第48話 心惑わす! 追憶の鉄道
「ひいな、上!」
車両の通路を駆け抜けていた花乃華が、天井を指さす。
架空の車内広告の紙面から、ずるり、と何かが這いだしてくる。紙面を埋め尽くしていたカラフルで扇情的な文字群が、形を持ち、連なって、巨大な鎖のような形状を成す。よく見れば、それは漢字でもひらがなでもない、この世のどこにもない文字だった。
この世ならぬ文字のクリーチャーが、首をもたげて、ひいなたちの頭上を狙って襲いかかる。
「テリブル・タブレット!」
ひいなの呪文が、ふたりの頭上に魔力の盾を生み出す。
文字の鎖は盾に弾き飛ばされ、軋るような悲鳴を発すると、そのまま頭上の広告の中に引き返そうとする。ずるずる、と文字が紙面に戻っていく。
しかし、逃がさない。
「ジュニパー・スマッシュ!」
身を翻しながら跳んだ花乃華の一撃が、文字の鎖のつなぎ目を直撃する。継ぎ目を撃ち抜かれた鎖はそこで分断され、片方は紙面に、もう片方は床に落下する。床の上で身悶える文字の鎖を、花乃華は魔力のこもったブーツのかかとで踏みつぶした。ぼろり、と、文字は砕けて、赤い液体状の素材へと変わる。
「見た目は変わってるけど、戦いはいつものダンジョンと変わらないね」
ひいなはつぶやき、車内を見回す。
ハッピィ・ラッキィ・トルネードで一掃した甲斐があってか、クリーチャーの姿はほとんど見られない。さっきのように、身を潜めていた敵がときおり襲いかかってくるくらいだ。
一方で、車体には傷ひとつない。天井も、吊革も、窓も、どこかで見たような雰囲気で、けれど正確にどこで見たのかは思い出せない。車両の自動ドアには、大昔のものとおぼしき「閉まるドアにご注意ください」のステッカーが貼られている。そこに描かれた野暮ったい動物の絵は、ひどく色あせて、ほとんど輪郭しか残っていない。
車窓の外を、海辺の景色が流れていく。どこまで続くともつかない海岸に、白く細い波が打ち寄せている。
ひいなの胸に、しみるような郷愁が去来する。潮風のにおいがした。
「ひいな? どうしたの、ぼーっとして」
花乃華の声が、どこか余所事のように聞こえた。なかば無意識のうちに、答えが口をつく。
「私、この電車に乗ったことがあるような気がするよ」
何となくの思いこみだったものが、言葉にすると、本当にそうであるような気がしてくる。座席の間隔、窓の汚れ、車体に伝わる線路の震動。さまざまなディティールが、ひいなの記憶の底を揺さぶってきて、それがかつて起こった出来事なのだと実感させる。
「たぶん、子供のころの遠足。クラスのみんなといっしょに、隣の県の遊園地に行ったんだ。うちは田舎だったから、なかなか遠出する機会もなくて、電車に乗るのもちょっと珍しいくらいで、みんなはしゃいでて。電車の中でテンション上がって走り回って、先生にしかられて、でもぜんぜん怖くなくて、ただ、遠くに行くのが楽しくて、それで」
「ちょっと、ひいな!」
後頭部をぶっ叩かれて、「は!」とひいなは正気を取り戻す。
花乃華は、魔力を宿した右手をぐっと握りしめて、ひいなをにらんでいる。
「また、キノコの毒が回ったみたいになってた。気をつけて」
「あ~……ごめん」
「ダンジョンが精神を攻撃してきてるんだよ、きっと。油断すると呑み込まれる」
力では攻略できない、何が出てくるか分からない。マクリーのそんな忠告を思い出す。
油断すれば、心が迷う。それが、このダンジョン上層というわけだ。
ぎゅっ、と、花乃華が拳をひときわ強く握った。漏れ出す薄緑色の魔力が、ぱちぱちと音を立てる。それはまるで、花乃華自身が、魔力を制御できかねているかのようでもあった。
「わたしも、この電車、乗ったことがあるような気がするもの」
「え?」
「それがダンジョンの攻撃方法ってこと。わたしや、ひいなや、ファニー・フロウたち……みんなの記憶の端々をうまく刺激して、気持ちを揺さぶってる。この電車はきっと、だから、現実には存在しないものだと思う」
自分に言い聞かせるように、小声で花乃華はつぶやいていた。そうすることで、彼女自身、郷愁に呑み込まれないようにしているのかもしれなかった。
彼女も、遠くに行ったことがあるのだろう。それが、ひいなの遠足のような牧歌的な思い出か、それとも別の出来事かは、聞けないけれど。
今ここでそんな話をすれば、きっと花乃華の方がダンジョンに呑み込まれてしまう。そのくらいの自制は、ひいなにも出来る。
花乃華は小声で「なるべく立ち止まらない方がいい」とつぶやき、ひいなの方を見る。
「先に進もう」
「うん」
「ジュニパー・ストライク!」
<ギュィィィィィ!>
