第101話 VS. 地岳巨竜アドヴェルーサ 19th.Stage
「え……」
倒れ伏しながら困惑するラトリアの前に、ふわりともう
『答えて』
明瞭な声で投げ掛けられた、シンプルな一言。しかし、それにラトリアは即座に返す事が出来なかった。
『……あなたは、“自分は最期まで独り”だと言った。でも、それは
すっと、もう一人の自分がラトリアの前にしゃがむ。静かに見下ろしてくる瞳と、ラトリアの視線が重なった。
『思い出して。今日、ここに来るまで……あなたの事を想い、寄り添ってくれた人達の事を』
その言葉に、視界と体を蝕まれながらも、自分でも驚くほど素直にラトリアは従った。
今のラトリアの記憶は、喪失から始まる。恐怖と混乱の中で、訳も分からない内にお父さんとお母さんを失った。
次に、あの白い世界と寒気を覚える表情を常に張り付かせていた人達が思い浮かんだ。正直、好んで掘り返したい過去ではない。
でも……そんな凍てついた世界に、ぼうっと温かい灯火が宿る。
「……せん、せい」
ぽつりと零した言葉に、もう一人のラトリアは優しく微笑んでこくりと頷いた。
先生は、あの無機質な世界で唯一ラトリアの側に立ってくれた人だ。先生のお陰で、ラトリアは
それを思い出した時、ざわざわと蠢く闇の動きが鈍る。体が、少し楽になった。
しかし、
「あ……ぁ……」
……博士。あの整った顔に不気味なほどの澄んだ笑みを浮かべた光景が頭によぎった時、ひゅっと肺が縮んだ。
あの人は、ラトリアにとって存在自体が恐怖その物だ。それこそ、先生の記憶がもたらした光を覆いつくしてしまう程に。
(う、ぁ)
一気に昏む世界は、もう一人のラトリアまでも侵食する。しかし、目の前にいる
『大丈夫、もう一息だから。しっかり思い出して……あの、
「……!!」
それが、
その人達は、行き場の無いラトリアに居場所をくれた。あまつさえ、自分達にとって赤の他人でしかなかったラトリアの、力になるとさえ言った。
(どうして、忘れていたんだろう)
『それは、あなたがここで絶望に呑まれて、全てを諦めようとしていたから』
心に浮かんだ疑問に、もう一人のラトリアは即座に答えを返した。
『……“諦め”は、何もかもを奪う。諦めた瞬間、人はあったはずの希望や選択肢を見失ってしまうの』
(……ラトリアにとって、あの人達は)
『ん、そう。“希望”であり、“未来”』
だから、忘れた。他ならない、ラトリア自身の絶望で、かけがえのない人達が忘却の彼方へと押しやられてしまっていた。
『先生は、あなたを冷たい世界から守ってくれた』
(あの人達は、ラトリアに未来を示してくれた)
ぐぐぐっと、四肢に力が戻る。しかし、力を増した闇はびくともしない。このままでは、間違いなくラトリアは深淵の底へと連れて行かれてしまう。
――そんなのは、嫌だ――
いつの間にか歯を食いしばり、必死の形相を作っていたラトリアに、もう一人のラトリアは、はっきりとした口調で告げた。
『一人ではだめ。だから、頼って……あなたの事を、仲間だと言ってくれた――“ムサシ達”の事を』
その名前が出た瞬間、ビシリと空間に音が響いた。同時に、ぱくぱくと口が動いたラトリアに向かって、もう一人のラトリアが手を伸ばした。
『
そう言い残して、もう一人のラトリアは陽炎の様にふっと消えた。それを見届けたラトリアは、地面に這いつくばりながらも大きく息を吸い込み……叫んだ。
「――お願い、みんな。ラトリアを、
その絶叫が空間に響いた瞬間……バシュンと音を立てて、ラトリアを蝕んでいた闇が消え去った。
代わりに体を包んだのは、優しく温かな
しかし、なお闇はラトリアを食らおうと蠢く。それを断ち斬ったのは、目を焼く程の輝きを放つ
「あ……」
幻想的とも言えるその光景を、ラトリアは体を起こして呆然と眺めていた。
だが、
どうやら、完全な力押しをするつもりらしい。だが、きっとそれは叶わない。
だって――力の権化たる“ムサシ”が、いるもの。
“ズ ン ッ ッ ! ! ! ! ! !”
