第49話 背後から迫り来るもの
動力源を破壊されて速度を落とし始めた列車の中、魔法少女たちは顔を見合わせる。
「このまま止まったとして、この先どうするの?」
「さあね? 素直に止まってくれるかどうかも分からないし♪」
「そんないい加減な」
「でも少なくとも、ジュニパーのおかげで状況は動いた。あとは対応次第」
「そうそう♪ 油断はしない……」
言い掛けたみなみの声が、不意に途切れる。彼女の目は、窓から見える景色に釘付けになっている。視線を追って外を見たひいなは、息を呑んだ。
真っ青な海と空に二分されていた風景が、黒く染まっていく。まるで、突然太陽が隠れてしまったかのように。夜へと変貌する景色には、しかし星も月もない、ただの無辺の闇だ。
がりがりがりがり、と足下を揺らす車輪の音が、次第に甲高くなっていく。
その震動に、いつしか、重い足音のような響きが混じり始める。
「え、何これ? 脱線事故ってこんな感じなの?」
慌てるひいなに「違う」と千織がつぶやく。彼女はすでに自らの魔法で大きな布を織りあげ、全員の身を包んでいる。布は薄いのに人肌に近い温度があって、安心感がある。たとえ大事故となっても、守ってくれそうだった。
「事故じゃすまないかもしれない」
「何か来る!」
切迫した声を発したのは、みなみだった。いつもの節回しすら忘れた、焦慮を孕んだ声。
車両の後方、接続部のドアをこじ開け、どろりとした夜色の液体が流れ込んでくる。
同時に、窓がひび割れ、そこから同じものが侵入してくる。
あっという間に、車体は黒く塗りつぶされていく。
「フォルティッシモ!」
みなみが放つ巨大な魔法の音符は、しかし、あっという間に闇に吸収されてしまう。みなみが、切迫した視線でひいなを見た。
「先輩!」
「そんなこと言われてもっ」
エモーショナルスターロッドを握るひいなだが、しかし、うまく魔力がわき上がってこない。焦りと混乱で、気持ちが魔法に定まらない。そもそも、どうやって倒せばいいのか分からない。
そこにいるのは、クリーチャーでも、敵でもない。
もっと別の何かに思えた。
闇が迫る。
はっ、と誰かが息を呑む声がする。叫びが聞こえた気がするが、もう届かない。
闇の奥に、ひいなは、世界を焼き尽くす炎を見た。
……気がつけば、ひいなは、荒野に立ち尽くしている。
周囲には生き物の気配はない。それどころか、草一本、石ころひとつ、見あたらない。森羅万象がことごとく抹消され、ただ、地平と彼女だけが取り残されたかのようだった。
肌寒い荒野で、ひいなはひとり。
……いや、ひとりではない。そこにあるもののあまりの巨大さに、一瞬、気づかずにいただけだ。
彼女の前には、燃える闇が立ちはだかっている。限りなく漆黒に近い、ほんのかすかに血の色を垂らしたような、炎。
ひいなの周囲すべてを覆うような炎は、かすかに、うなるような音を発しながら、揺らめいている。その音は、炎そのものが放つ嘆きのようでもあった。
(……まただ)
胸中で、自分を観察しているもうひとりの自分が、つぶやく。
またしても、過去がひいなをとらえている。どうしても、逃がしてはくれないらしい。
視界を覆う、炎の正体も、ひいなは知っている。
彼女の仇敵。絶対零度の闇の炎、光なき混沌の太陽。かつて地球に訪れた真なる夜、その根源。
邪悪の種クルールを操り、地球に混沌をもたらそうとした、煉獄の王ゲヘナ。
言葉にすればするほど、今のひいなには、滑稽にすら聞こえる。
打倒された魔王なんて、歴史の1行にしか過ぎない。はっきり悪と認められ、倒すべきだったことが明白で、だからこそ見事なほどに破れてみせた、巨大な悪。
あまりに分かりやすすぎて、本当におかしい。現実世界に蔓延る、小さくて見過ごされている悪だとか、自然すぎて悪と思われていない邪悪だとか、そんなものに比べれば、魔王なんて分かりやすくて処理しやすくて、時間もかからない。
絶対悪を倒すのなんて、年端もいかない女の子でも出来る。かんたんだからだ。
かんたんなことを、ただ任されただけ。持ち回りで美化委員を任されて週1で草むしりをするとか、そんなのと変わりはしない。
そんなことが、人生を変える転機だとか、彼女に託された運命だとか、そんなふうに思っちゃいけないんだ。
「ここであなたを倒す! そしてワタシは、世界を救ってみせる!」
過去の自分が、そんなふうに叫んでいる。気負いに満ちた、自分を鼓舞するための宣言。
