第131話 ラトリアとアイリ
僅かな淀みすらない眼差しに、わたしは思わず視線を逸らした。
目を合わせ続ければ、心の中を見透かされてしまう様な気がしたのだ。わたしはそれがどうしようもなく――怖かった。
「ん? どうした、ラトリア」
急にこちらを向いたまま動きを止めたラトリアさんを見て、ムサシさんは首を傾げる。情けない話だが、わたしはムサシさんの言葉でラトリアさんの気が逸れて、そのままこの場は解散になればいい――そう思った。しかし……。
「……ムサシ。少し、アイリさんと話しても……いい?」
そんなわたしの願いも空しく、ラトリアさんはムサシさんのシャツをついついと引っ張る。ムサシさんは少し驚いた様子だったが、直ぐに難しい顔になった。
「いや、それは迷惑じゃないか? アイリさんもリサさんも本の搬入の仕事が残ってる訳だし、あんまり俺達が拘束しちまうのは……」
思わぬ助け舟である。ムサシさんがそう言って諭すと、ラトリアさんはむぅと眉尻を下げる。
ラトリアさんと話すのが嫌な訳では無い。むしろ街全体の危機が去ったからこそ、落ち着いて話がしてみたいと思う。
ただ、今ラトリアさんと一対一で話したらこの心に沸いた昏い何かが溢れてしまいそうなのだ。だから――。
「あ、構いませんよ。アイリも言ってましたけど、丁度休憩を取ろうと思っていた所ですから」
……折角の助け舟が、まさか身内に沈められるとは思わなかった。わたしが少し非難を込めた視線を向けると、リサさんは目を丸くしてからポンと手を叩く。
「そうだ、ムサシさん。もしよければなんですけど、一つお手伝いをお願い出来ませんか?」
「手伝い……っていうと、物運ぶ感じですか? 全然いいっすよ」
「ありがとうございます! どうしても、あたし達だけで運ぶのが難しいものがあって……」
唐突なお願いにも嫌な顔一つせず、ムサシさんはリサさんに連れられて本の向こう側へと消えていく。完全にわたしの視界から消える刹那、リサさんはこちらを振り向いて小さくウィンクをした。
気を利かせたつもり、だろうか。ラトリアさんにとっては思った通りに事が進んだ事になるのだろうけど、わたしからすれば……いや、これ以上は愚痴になるのでやめよう。なってしまったものは仕方がない。
「アイリさん……座ろ」
「……はい」
ラトリアさんは二人がいなくなったのを確認し、手近な場所に積まれていた本の下に敷いてある布の上に腰を下ろす。
促されるまま、わたしも隣に座った。互いに足を崩して、少しぼーっと空を眺める。そして、ラトリアさんは口を開いた。
「……最近、嬉しい事があった」
「それは……ムサシさん関係の事、ですか?」
「ん……そう」
やはり、か。何処か弾んでいるラトリアさんの声音を聞き、心の奥底がざわつく。どうしてここまで心が乱れるのか……分からない、
「……ラトリアの人生はね、とっても苦しくて……痛い事の、連続だった」
「苦しくて、痛い?」
「ん……」
その短い言葉に、わたしは言い知れぬ重みを感じた。
ラトリアさんはとても若い、外見からすれば恐らく成人したかしていないか程だと思う。だが淡々と言葉を紡ぐ今のラトリアさんは、見た目よりもずっと――大人びて、見えた。
「少し……昔話を、聞いて欲しい。いい、かな?」
空に向いていた視線をゆっくりとこちらに向けたラトリアさんに、わたしは頷く事しか出来なかった。深い蒼色の瞳に、言葉に言い表せない
視線を前に戻したラトリアさんの口から語られたのは、わたしの想像を遥かに超えるラトリアさんの過去についての話だった。
かいつまみながらではあったが、それでも耳を塞ぎたくなるような内容。それが全て目の前に座っているラトリアさんが実際に体験してきた事なのだという。
