第24話 お見舞い

【Side:コトハ】


 しょり、しょりと言う果物の皮を剥く様な音で、うちの意識がゆっくりと覚醒していく。

 薄っすらと開けた瞼の隙間から陽光が差し込み、今は既に太陽が昇ってそれなりの時間が経っている事が分かった。

 ……こんなに穏やかな目覚めは、いつ以来だろうか。八年前のあの日以来、寝ても覚めてもハガネダチアイツの姿が脳裏にちらついていた。だから、眠りから目が覚めて真っ先に頭に思い浮かぶのはあまりいい感情では無かったと思う。


「――目が覚めましたか?」


 涼やか、それでいて凛とした声音が耳に入る。ゆっくりとそちらに頭を向ければ、そこには椅子に座りながら果物ナイフで林檎の皮を剥いている一人の女性の姿があった。


「……アリア、はん?」

「はい。お早う御座います、コトハさん」


 美しい銀の髪、理知的な印象を与える眼鏡とその奥にある群青色の切れ長の目。

 見間違える筈も無い。今うちが横たわっているベッドの隣に居たのは、ムサシはんとリーリエはんのパーティーの専属受付嬢であるアリアはんだった。


「どうして、ここに?」

「ムサシさんに頼まれましたから。『俺がいない間、コトハを頼む』と」

「そうなんや、おおきに……今、何時?」

「もうお昼を回っているので、二時くらいですね」


 なんと。もうそんな時間なのか……道理で太陽の光が眩しい訳だ。

 剥き終わった林檎を綺麗にカットして、サイドテーブルの上にある小皿へと置いていくアリアはんに、うちは気になっていた事を聞いてみた。


「“俺が居ない間”言うたけど、ムサシはん達はどこかに出とるん?」

「はい。ムサシさんもリーリエも、コトハさんの武器を直す為に必要な素材を手に入れる為のクエストに出発しました。恐らく、今は馬車の中でしょうか」

「……!!」


 しまった、もう二人は動き出していたのか。うちだけこんな所でゆっくりしている訳には……!

 ガバッ! と、うちは勢い良く体をベッドから起こす……が。


 ――きゅるる――


 そんな逸る気持ちとは裏腹に、うちの腹部が何とも気の抜ける情けない音を出した。


「どうやら、空腹の様ですね。今看護婦さんを呼んで食事を用意して貰いますから、そこで待っていて下さい」


 うちの様子を見たアリアはんがクスリと笑いながら、手に持っていた果物ナイフを置いて椅子から立ち上がり、病室から出て行く。

 こ、これは……流石に恥ずかしい……。


 ◇◆


 用意して貰った食事をぺろりと平らげた後、うちはアリアはんが剥いてくれた林檎を口に運んでいた。しゃくしゃくと言う咀嚼音が、うちとアリアはん二人だけが居る病室に響く。


「取り敢えず、さっきエイミーさんが言った様に今日一日は絶対安静です」

「うん……あの、ごめんなさいね」

「それは、何についての謝罪ですか?」

「色々……うちの勝手で、みんなに迷惑かけとるし」

「それを言ったら、コトハさんの意思も確認せずに動き始めたワタシ達の方がよっぽど勝手な事をしていますよ。だから、お相子です」


 そう言ったアリアはんは、林檎を手に持ったままのうちを見詰めながら、すっと背筋を伸ばした。


「……コトハさんのお話は聞いています。八年前にあった事件も、コトハさんの目的も……それを聞いた上で、ムサシさんもリーリエも、ワタシも自分の意志で行動しています。ですから、コトハさんが気に病む事は有りません」


 ただ、と前置きをしてアリアはん眼鏡を指で上げる。群青色の瞳が、うちの瞳を捉えた。


「≪カルボーネ高地≫でコトハさんが取った行動、あれは頂けません」

「うっ……」

「八年追掛け続けた仇を見つけて、我を忘れてしまうのは仕方が無いかもしれません……でも、それでも。一人で行動する前に、せめてムサシさんとリーリエにはコトハさんが何を成そうとしているのか話すべきでした。臨時とは言え、三人は同じパーティーだったんですから」


