第59話 過去は終わり、未来が始まる
そのまま追うか、先回りするかの二択……考え抜いた末、俺は後者を取る事にした。
確実に会えるのは、前者であろう。コトハのニオイは覚えている訳だから、それをずっと追いかけて行けばいいだけの話だし。
ただ、タイミングによっては街の外で追いつく可能性がある。それは、何だか違う気がした。
この≪ミーティン≫で、俺はコトハの過去に触れた。その始まりの場所からコトハが去ろうとしているのなら、この街中にいる間に決着を付けるべきだろう。その結果がどうであれ、だ。
そうして俺が向かったのは、街の大通りの途中にある一つの広場。中心に巨木が生えているその場所で、俺は長椅子に腰を下ろしてその時を待った。
確証は無かった。コトハのニオイがある訳でも無いから、ここを通らない可能性だってある。
勝ち目の低い賭け。だが、俺の勘は“これでいい”と告げていたので、俺は今まで幾度も自分を助けて来たそれを疑わず、静かに待った。
賭けの結果は……まぁ、俺の勝ちだった。腕の中にある確かなぬくもりを感じつつ、俺は内心でホッと胸を撫で下ろす。
「……ムサシはん」
「ん、何だ?」
「本当に、ええの?」
胸に埋めていた顔を少しだけ上げて、コトハが上目遣いで俺に問い掛ける。その瞳には、まだ少しだけ不安の色があった。
「駄目な理由が無いな。コトハこそ、俺でいいのか? リーリエとアリア曰く俺は“女誑し”らしいぞ」
「知っとるよ。でも、ムサシはんがやたらめったらに女の人口説いとる訳やないのは分かっとるから、うちの事もちゃんと見てくれるなら平気……どの道、うちがどう答えても離してくれへんのやろ?」
「おう、その通りだ」
「もう……なら、死んでも離さんといてな? うちも、離さへんから」
おおう。そこまで言われちまったら、俺としては最大限誠実に向き合う様にするだけだ。俺の背中を押してくれたリーリエにも、アリアにも……ここに居る、コトハにも。
「はぁ……リーリエはんもアリアはんも、凄い
「全くだ。まあ、二人にとってコトハはもう“他の女”なんて薄い間柄の人間じゃ無かったって事だよ。じゃなきゃ、俺に発破かけたりなんかしねぇって」
「……二人には、後でお礼を言わんとなぁ」
結局の所、アリアの時と同じだったのだと思う。自分達の友人が俺に対する何かを押さえ込んだまま居なくなろうとしているのが、我慢ならなかったのだろう。
だからこそ、コトハへの想いに無自覚だった俺に気持ちを自覚させた上で、こうしてコトハの元へ行くのを許してくれた。
いい加減、この鈍さはどうにかしないとな……人の機微には敏感なくせに、こと自分の事になるとサッパリだ。
「ムサシはんの隣に居るなら、うちもリーリエはんとアリアはん位、
「そうしてくれ。今日改めて思ったが、どうにも俺の
「なに?」
コトハの体に回していた右手を解いて、ゆっくりとその頭を撫でながら俺は問いを投げかける。
「どうして、何も言わずに居なくなろうとしたんだ? あ、言いにくいんだったら別に構わんが」
びくり、とコトハの肩が僅かに跳ねる。見上げていた顔が再び俯き、俺の胸板へとその表情が押し付けられた。
「……怖かったんよ」
ポツリ、とそう漏らした時、俺はコトハの体に回していた左腕に力を入れる。少しでも、今コトハの体に現れている小さな震えを和らげられる様に。
「うちが今まで歩いて来た道は……お世辞にも、明るい物やあらへん。うちの気持ちを伝えたら、ムサシはん達の歩いて来た道を、うちの血生臭い過去で汚してまう様な気がして」
「あー、成程ね……ったく、お前はちょいと気を遣い過ぎだな」
「わぷっ」
俺は苦笑いをしながら、少し乱暴に右手でコトハの頭をガシガシと撫でてやる。女性にやるにはあまりよろしくない撫で方だが、今は許してくれ。
「一つ、言っておく……お前の過去は確かに血生臭い物だとは思う。だが、その血は断じて汚れてなんかいねぇよ」
「……!」
「コトハや街の人達を護る為に戦って散っていったコトハの親父さんや御家族、街に居たスレイヤー。そう言った“
「せや、ろか……」
「そうだよ。もしお前の過去にケチを付ける奴が出てきたら俺に言え、ブッ潰してやる」
「ムサシはんがそんな事したら、相手の人が死んでまうよ……でも、そうやね。そう考えるのがええんやろね」
再び顔を上げたコトハが、そう言って微笑む。その瞳に溜まていた涙が、一筋の光を描いて零れ落ちていった。
今この場で、全てに踏ん切りを付けるのは無理だろう。だから、これからの人生の中でゆっくりと受け入れていけばいい。もう独りじゃ無いんだから。
「あぁ、それとな。今まで一緒に行動してきた俺等が“コトハは過去がアレだからうんちゃらなんちゃら”何て言う訳無いがな……ま、聡いお前の事だから“そんな俺達に甘える訳にはいかない”とか考えたのかもしれんが」
「……む、ムサシはんって人の心が読めるん?」
