第60話 ただいま!
【Side:ギルドマスター・ガレオ】
ディスペランサ出現の報を受けてからオレ達討伐隊が≪アルブール山≫へと到着したのは、夕暮れに差し掛かろうとしていた時間帯だった。
幾ら早馬を使っても二時間は掛かる距離。それでも、馬車で二日三日掛かる場所よりはずっといい。
「全員、いつでも戦闘体勢に入れるようにしておけよ」
オレは他のスレイヤーを先導しながら、山道を駆け上がっていく。
試験官から報告されたディスペランサが出現したポイントは、頂上に近い岩山エリア……まだその場に留まっているとは限らないが、痕跡位は残っている筈だ。
「死ぬなよ、二人とも……」
頭に思い浮かぶのは、この昇級試験を突破して黄等級に上がる筈だった二人の白等級スレイヤー。等級から見れば、あの二人がディスペランサを相手にするのは自殺行為だ。
だが、二人――ムサシとリーリエは、ただの白等級スレイヤーでは無い。ムサシは言わずもがな、リーリエも今まで目立っていなかっただけで、実は並外れたポテンシャルを持つ
(タダでやられる訳が無いとは思うが……ん?)
不意に、前方からこちらへと降りてくる人の気配を感じ取り、慌てて足を止めた。
「全員止まれ! ……あれは」
ザス、ザスと地面を踏みしめながらこちらへと向かって来たのは、今正しく頭の中に浮かんでいた二人の白等級スレイヤー……ムサシと、リーリエだった。
「お、ガレオじゃねぇか。そこそこな大所帯で来たな」
「ムサシ! 無事だったか!」
黒金の鎧を纏った大男……紛れも無く、あのムサシだ。その腕の中には眼を閉じて安らかな寝顔を浮かべているリーリエの姿もある。
一瞬の安堵。だが、改めて二人の姿を見た時に緊張が走った。
「お前等、全身血
「ん? 別に要らね」
医薬品を持ったスレイヤーを呼ぼうとしたオレを、ムサシが制する。何だ? 大怪我をしているんじゃないのか?
「この血は俺等の血じゃねえからな、全部ドラゴンから浴びた返り血だよ」
「返り、血……おい、まさか!」
「ああ、キッチリ討伐しといたぞ。もう山を下りて人里を襲う心配は無い筈だ」
……オレはムサシが平然と言ってのけた報告に、言葉を失った。
討伐した? あのディスペランサを、たった二人で……?
「おーい、どしたギルマス。アホ面晒してんぞ」
「あ、ああ……その、本当に討伐したのか?」
「こんな事で嘘ついてどうすんだよ……ここからもうちょい登って行った先に開けたエリアがある。死体とかは全部そこに放置しているから、後はヨロシク」
それだけ言い残し、ムサシは再び歩を進めてオレの後ろへと抜けていく。
振り返れば、後方に居た討伐隊のスレイヤー達が、歩いてきたムサシ達に道を開ける様に一斉に左右に避けた。
その後姿を見て、オレは思わず声をかける。
「――ムサシ!」
「おぉん?」
オレの呼びかけに、ムサシが面倒臭そうな声と共に首だけ後ろへと向ける。
聞きたい事は山ほどある。何が起きたのか、どうやってディスペランサを討伐したのか、どんな戦いだったのか……だが、今オレが二人に言うべき言葉はそう言う物ではない気がした。
「……麓の馬宿に、早馬を預けてある。お前の体重にも耐えられるタフな奴だから、遠慮なく使え」
「いいのか?」
「疲れてるんだろ? だったら早く帰れ……アリアも、待ってる」
「……なら、お言葉に甘えさせて貰うぞ」
「おう……お疲れ、二人とも」
そのやり取りを最後に、再びムサシは歩き始める。その姿が見えなくなった頃、オレは大きく息を吐いた。
「ハァ~……おい、お前等。こっから先の仕事はディスペランサの討伐じゃなく、その死体の調査になったぞ。解体の準備しとけ」
オレは天を仰ぎながら、脱力した声で指示を出す。あの男が討伐したと言うのなら、それは真実なのだろう。
「全く、あいつ等のどこが白等級なんだか……」
そう呟いたオレの言葉は、風に乗って宙へと溶け込んでいった。
……その後ムサシが言った場所に着いた時、余りの惨状に何人かのスレイヤーが卒倒した……お前等、上位なんだからもうちょっと強靭な精神を養っとけ!
