第4章 濡羽色の未亡人と厄災の龍
Prologue…朝の一仕事
※別作品の書き貯めを行うため、今回から週一(金曜日)更新とさせていただきます。
◇◆
一年の中でもっとも食が進む季節はいつかと言われれば、俺は秋と答えるだろう。
"実りの秋"と呼ばれるように、この世界でも秋は収穫の季節である。つまりとれたての新鮮な作物を使った美味い料理が大量に増える。
今年は、これまで過ごしてきた山の中での秋とは違う。文化的で、手の込んだ料理がたらふく食える――今は、そんな季節だった。
「ふっ、ふっ!」
≪月の兎亭≫の裏庭で、俺はひたすらに
ちょっと物足りない感じもするが、不謹慎なので口には出さない。時折筋肉が闘争を求めて疼くのは事実だが、だからといって筋肉の導きに従って
「うっ!」
にょっきりと角を生やして仁王立ちするリーリエの姿を思い浮かべて、思わず身震いをしてしまう。するとその震えがもろに
「……今日はこの辺にしとくか」
集中力が途切れてしまった事を自覚し、俺は溜息を吐いて
「まだまだだなぁ、俺も」
成長は続くよどこまでも、きっと死ぬまで終わりは来ない。
「さて、戻るか」
「……ありゃ?」
裏口から宿内に戻り、一階の食堂を通りかかった時。俺は入口からえっちらおっちらと荷物を運び込んでいるアリーシャさんの姿を見かけた。
どうやら食材のようだが……量がヤバい。外と中を仕切るガラスの向こう側には、野菜やら何やらがはみ出している山積みの木箱が見える。
明らかに一人で運び入れるには多すぎる量だ。俺は小走りで駆け寄り、アリーシャさんが抱えていた木箱をひょいと取り上げた。
「おっと……ムサシ?」
少し驚いた様子でこちらを見上げたアリーシャさんに、俺はくいっと顎で外を指す。
「手伝いますよ、一人で運ぶにゃ大変でしょ」
「そりゃ助かるけど、いいのかい? アンタ裏庭で鍛錬してたんだろ?」
「集中力切れちまったんで、少し早めに切り上げたんです」
「そうかい、じゃあ手伝ってもらおうかね。食糧庫は裏庭を通った先にあるから、そこに持ってってくれ」
「うーっす」
アリーシャさんの指示を受け、俺はさっき通って来た勝手口へと向かう。まだ眠っているであろうリーリエ達を起こさないように注意しながら、黙々と荷物を運んだ。
◇◆
最後の木箱を運び終わったところで、綺麗になった宿の入り口で俺はぐぐっと伸びをする。パンパンと手を払ったアリーシャさんが腰に手を当て、俺を見上げた。
「よし、これで全部だね。ありがとう、助かったよ」
「いえいえ、お安い御用っす」
スッキリとした表通りを見て、俺は首をコキコキと鳴らす。突発的な仕事だったが、鍛錬と合わせて良い運動になった。
「しっかし、いつもあんな量運んでるんすか? だったらこれからも手伝いますけど」
「いや、今日が特別多かっただけさ。収穫期に合わせていつもより多く仕入れたんだけど、業者が配送の時間間違えやがったからね。お陰で朝から重労働する羽目になったのさ」
「あー、じゃあ本当は夜とかに運び入れる予定だったんすか?」
「そうだね。全く、よりにもよって朝のクソ忙しい時に持ってきて……次やったら尻でも蹴飛ばしてやろうか」
「ま、まぁまぁ」
ふんと鼻を鳴らして右足をぷらぷらさせて息巻くアリーシャさんを見て、俺はたらりと冷や汗を流す。引退したとはいえ元凄腕のスレイヤーであるアリーシャさんに蹴られたら、その業者さんは多分悲惨な事になる。
どうどうと宥めていた時、俺はアリーシャさんのある部位を見て動きを止めた。
「……アリーシャさん、その傷は」
「ん? ああ、これ」
俺の変化に気付き、アリーシャさんは持ち上げていた右足に視線を落とす。正確には、足首にだ。そこには、うっすらとだが痛々しい傷跡が残っていた。
