の時間を生きることができなくなった人にやさしさを与えてきたんだ。俺もその一人に過ぎなかったんだ。


「もう少し詳しく説明しますと、時間超越には電気を使用します。これは生体電気を利用したもので、記憶だけを保持したまま時空を移動させるためです。人間体を移動させるのは物理的に不可能ですので。今回、黒羽根諦にこのような歪みが生じたのもこの生体電気がいつのまにか睡眠時の夢などとリンクしたのだと考えられます」


 俺はなんとかここまでの事実を受け止める。これを嘘だと突っぱねることは簡単だ。そしてそれを証明することも簡単だ。


「もう少し聞いてもいいか」

「どうぞ」

「なぜここに佐倉ゆりが……時間超越する前のきらりがいるんだ。佐倉はそれを知っているのか?」

「いえ、佐倉ゆりは何も知りません。佐倉ゆりの身に起こった不可思議に黒羽根諦が触れてはいけませんが、今回は特別に。教えるだけです。佐倉ゆりは存在が消失しました。柚留木りらが新たに生まれ、存在を否定されました。自分の空間を、時間を正しく測ることができなくなればあとは消えるだけです。宇宙と宇宙の狭間に漂い、そのまま無に帰します。柚留木りらはそれを望まなかった。それだけです」

「もう一つ。ここは、このとある高校のある場所は俺の生きていた宇宙にあるのか? 殺人を犯した俺の宇宙にあるのか?」

「いえ、どちらでもありません」

「じゃあ――」

「宇宙と宇宙の間です。そしてこの場所は時間という物が存在しません」


 時間が、ない。


「中性子星理論をこの世界は体現しています」


 な、なんだと。


「確かに中性子は原子よりも小さく、結束力も強い。だが、あれは重力が強すぎる。もしもとある高校の世界が中性子で構成されているのなら、俺たちはゲル状になって潰れるか、発生した磁気と電磁波にやられる」

「時空観測天体計数算出機。私たちが【アンティキティラ】と呼んでいるこの機械は時間と空間を宇宙規模で算出します。それと同時に、反重力装置も備わっております。中性子の強力な重力で時間を極大まで遅らせ、他の宇宙から見れば時間が止まっているように見えます。その間、宇宙は時間が進み、やがて宇宙は消滅します。そしてもう一度ビッグバンを起こし、宇宙が生まれます。とある世界でちょうど三年後、黒羽根諦の過去改変が起きていない世界になり、そこにあなたを帰す。この世界はそのために作られました。いわば、帳尻を合わせるための一時停止です。電車もよく快速との時間合わせのために止まったりするじゃないですか。そういうイメージです」


 こうしてすべては語られた。俺にこれを拒否する選択肢はもうない。騙されていたのだとしても、受け入れて信じるしかない。それが約束だからだ。


「では、黒羽根諦にはこれから道の下に行ってもらいます」

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