「図星かよ……まぁ兎にも角にも、コトハはもっと誰かに甘えていいと思うぞ。今までの八年、たった一人で修羅道を歩いて来た分な」
よくよく考えれば、コトハが家族を喪ったのは十七の時だ。年齢的には成人していたとは言え、実際にはまだまだ家族に甘えたかった部分が必ずあった筈。
しかし、それは叶わなかった。心が成熟し切る前に一人ぼっちになってしまった結果、自分一人で何でも考えて背負い込むようになっちまったのかもしれない。
「さて。コトハが落ち着いたなら、≪月の兎亭≫に一緒に戻りたいんだが、どう?」
「あっ……せやね。リーリエはんとアリアはんにも、ちゃんとうちから話をせんといけんし」
「だな。それに……そろそろ、周りの視線がキツい」
「え?」
そこで初めて、コトハは俺以外の周りの景色へと目を遣る。
大通り沿いにあった建物や家々。ポツポツと小さく明かりが漏れていただけだったのに、いつの間にやら広場の周りにあった民家は全て明かりがつき、そこには窓から俺達の様子をニヤニヤしながら見ている人々の姿があった。
「はぁ……ボリュームはめっちゃ控えてたから、あんま見られてないと思ったんだがなぁ」
「あ……あぁっ!?」
今初めて気付いたその光景に、口をパクパクとさせるコトハを見ながら、俺は盛大に溜息を吐く。
やっぱ、こう言うのって外でやるもんじゃねぇよなぁ……まぁ、悠長に屋内で話が出来る様な状況じゃ無かったから、しょうがないっちゃしょうがないが。
「……きゅう」
顔を真っ赤にしたコトハの体から、ガクンと力が抜ける。せくちーな服を堂々と人前で着こなせるコトハでも、この羞恥には耐えられなかった様だ。
気絶したコトハの体をしっかりと抱き留め、お姫様抱っこの体勢に移行して――俺は、一目散にその場から逃走した。
◇◆
「……で、コトハさんはその有様だと」
「アレを大勢の人に見られるのは恥ずかしいですからね……可哀想に」
夜の街をダッシュで駆け戻って来た俺と抱きかかえられたコトハを見て、リーリエとアリアが溜息を吐く。
……何か、俺が悪いみたいな空気になってる気がするんですが、気のせいですかね?
アリーシャさんはそんな俺達を楽しそうに遠巻きに眺めているが、このままだと俺に集中砲火が来そうなので、ひとまずコトハを起こす事にした。
「ほ、ほれっ。着いたぞコトハ、起きんしゃい」
「…………」
駄目だ、腕で小さく肩を揺すってもまるで起きる気配が無い……どうすっかな、あんま手荒な真似はしたくないんだけど。
「ムサシさん」
俺がどう起こすか考えあぐねていると、アリアが眼鏡をくいっと指で持ち上げて口を開く。心なしか、そのレンズが怪しく光っている気がした。
「コトハさんは、オオカミビトです。その長い耳は決して飾りなどでは無く、普通の人間よりも優れた聴覚を持っています」
「え? うん」
「つまり、耳が敏感なんです」
「えっと……耳を刺激してやれば起きるって事か?」
「そうです。因みに、ワタシも耳が弱点です。攻められると弱いです」
「いや何口走ってんの? その情報いる?」
「わ、私も耳が弱いです!」
「リーリエ? アリアに張り合わなくていいからな?」
アカン、このままだと妙な雰囲気になってしまう! 取り敢えず、俺は状況が悪化する前にアリアのアドバイスに従ってコトハにアプローチをかけてみる事にした。
「――コトハ」
「ひゃいっ!?」
その長いケモ耳に口を近付け、低く名を呼ぶと弾かれた様にコトハが腕の中から飛び上がった。
効果覿面である。そのままコトハは地面に着地すると、両手で耳を抑えてきょろきょろと辺りを見回し……漸く、今自分が何処に居るのかに気付いた。
「あ、えっと……」
「≪月の兎亭≫だ。お前が気絶している間に、帰って来たんだよ」
それを聞いて、ハッとした様にコトハの視線が動き……リーリエとアリアの姿を捉えた。
「リーリエはん、アリアはん……」
「お帰りなさい、コトハさん」
「その様子だと、ちゃんと自分の気持ちに向き合えたようですね」
しどろもどろになっているコトハに、リーリエとアリアは優しく語り掛ける。俺はその光景を、腕を組んで見ていた。
「あの……うちな、えっと」
忙しなく視線を動かしながら言葉を紡ごうとするコトハの手を、リーリエとアリアがゆっくりと握る。そうすると、コトハの様子は次第に落ち着いた物へと変わっていった。
「――いっぱい、いっぱい話をしましょう。時間を掛けて、ゆっくりと」
リーリエが落ち着いた声音でそう言うと、コトハの瞳からはらはらと涙が零れ落ちた。ぎこちなく頷くコトハの背中を、リーリエとアリアが穏やかな手つきで優しくさする。
この瞬間、やっとコトハが今まで抱えていた事全てに幕が下りた。
そして、新たな幕が上がる……明日からコトハが立つ舞台には、きっと光が満ちている。俺は、そう確信していた。
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