第2話 手向けの花

「……さて、掃除を始めようか!」


 祈りを終え立ち上がったアリーシャさんは、俺の隣に置いてあった竹かごから綺麗に洗われている雑巾を取り出し、水筒の水を掛けて湿らせてから墓石を磨き始める。同じ様にして、俺も掃除を始めた。


「あんまりガシガシするんじゃないよ。アンタの馬鹿力じゃ墓石が木っ端微塵になっちまう」

「うっす」


 アリーシャさんの忠告を受けて、俺は注意を払いつつ墓石を磨き上げていく。といっても、元々汚れが少ない状態だったのでそこまで手間はかからなかった。


「そこまで汚れてるって訳でもないっすね」

「クルスは綺麗好きだったからさ。アタシも毎回気合い入れて磨いてるのさ」


 からからと笑うアリーシャさんの声を聴きながら、俺は墓石の文字へと目を移した。

 クルスさんの名前と、生年没年が刻まれている。えーっと、これだと今から……何年前だ? やべ、この世界の暦を未だに覚えきれていない俺じゃ計算が。


「……十二年前だよ」


 手を動かす速度を鈍らせ眉間に皺を寄せていた俺を見かねて、アリーシャさんが教えてくれた。


「今から十二年前さ、クルスが死んだのは。あの時は二人でギルド直々のクエストを受けててね」

「直々、ですか」

「ああ」


 通常、クエストは指名クエストでもない限りギルドのボードに張り出された中から選んでやるもの。

 その指名クエストだって、普通は民間から出されるものだ。現に俺達が以前コトハの雷桜らいおうを修理する際に受けた指名クエストも、民間の人間であるゴードンさんから発注されたものである。


「めちゃめちゃ重要なクエストだったって事ですか」

「そうだね。少なくとも、青等級以下に任せられる内容じゃなかった。だから、当時紫等級になりたてだったアタシらに回された」

「紫等級!?」


 ま、マジすか。確かに凄腕だったとは聞いてたけど、まさか紫等級だとは思わなかった。てか何だか俺等の周りそういう割と凄い人多い……多くない?


「驚いたかい?」

「そりゃあ勿論。紫等級っていったらスレイヤーのトップ階級ですし」

「ははっ。まぁその紫等級もあっさり手放す羽目になっちまったんだけどね……言っとくけど、過去の話なんだから今更アタシに畏まったりするんじゃないよ?」

「うっす」


 苦笑しながら掃除を続けるアリーシャさん。だがそこで、俺は一つの疑問を覚える。なりたてだったとはいえ紫等級の実力を持つアリーシャさんがスレイヤーを引退する羽目になり、クルスさんが命を落とす事になったクエストって、一体どんなもんだったんだろう。

 アリーシャさんはドラゴンと戦って傷を負ったと言っていた。つまり、内容としてはドラゴンの討伐だったんだと思う。

 でも、紫等級二人がかりで討伐出来ずあまつさえ返り討ちにするドラゴンって言われても、ちょっと思いつかない。

 そんな真似が出来そうなのは、俺の知る範囲じゃ地岳巨竜アドヴェルーサくらいなものだが、あのクラスがポンポンいるとは考え辛いな。


(聞いてみる、か?)


 そう考えたが、俺は口を開くのを思いとどまった。

 正体が何であれ、そのドラゴンはアリーシャさんにとって辛い記憶を呼び起こす存在であるはず。なら深入りは避けた方がいいだろう。

 ここは死者が安息につく場所であり、アリーシャさんにとって今は亡き夫であるクルスさんが眠る場所だ。そこでわざわざ過去を掘り返すような不躾な真似は出来ない。その位の気配りは、俺にだって出来る。


「よし、こんなもんかね」


 頬にかかった黒い髪を手で掻き上げて、アリーシャさんはうんうんと頷く。東から昇り始めた太陽の光に照らし出された墓石は、誰の目から見ても綺麗だった。


「ムサシ、花を」

「うっす」


 雑巾を受け取って竹かごに放り込み、纏められた数輪の花を手渡す。柔らかなオレンジ色の花弁を持つ、慎まやかな花だ。


陽灯花ひとうばなって言ってね。手折ったら二日と持たず干からびちまう花だから、あんまり墓前に供えるのには向かないんだけど、クルスが好きだった花だからさ」


 先に置かれていたくすんだ色の陽灯花ひとうばなを取り除き、新しく彩のある陽灯花ひとうばなをそっとアリーシャさんは供える。どこまでも優しい手つきと表情に、アリーシャさんの心に生き続けるクルスさんへの想いを垣間見た気がした。

 受け取った朽ちた陽灯花ひとうばなを竹かごに入れて、俺は再度祈りを捧げたアリーシャさんと同じ様に手を組んだ。暫しの沈黙の後、アリーシャさんは立ち上がる。


「さて、戻ろうか。そろそろ朝の客が入り始める頃だ、忙しくなる。悪かったね、付き合わせちまって」

「いえ、全然問題ないっす。世話になってるアリーシャさんの大切な人に挨拶できた訳ですし、寧ろ連れて来てもらって良かったかなって」

「そう言って貰えると助かるよ」


 荷物を持って、俺とアリーシャさんは立ち上がる。最後に墓石を一瞥してから、二人で並んで墓地を後にした。


 ◇◆


「アンタ達、今日はどうするんだい?」

「そうっすね。最近近場のクエストばっかりでいい加減体が鈍って来たんで、そろそろ大物を狩りに行こうかなって」

「成程。じゃあ暫く宿には戻らない感じかね」

「ですね。アリーシャさんの飯にありつけなくなるのはネックなんですけど」

「帰ってきたら腕によりをかけた料理を食わせてやるよ。だから気を付けて行ってきな」

「了解!」


 気前よく返事をして、俺は今日からの予定を頭の中で組み立てていく。詳細はリーリエ達と相談した上で決める事になるが、その辺は飯を食いながら考えればいい。


 ぼんやりとしたスケジュール。しかしそれは、朝一で≪月の兎亭≫にやって来たギルドの職員の言葉により大幅な修正をせざるを得なくなったのだった。

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