そうするのもやむを得ないよな、と、今のひいなは思う。もちろん、このとき、ひいなはゲヘナのことが怖くて仕方なかったんだから。
1年以上というものずっと戦ってきた相手の、その一番強い親玉が相手なのだ。今よりもすこし短くて、だけどそのぶん使い慣れて、最高に魔法の力を高めたエモーショナルスターロッドを握っていてさえ、不安だった。
ゲヘナは不安につけ込んでくるから、絶対に弱みを見せちゃいけない。
心を強く持って、絶対負けないって思って、そうすれば、魔法はひいなの思いにきっと答えてくれる。
そう言ったのは、彼女をずっと手伝ってくれた妖精パノン。
自らの世界をゲヘナによって焼き尽くされたパノンは、ゲヘナに復讐するため、そしてゲヘナに脅かされる地球を救うため、ひいなとるるを献身的に助けてくれた。クレーンゲームで取れるような弱っちい見た目で、何度もひいなたちをかばい、傷を負いながら、いっしょに戦ってくれた。
ずっと、パノンの言うことを信じていた。
裏切られてたとか、騙されてたとか、そういうわけじゃない。
パノンの言うとおり、ゲヘナは地球どころかこの世界を滅ぼしかねない、実際に一度滅ぼしかけた存在だ。ひいなはゲヘナと戦い、倒さなくてはいけなかったのは、確かなこと。
だけど、パノンも知らなかったことがある。
ゲヘナは邪悪だったけど、それゆえにずっと孤独だった。
生まれついた性が邪悪だったために、世界を滅ぼすような性をもって生まれてしまったがために、誰もゲヘナに好意を持って近づいてくることはなかった。
生まれながらに、邪悪で、孤高で、そのことに疑いもなく存在し続けてきていて。
それ以上のことを何も知らなかった。誰も教えてはくれなかった。だってゲヘナは邪悪だから。
10年前のひいなが、まだ何も気づいていないひいなが、ゲヘナめがけてエモーショナルスターロッドを振りかざす。
「ハッピィ・ラッキィ・トルネードっ!!!!!!!!!!!!!!!」
その一撃は、まだ通じない。
ゲヘナを恐れるひいなには喜びも幸福も薄い。その状態では、ハッピィ・ラッキィ・トルネードは全力を発揮できない。
ならば、恐怖や怒りを源にすれば良かったのか、というと、そうではない。これ以前にゲヘナと接触したひいなは、グルーム・ドゥームズ・ソリューション……負の感情を煮詰めた魔法でゲヘナに立ち向かい、返り討ちにされている。闇を孕んだ力では、ゲヘナには勝てなかった。
何が何でも、幸せを願わなくちゃいけなかった。
この世のすべての人が幸せに生きる未来。輝ける明日。
そんなものを想像して、ひいなは最高に幸福な魔法を繰り出さなくちゃいけなかった。
声がした。すべてがゲヘナの炎に焼き尽くされ、何もなくなってしまったはずの荒野の果てから。
それは、未来のみんなの声。この戦いの果てに必ずや訪れるだろう、幸せを奏でる歌声。
未来にはあらゆる可能性がある。あらゆる可能性の中から、幸せだけをかき集めれば、それは無限の幸福だ。
「ハッピィ・ラッキィ・トルネーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーードっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
その瞬間の恍惚を、結局のところ、ひいなは今でも忘れてはいない。
自分が光そのものになって、何も見えない暗闇を突き破り、世界を明るく輝かしく照らし出した瞬間。
そのとき、ひいなは何の疑いもない正義で、無謬の力で、絶対的な存在だった。
原初の光となった魔法が、世界を再生させる。
一度は焼き尽くされた世界がふたたび書き換えられ、かつてあった姿、そしてこれからあり得べき理想を孕んだ姿として甦っていく。
友達も、学校も、街も、空も、海も、山も。何もかもだ。
すべては本来の姿に復し、世界はふたたび光り輝いた。
光に覆われていく世界。すなわち、闇の消えていく世界。
縮退していく暗闇の奥底、ほんの原子ひとつほどの一点。
そこに、その瞬間、ひいなとゲヘナがいた。
(……ああ)
10年後のひいなは、自分がこのときの記憶を回想していた理由を、ようやく知った。
そうだ、この瞬間、ひいなにはたくさんの選択肢があった。まるで、分岐していく線路のように。
自分があのとき選んだことが、ほんとうに良かったことなのか。
ひいなの分岐点が、ここにあるのだ。
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