突如として鳴り響いた轟音が、この世界全体を揺るがした。
同時に、ぐにゃりと闇が歪む。その動きは、揺れと共に拡がる
だが、そんな些末な抵抗など無意味と言わんばかりに不可視の圧力は更に力を増す。結果、空間を支配していた闇は瞬く間に駆逐されていき……やがて、
「……は、はは」
あまりに呆気なく闇が消え去った事実に、ラトリアは笑うしかなかった。そして、初めて闇の外側に隠されていた光景を目にする。
――草原。視界を埋め尽くしたのは、見渡す限りに緑の大地が敷き詰められ、その上で風が躍る大草原だった。
「……きれい」
今までとは全く違う穏やかな景色が広がった事に、ラトリアは驚きを隠せない。ゆらゆらと立ち上がって辺りを見回そうとした時、ざっと音を立てて誰かがラトリアの傍に立った。
「あ……」
視線を動かして先に居たのは、
一人は、茶色の髪に深い青色の瞳が印象的な男の人。もう一人は、晴天を思わせる青い長髪を風に揺られている女の人。
ラトリアは、この人達を知っている……知らない訳が、ないのだ。
「おとうさん……おかあ、さん」
朧げな輪郭ではなく、はっきりとした姿形を以ってラトリアの前に現れた、死んだ筈の両親。
胸の奥から熱い物がこみ上げ、思わずラトリアは二人の下へ飛び込もうとした。
「……っ!」
だが、跳び出そうとしたその衝動をラトリアは間一髪で押し留める。ぎゅっと両腕で体を抱き締めて、俯きながらふるふると首を横に振った。
(だめ……だめだ、よ。ここでお父さんとお母さんに触れたら……きっと、ラトリアは
強く強く自分を戒めながら、ラトリアはゆっくりと顔を上げる。視線の先に居たお父さんとお母さんは、そんなラトリアを見て、ホッとした様な表情を作ってから頷いて見せた。
二人とラトリアの間に、無言が広がる。話したい事は山ほどあるけれど……たぶん、言葉を交わす事すら、許されないのだろう。
だから、ただ見つめ合う。お互いに視線を逸らさず、真っ直ぐに。
「…………」
どれ位、そうしていただろうか。ふっとラトリアは腕から力を抜き、背筋をピンと伸ばす。
「……えっと、その……ラトリアは、帰らなきゃいけない」
静かに、明瞭な声音でラトリアは二人に告げる。紛れもない、別離の言葉だった。
もっと、言い様はあったかな……そう考えたラトリアに、お父さんとお母さんは小さく苦笑してから揃って頷いて見せた。
どうやら、娘の口下手な所には目を瞑ってくれたらしい。そんな二人の様子を、ラトリアにはとても愛おしく思うと同時に――もう届かない、遠い光景なのだと受け止めた。
でも、それでもいい。現実では無い世界とはいえ、死に別れたお父さんとお母さんにこうして逢えたのだから。それだけで、ラトリアには十分。
「……もう、いくね? 待ってくれてる人達が、いるから」
ぱんぱんと頬を叩いて決意を固めたラトリアを見て、お父さんとお母さんはすっと表情を引き締めた。
そして、徐に掌を前に差し出す。すると、二人の手から柔らかな白い光が溢れ、一つの光球となった。
「え?」
困惑したラトリアに、光は一直線に向かってくる。そのまま、ラトリアの体に当たった光は、溶ける様にして全身へと染み渡っていった。
あたたかな陽光に包まれる感覚を、ラトリアは感じる。そして……ぼろぼろと、涙を流した。
(ああ……よかった。ラトリアは、
心を隅々まで満たした光が伝えた
その感覚が何を意味するのか、ラトリアは本能で理解した。涙をぐしぐしと拭って、精一杯の笑顔を浮かべてから、くるりと踵を返す。
「……いってきます」
そう言い残し、ラトリアはずんずんと歩を進める。既に、この世界の出口ははっきりと
引き留める為ではなく送り出す為に“真心”を伝えてくれたお父さんとお母さん。そして、ラトリアを絶望と諦観の縁から救ってくれたムサシ達。
今日に至るまで、手を差し伸べてくれた全ての人達に報いる為に――ラトリアは、
◇◆◇◆
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