◇◆◇◆
陽が沈みかける黄昏時の街道を、俺は快調に早馬で駆け抜ける。
流石ガレオが勧めてきた馬なだけはある。俺達二人と武具の重さを背中に乗っけても、びくともせずに走っている……てか、デカさ的に考えてもこれ早馬じゃなくて
いや、でもめっちゃ速く走ってるしな……うーん、
「大した奴だな、お前」
「ブルルッ!」
俺が片手で優しく首を撫でると、当然だと言わんばかりに荒い鼻息を吐いた。
「ん……」
「おっ、目が覚めたかリーリエ」
体の右側を俺に預け、鞍と俺の足の間に座りながら眠っていたリーリエが、うっすらと目を開ける。寝ぼけ眼の顔で涎を垂らしているが……これはこれでイイ。
「ムサシ……さん?」
「はいはい、ムサシさんですよー」
「ここは……」
「ミーティンに通じる街道。もうちょっとで着くから、そのまま起きといてくれ」
「ふぁい」
こっちまで眠くなる様な返事を返しながら、リーリエが再び目を瞑る。
うぉい! 起きてろって言ってるだろぉん!? でも可愛いから
「ま、あんだけ頑張ったらそりゃ疲れるわな……今日の夕食、アリーシャさんに頼んで疲労回復効果の高いメニューにでもして貰うか」
そんな事を考えている内に、ミーティンの南門が見えてくる。そこには、一人の人影が見えた。
「……アリア?」
まだ大分距離はあるが、俺の眼は風に靡く銀の長髪と眼鏡をかけた理知的な美貌を持つ女性の姿を捉えていた。
どうやらキョロキョロしながら辺りを見渡している様だが……お迎えかな?
そんな事を考えていたら、その銀髪の間から覗く群青の瞳と目が合う。その瞬間、整っていた顔がくしゃりと歪むのが見えた。
ああ、こりゃかなり心配掛けちまったみたいだな……すまぬ。
「リーリエ、起きろ。アリアが居るぞ」
「ん……えっ! アリアさん!?」
俺の言葉を聞いたリーリエが、弾かれた様に身体を起こした。
「ちょっ、あぶねーってば! まだ馬の上だから!」
「ご、ごめんなさい!」
慌てて俺の体に捕まり直したリーリエを見て、思わず笑みが浮かぶ。そうしている内に南門へと到着し、俺達は馬から下りた。そして……アリアの前へと、歩いて行く。
「よっ、帰ったぞアリア」
「い、今戻りましたアリアさん」
軽く手を上げて話し掛けた俺と、どこか気恥ずかしそうに帰還の挨拶をするリーリエ。
そんな俺達の姿を見たアリアが、瞳一杯に涙を溜めて一直線にこちらへ飛び込んできた。
「きゃっ」
「うおっと」
結構な勢いで抱きついてきたアリアの腕の中に納まったリーリエが、後ろへとバランスを崩す。俺は二人が地面へと倒れ込まない様に、その体を纏めて受け止めた。
「よかったっ……二人とも無事で……!」
「あ、アリアさん苦しいです……!」
リーリエの抗議も何のその、アリアの腕に更に力が入る。
「諦めろリーリエ。痛い程に抱き締めちまう位、アリアは心配していたんだ」
「あう……」
そう言いながら、俺はアリアの背中へと手を伸ばしてリーリエ毎二人を抱きしめた。いやー、体がデカいとこういう事が出来ていいね!
「リーリエ、俺達はアリアに言わなきゃならん事があるんじゃないか?」
「あっ……!」
ハッと思い出した様に、リーリエがアリアの腕の中から頭を上げる。その様子に内心で苦笑しながら、俺は努めて優しく口を開いた。
「アリア」
「ムサシ、さん……」
俺の声に、アリアが泣き腫らした顔を上げる。未だに涙を流し続ける瞳に手を伸ばし、夕日を反射して綺麗に光るその雫を、人差し指で軽く掬った。
「――ただいま」
「――ただいまです!」
俺とリーリエが声を揃えて、アリアへとその言葉を掛ける。それを聞いたアリアが目を一瞬見開き、その後に柔らかく、慈しむ様な笑顔を作った。
伝えなきゃいけない言葉は他にも沢山あるだろうが……今は、この一言でいい。
「……っ、はい! おかえりなさい!」
こうして、感極まったと言わんばかりのアリアの言葉で漸く俺達の長い一日は幕を閉じたのだった。
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