第6話 朝は慌ただしく過ぎていく
朝の一番賑わう時間帯を過ぎた≪月の兎亭≫。しかし喧騒の過ぎた宿内とは裏腹に、俺達は慌ただしく各々の部屋の中で動き回っていた。
「パンツ、パンツは何処だ……あった!」
ガタガタと箪笥を漁り、洗濯済みのパンツを手に取って片っ端からマジックポーチへと放り込む。他の下着や衣服、生活用品はもう入れてるから、取り敢えず俺が持っていく物はこんなもんだろう。
まるで修学旅行当日に荷物の準備をするルーズな子供の様だが、あながち間違っている訳でもない。やっているのは正にお泊りの準備だからな。
「リーリエ達はもう下に行ってるかな」
ドアを出て廊下に飛び出すと、そのまま一直線に階下へと降りる。食堂にはアリーシャさんの姿だけがあり、どうやらリーリエ達の準備はまだ終わっていない様だった。
「おや、一番乗りはアンタかい」
「うっす。物自体があんま無いんで……リーリエ達はまだ来てないんですよね?」
「そうだね。ま、あの
「そんなもんすかね」
「そんなもんだよ」
一先ずテーブルに備え付けられている椅子へと腰を下ろし、一息つく。するとアリーシャさんが珈琲の入ったカップをそっと差し出してくれた。
「ほら、それでも飲んで目を覚ましな。ガレオの淹れるヤツに比べたら味は落ちるかもしれないが」
「あざっす。にしても、紫等級になるのに態々≪グランアルシュ≫まで行かなきゃいけないなんて思いませんでしたよ」
カップに口を付けながらぼやくと、アリーシャさんはくっくっくと笑った。
全員で紫等級へ昇級すると決めたその日に、俺達はガレオとハンブルさんからこれからの流れについて説明を受けた。
てっきりその場で紫等級の
「それだけ、紫等級ってのは特別な存在なのさ。しかも今回は
「……正直、≪ミーティン≫でやった祝勝祭で十分なんすけど。てかアリーシャさんなんだか嬉しそうっすね?」
「そりゃそうさ。ずっとウチを拠点にしていたアンタ達がいっぺんに紫等級になるっていうんだ、女将としても先輩としても喜ばずにはいられないさ」
「……有難う御座います?」
「何で疑問形なんだよ……あっ、そうだ。≪グランアルシュ≫に行くなら、一つ頼み事をしたい」
「頼み事?」
「ああ。手ぇ出しな」
言われるがままに空いていた左手を差し出すと、アリーシャさんは懐から何かを取り出して俺の手に握らせる。
固い金属質の感触のそれは、二つの
「アリーシャさん、これって」
「アタシと、クルスの
「ダグザの爺様って、ギルドの一番偉い人っすよね?」
「そう、グランドマスターのダグザ。叙勲式に出るアンタ達なら絶対に顔を合わせるから、その時にでもサッと渡してくれ」
「……いいんですか?」
これは、言うなればアリーシャさんと今は亡きクルスさんを結ぶ大切な品。それを返却する役目を俺が担ってしまってもいいのだろうか。
「ああ。寧ろ、アンタ達にしか頼めない。意固地な位にスレイヤーとしての本分を全うし、一息で紫等級まで駆け上がって新しい時代を切り拓いていこうとしている、アンタ達にしか」
そう言って、ふっとアリーシャさんは俺から視線を外す。その横顔に微かに浮かぶ物憂げな表情には、過去の憧憬に思いを馳せる様なアリーシャさんの感情が滲んでいた。
「ホントは、もっと早く返すべきだったんだろうが……中々、決心がつかなかった。足がこの有様だから、長距離の移動がキツイってのもあったけど」
苦笑いをしながら、トントンと右足で床を叩いて見せる。靴とスカートの間から、あの朝に見た傷跡が覗いた。
「でもアンタ達の背中を見てたら、もうこの瞬間しかないかなって思ってさ。いい加減、ダグザの爺様も安心させてやりたいし。あの爺様、今でもアタシが元気にやってるのか気になって時々手紙を送って来るんだよ。だから……頼む」
「分かりました。そういう事なら、責任をもって俺の手から返しときます」
「ああ、宜しくね」
一度左手を握り締めてから、俺は愛用しているドラゴンの革で出来たウェストバッグにしっかりと
「……さて! 今のうちにアンタに全員分の弁当を渡しとこうかね」
「え、いいんすか?」
「ああ。多分最初の中継地点を通るまでに昼は回っちまうだろうから、道中で食いな」
「あざっす!」
俺が頭を下げると、アリーシャさんはにかっと笑って厨房へと入っていく。入れ替わる様にして、階段をバタバタと降りてくる足音が聞こえた。
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