第90話 閑話:シンゲン-2
◇◆◇◆
夜天の下に広がる大地を、這いずる様な地響きが揺らす。自然現象ではない、この振動は全て生物の移動によって作り出された物だ。
「……あれでござるな」
風属性魔法【
“大群”と報告されていただけあり、その数は膨大だ。しかし、数多の鉄火場を潜り抜け紫等級まで登り詰めたシンゲンが、それに臆する事は無い。
「目立つ個体も、幾つか混ざっている様でござるが……ちと、
そう言って、シンゲンは足を止める。風を切って走っていたにも拘らず、それが嘘であったかの様な急停止だった。
仁王立ちとなったシンゲンは、真上を見上げる。薄みがかった雲に覆われた夜空から降り注ぐ月光は、これから戦闘を行うには少し心許ない明るさだ。
そこで、シンゲンは戦闘に適した視界を確保する為光源をより鮮明な物にする事にした。
「ふぅー……」
展開式の鞘を、背中から腰へとスライドさせて抜刀の姿勢を取る。練られた魔力が周囲に漂うと、息を整えたシンゲンは一度目を瞑り――。
「――【
覇気を伴った詠唱と共に、疾風を纏いし不可視の斬撃を、天に向かって奔らせた。
青白い太めの刀身から一直線に伸びた斬撃は、暴風を以って曇天に襲い掛かる。瞬間、月と大地を隔てていた薄い雲が、
「これで、良し」
視界がよりはっきりと見える様になった所で、シンゲンは大太刀を鞘に納める。
風を意のままに操作する【
結果、遥か上空に掛かる雲を斬り払う等という馬鹿げた真似をやってのけて見せた。
天候を変えてしまうと言っても過言では無い威力だが、この場合はあくまでも一時的に雲と雲の間に隙間を作ったに過ぎない。
完全な雨天時などに掛かっている分厚い雲が相手では、流石のシンゲンでもここまで上手くはいかない。それでも、十分過ぎるが。
「さて、中々の数であるな」
次第にその輪郭をはっきりと浮かび上がらせ始めたドラゴンの群れを相手に、シンゲンは顎を一つ撫でる。
しかし、この時シンゲンも町に居るスレイヤー達も……本来ならば、
この群れは、一体の漏れも無く全てがムサシ達と対峙した一団だ。あの時、咄嗟にムサシが取った型破りな行動により、群れは二つに分裂している。
片方は、そのまま散り散りとなって各地の森や山に紛れた。もう片方が、今仮設町を襲う脅威となっているのだ。
これがもし、ムサシ達との邂逅を経ずに勢力を維持したままであったなら、その全てが仮設町へと雪崩れ込んで来ていただろう。
この思いがけない幸運は、シンゲン達はおろかムサシ達も知らない事実である。
「頼むでござるよ、“
ポンポンと、シンゲンは相棒である大太刀――
そうしていると、群れから突出した二体のドラゴンの姿が目に入った。二体は、真っ直ぐにシンゲンへと向かって猛然と大地を疾駆する。
【
性格は極めて獰猛であり、人間への被害も多数確認されている。絶対に、通してはならない相手だった。
「余程、腹を空かしている様でござるなぁ」
シンゲンの見立ては、間違っていなかった。
群れの中にいる自分よりも弱いドラゴンを狙えばいい話ではあるのだが、生憎自分以外のドラゴンが多数いる状態で、食事中の無防備な姿を見せる訳にはいかない。
そんな彼等の前にぽつんと現れた
しかし、その人間は一人だけである。当然、争奪戦になる。そこで、この二体の
……しかし、空腹の所為で混濁していた思考は、
即ち……本来であれば野生の本能で感じ取る事が出来た筈の、
「ガアアッ!!」
それに気付く事無く、二体の
「――ガ?」
貪欲な顎が、シンゲンの頭蓋を噛み砕かんと迫った瞬間――
同時に、
「他愛、無し」
ズゥンと背後で力無く倒れる巨躯の気配を感じ取りながら、シンゲンは音も無く抜刀した
脱力の状態から繰り出された斬撃は、神速と呼んで差し支えない抜刀速度を以って、大業物の
それにシンゲンの膂力と技術も合わされば、硬いドラゴンの鱗と骨を断ち斬るなど造作も無い。
しかし、無残に命を刈り取られた同族の姿を見ても、他のドラゴン達は止まらない。それは、シンゲンも分かっていた。
この数を全て相手にしようとすれば、どうしても討ち漏らしが出る。そこで、シンゲンは斬る対象を脅威度の高い、大型種と中型種に限定する事にした。
小型種は数を揃えて後ろに控えている者達に任せて、単独かつ最高戦力のシンゲンは彼等の手に余る様な少数の相手を殲滅する。合理的で、ベストな選択肢だった。
「……むっ!?」
狙いを定めていざ勝負に出ようとしたその時、不意にシンゲンを
咄嗟に、シンゲンは地を蹴り大きく飛び退く。次の瞬間、今まで自分が立っていた場所に、空から降って来た
地面を大きく抉る破砕音と共に、もうもうと立ち込める土煙。その裏に揺らめいていた影が、一拍を置いて……凄まじい雄叫びを上げた。
「――ギュルァァアアアアアアアアアアアッッ!!!!」
夜天を劈く、けたたましい咆哮。思わず他のドラゴン達が足を止めてしまう程の威圧感と共に現れたのは、月光を浴びて眩い輝きを放つ
「……
四本の脚で地に立ち、紺碧色の双眸で睨み付けてくるドラゴンを相手に、シンゲンは即座に腰の
――【
全身を覆う銀一色の外殻は、並みの攻撃など一切寄せ付けない頑強さを誇る代物で、その上質さと本体の討伐難度から、名だたる大業物にのみ使われる特級の素材として重宝されている。
ムサシが≪
あの剣は、まさかの一振りで壊されるという悲惨な結末を迎えた訳だが、それはただ単にムサシの膂力が頭のオカしいレベルだったという誤算により発生した悲劇だった。
本来であれば、
それこそ、ここに居るシンゲンが振るっても問題が無い程に。
しかし、この場で一番の問題となるのは防御力では無く、ドラゴンとしての
血気盛んな性格に高い戦闘能力と強力な
唐突に表れた上位者に、他の有象無象はたちまち混乱に陥る。濁っていた頭も、一気に冴えたと言う様な反応だった。
「厄介で、ござるなッ」
膠着状態を破り、大地を踏み砕いて前脚を叩き付けて来た
少なくとも、平原を押し進んで来た大群の中に
消耗して足の遅れたドラゴンを襲って腹の足しにする為か、混乱に乗じて仮設町に襲撃を掛けるつもりだったのかは分からない。
ただ一つ、はっきりと分かるのは……
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