「昔、ドジやった時に付けちまった傷さ。普通に暮らすぶんには何ともないんだけどね」
「それって、もしかして」
「そ、ドラゴンにやられちまった。足をやっちまってスレイヤーを続けるのはちょっと無理があるし、その時に一緒に戦った旦那は死んじまったからねぇ」
「――! す、すんません!」
おもっくそ地雷を踏みぬいてしまったと思い、俺は慌てて頭を下げる。それを見たアリーシャさんはポカンとしてから、くつくつと笑った。
「いや、そんな謝らなくてもいいよ。隠したい話って訳でもないしね。まぁアレがアタシの人生の中で大きな出来事だったっていうのは確かだけどさ」
「そ、そうっすか……にしても今まで全然気付きませんでしたよ。俺人間の動きを見極めるのはそれなりに自信ありますけど、全く分かんなかったすもん」
「変に気を遣われるのは嫌だからね、不自然にならないように立ち振る舞いには気を付けてるのさ」
アリーシャさんは何でもない事のように言っているが、ぶっちゃけかなり凄いと思う。
俺は自分の目が常人よりも遥かに良いと自負している。その俺に全く事情を察知させないというのは相当である。
凄腕のスレイヤーとして活躍していたアリーシャさんだからこそ出来る、細やかな体の操作という事だろうか。
「そういう事だから、あんまり気にするんじゃないよ。辛気臭い面したまま飯を食ったら承知しないからね」
「うっす。あ、でも」
「ん?」
「これからは、俺も食料の運び入れ手伝いますね」
「……アンタね、今気を遣われるのは嫌だって言ったばっかりじゃないか」
「気ぃ遣ってる訳じゃないっすよ、これはゴーリテキな判断です」
「合理的ぃ?」
「万が一にでも古傷を庇い続けた事が原因でアリーシャさんが厨房離れる事になったら、胃袋掴まれてる俺等行動不能になるっすもん。これからもアリーシャさんに美味い飯を作ってもらう為に、少しでも不安要素は消した方がいいでしょ? だから俺が手伝うのは理に適ってます」
「アタシ、引退して十年以上たつけどこの傷の所為でどうにかなった事なんか一度も無いんだけど。合理的っていう割には随分とお粗末な建前じゃないかい?」
「……………………とにかく!! 手伝います!!!!」
「っ、早朝だよ!!」
「いてっ!」
分が悪くなったのを誤魔化すために声を張り上げた俺を、アリーシャさんが思いっきり引っ叩いた。普通に痛いです、ごめんなさい。
「ったくもう……好きにしな。ただし、手伝うって言ったからには適当な仕事は許さないよ」
「うっす!」
はぁと溜息を吐いて白旗を上げたアリーシャさんを見て、俺はガッツポーズを取る。
ぶっちゃけ、こんな話を聞いて気にしないってのは俺には無理な話だ。古傷っつっても気を付けないと動きに現れるレベルなんだ、いつも世話になってるアリーシャさんの事を考えれば手を貸すのは当然だ。
「ところで、これからどうするんすか? もう開店の準備始めちゃう感じですか」
「うーん、どうしようかね……アンタが手伝ってくれたから、
「日課?」
「ああ」
日課が何を指すのか分からず首を傾げる俺を見て、アリーシャさんは顎に手を当て暫し考える。そして、「よし」と顔を上げた。
「アンタ、もう鍛錬は終わったんだろ? だったらちょっと荷物持ちをしな」
「荷物持ち……どっかに行くんすか?」
俺が聞き返すと、アリーシャさんはこくりと頷いた。
「これから、旦那の墓参りに行くよ」
朝の静寂に、アリーシャさんの言葉が溶けていく。ちちちっと聞こえた鳥の鳴き声が、俺とアリーシャさんの間を駆け抜けていった。
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