信じられない、というのが正直な感想である。しかし静かに語り続けるラトリアさんの真剣な横顔を見れば見る程、全てが実際にあった出来事なのだと嫌でも理解した。
わたしはラトリアさんを“英雄”の一人で、自分が手を伸ばそうとしていたものを先に掴んだ人――そんな風に思っていた。
だがそれは余りにも浅はかな考えだった。もし数刻前の自分が目の前にいたら、わたしはその自分の頭を叩いていたかもしれない。
どの位時間が経っただろうか。体感的には数時間も経過しているような感覚だが、実際はそんなに経ってはいない。
一通り話し終わったラトリアさんが、ふぅと息を吐いてわたしの顔を見た。
「やっぱり……たくさん喋ると、少し疲れる……ね」
「水を飲まれますか?」
「ん……」
わたしが腰のポーチから水筒を取り出して差し出すと、ラトリアさんは小さく頭を下げて受け取り、流し込んだ水でこきゅこきゅと喉を鳴らす。
「ふぅ……ありがとう。美味しかった」
「礼には及びません。それよりも、良かったのですか?」
「ん……何、が?」
「いえ、その……わたしに、今の話をしても。聞く限りでは、あまり表に出してはいけない話、なのですよね?」
「あー……ん、いい。もしムサシやガレオさんに、怒られたら……ちゃんと謝る」
そう言って、ラトリアさんはにこりと笑う。壮絶な過去の話をしたとは思えないほど、その笑顔は澄んでいた。
「それに、アイリさんには……どうしても、聞いて欲しかった」
「それは、どうして」
「アイリさんが……ムサシを、
ラトリアさんが放ったその一言は、すとんとわたしの心に入り込んだ。すると、内側で蠢いていた粘り気のある感情が嘘の様に晴れていった。
「ムサシは、ああいう見た目だから……結構、誤解されやすい。でも、アイリさんは……ムサシと、ちゃんと正面から、向き合ってくれてる……アイリさんだよ、ね? ムサシが本を借りに来た時、助けてくれたの」
「そうです、ね。でもあれは、ただ司書としての職務を全うしただけで――」
そこまで言って、わたしは言葉に詰まった。
わたしは、自分の仕事はきっちりとこなすタイプである。しかし、特別人より度胸がある訳では無い。
そんなわたしが、果たして仕事だからと言って他の司書や利用者の方たちが怖がって近寄ろうとしなかったムサシさんに、何の躊躇いもなく話しかける事が出来るだろうか。
実際にわたしから声を掛けたのは間違いない。ただラトリアさんの指摘を受けて、過去の自分の行動に疑問を抱かずにはいられなかったのだ。
次の言葉を手探りで探すわたしを見て、ラトリアさんはふふっと笑った。
「……アイリさんには、ね。初めからちゃんと、ムサシの中身が見えてたんだと……思う、よ」
「中身、ですか」
「ん……人間性とか、そういうの。ムサシはね、本当に強くて……優しい、人なの。アイリさんにはきっと、その優しさを……外見とか関係無しに、見抜いてたんじゃ……ないかな」
……ラトリアさんの言っている事は、全て第三者視点からの推測だ。普通に考えるなら、あまり当てにはならない話。
だが、わたしは自分でも驚く程素直に納得していた。ラトリアさんの言う通りであれば全て納得出来るからだ。
特に怖いとも思わずにコミュニケーションを取れた事も、“熊みたいだ”と言ったリサさんに“可愛いじゃないですか”なんてらしくも無い反論を返せたのも……無意識に、ムサシさんを“良い人”だと認識していたから。
「……そんなムサシだから、なんだろうね。ラトリアが、どうしようもなく……惹かれた、のは」
「――――!」
わたしは、直感する。ラトリアさんが本当にわたしに伝えたかった話は、今この瞬間から始まると。
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