 ……しょうがないではないか。うちにとってアイツは不倶戴天の敵で、何としてでもこの手で討ち滅ぼさなければいけない相手なのだから。理由を話した結果、もしあの二人にアイツの首を取られでもしたら……うちはきっと、ムサシはんとリーリエはんを恨んでしまう。


「過去の境遇をお聞きする限り、コトハさんがあのハガネダチを一人で討伐する事に拘るのは当然だと思います。でも……死んでしまったら、そこまでなんです」


 ぐぅの根も出ない正論だ。反論なんか出来る筈も無い。


「今回は、ムサシさんとリーリエが適切に処置を施した上で最速でここまでコトハさんを連れてきましたから何とか事なきを得ました。二人の行動が無ければ、手遅れだったとエイミーさんも仰っていました……コトハさん」

「…………」

「人は一度死んでしまえば、もうその先に進む事は出来ません……コトハさんの目的である復讐の機会だって永遠に失われてしまいます。そうなれば、コトハさんの八年はんです」


 アリアはんは真っ直ぐにうちの眼を見詰めたまま、静かに説諭せつゆする。

 ……正直に言えば、うちがやった事がただの蛮勇だったというのは自分自身が良く分かっている。アイツはお父さんでも敵わなかった相手で、あのまま戦い続ければうちは間違い無く死んでいた。


「アリアはんの言う事はごもっともやね……それでも、あの時のうちは逃げる訳にはいかんかったんよ。例えその先に待っているのが、犬死だったとしても……うちは、背を向ける訳にはいかへんかった」

「……今でも、一人で戦いたいと考えていますか?」


 どうだろうか。もしかしたら、うちはまだ心の何処かでアイツをうちの力のみで討ち取りたいと思っているかもしれない……でも。


「考えておらへんよ。アイツの首は絶対に取るけど、アリアはんが言うた様にその前に死んだら元も子もあらへんから……それに」


 ふっと思い浮かぶのは、月明かりが窓から差し込む中でうちと話すムサシはんの姿。その時の光景が頭の中にちらついた時、何故か少しだけ頬が熱を持った。


「ムサシはんが肯定してくれたうちの八年を、無駄にしとうあらへんからなぁ……せやから、もう無謀な戦いをするのは終わり。必ずうちの手でアイツを倒させるって言うてくれたムサシはんと、それに協力してくれとるアリアはん達を信じて、うちは今自分がしいひんとあかん事をするよ」


 うちがまずしなければいけない事。それは、体調を万全の状態に戻す事だ。その為には、今無理をして動くのは駄目……言われた通りに、今日一日はしっかりと体を休めるべきだろう。体を動かしたりするのは、その後だ。

 と、ここでうちはアリアはんが口を開かずにじーっとうちの顔を見詰めているのに気が付いた。暫くそうした後、深く溜息を吐いた。


「あ、アリアはん? うち何か変な事言うてしもた?」

「いえ……改めて、ムサシさんは厄介な性質タチの人だなと思っただけです」


 え……何やろそれ、すっごい気になる。あのムサシはんの“厄介な性質タチ”って……。

 ふと、それについて知らない自分と知っているアリアはんを比べた時……ちくりと、胸の辺りが痛んだ。


「それはさておき、まずコトハさんには今日一日しっかりと休んで頂きます。ムサシさんとリーリエが戻って来るのには時間が掛かりますから、その間に体調を戻して下さい。その後で、ワタシの方で調べたハガネダチについての事をお話しします」

「待って」


 席を立とうとしたアリアはんを、うちは呼び止める。


「どうしました?」

「ハガネダチについて調べた言うとったけど、名前と大まかな生態以外に何か分かったん?」

「えぇ、そうですね」

「今話して」


 上半身を起こして、うちは淀み無くアリアはんの瞳を見詰める。暫く視線が交錯した後……アリアはんは椅子に座り直し、足元に置いてあった大きな鞄を手に取った。


「……分かりました。少し長くなるかも知れませんが、ムサシさんとリーリエ、ワタシの三人で調べて分かった事をお話しします」

「おおきに」


 そうして、うちはアリアはんからハガネダチ……正確には、うちが追っていたあの個体についての話を聞き始めた。一言一句聞き逃さない様に、耳をピンと立てて。

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