網棚の上から降ってきたクリーチャーを、花乃華が魔力の拳で吹き飛ばす。花乃華を食らおうとしていた黒い鞄の怪物は、中身をバラバラとまき散らして車両の前方、運転席を見通せるガラスに衝突した。砕けて消えたその跡には、素材しか残らない。
素材を回収した花乃華は、じっ、と運転室をにらむ。
空席の運転席のそばで、がちゃん、がちゃん、とマスコンだけが自動的に前後している。その動きがやけにリズミカルで、ひいなはすこしおかしささえ感じた。
ばん、と花乃華は運転席のドアを力ずくで開ける。器具を手当たり次第にいじくり回すが、車両の速度はすこしも変動しないし、あたりの景色も代わり映えしない。
一瞬、苛立ったような表情を見せた花乃華は、魔法の一撃で椅子を殴り、フロントガラスを蹴飛ばし、ついでにたくさんのメーター類が回転するデスクを思うさま殴りつける。
それでも、電車は平常運行のまま。
早々に諦めて、花乃華は運転室を出て戻ってきた。
「収穫なし。力じゃどうにもならなさそう」
「確かに」
「そもそも、電車から脱出するのに電車を止めるというメソッドが間違ってた気がする」
「テロリストのやり口だよねぇ」
軽口を叩いて、ふたりそろって嘆息。
ずん、と、天井から震動が響いてくる。頭上では、アール・コラージュが戦いを繰り広げているようだった。
「外、大丈夫なのかな。それから、後ろの車両を見に行ったファニー・フロウも」
「わたしたちより戦い慣れしてるみたいだし、きっと平気だよ。それより、そのまま逃げ出されたりしないか心配」
確かに、脱出するだけなら窓から飛び降りた方が早いかもしれない。電車の動力源であるパンタグラフを破壊すれば、電車も止められる可能性もある。千織が危険な天井での戦いをチョイスしたのは、そういうねらいもあるのかもしれなかった。
「まあ、ひとりで逃げられるなら、さっさとそうしてるんじゃない?」
「私だって、そんなに薄情じゃないですから」
「わ」
ひいなのつぶやきに答えたのは、窓の外にぶら下がった千織だった。逆さまになった頭に、白い仮面が引っかかって左右に揺れている。衣装にも傷ひとつない。
とっさにひいなが駆け寄って窓を開けると、千織は身軽な挙動で車内に戻ってきた。ぱん、と衣装のスカートを一度払う。
「上は成果なしです。ずっと追っかけてきた変な化け物はいたけど、やっつけてきました」
「……それはお疲れさま」
「エティカル・ひいなさんたちこそ。車内の敵、すっかり一掃しちゃったみたいじゃないですか」
「まあ、ね」
その名前で呼ばれると、なんとなくむずがゆい。ひいなはほっぺたを掻く。
「お疲れ~♪ みんな成果は……その様子だと、ないみたい?」
と、車両の後方からみなみも追いついてきた。彼女の様子からすると、どうやらそちらも収穫はなかったようだ。
「ちょっと手詰まりかもね」
千織は車内を観察していた視線を、運転席や車窓の方に向ける。何も変化がないことを察してか、すこし苛立ったように、窓を指先でこづく。海の青色には、すこしの揺らぎもない。
ふと、うつむいた花乃華が思い出したように口にする。
「……わたしもひいなも、確かコラージュも、この電車に覚えがあるって言ってた。この車両は、わたしたちの記憶から作り上げられた、架空の車両」
「なるほど」
花乃華の言葉に、千織は目を輝かせる。ひょっとして、手がかりを見つけたのだろうか。
千織はふたたび運転席の側に目をやる。線路はわずかに弧を描いて左側に曲がっている。かなり遠くまで続いている茶色い線路の果ては、海沿いの防風林と、かすんだ空気に遮られて、見えない。
この景色さえ、仮想の何かなのだろうか。魔法少女たちの思い出から作り上げられた、偽物の追憶。
「だから、目的地が分からないのね」
千織の視線は、車両のドアの上に向かう。たいていの電車に掲示されているはずの路線図は、しかし、白い陽射しに遮られてよく見えない。ひいなも目をこらして確かめようとするが、よけいにおぼろげになってしまう。夢の中の出来事のように、焦点がはっきりしなかった。
「私たちの記憶からできた、継ぎ接ぎの車両。だから、行く先も私たちの中でばらばらで、ひとつに定まらない。永久に、目的地にはたどり着けない」
「やっぱり、どうにかして止めるしかないんじゃない?」
独白するようにつぶやく花乃華に問いかけるひいな。「結局は、そうかもね」と曖昧にうなずきながら、じっ、と花乃華は視線を車内にさまよわせる。
彼女の目は足下、靴跡で汚れた車両の床に向かう。
「電車のモーターって、基本、車両の床下にあるんだよね」
かつかつ、と、ブーツの踵で床を蹴る花乃華。重い図体を支える割にやけに薄っぺらそうな床面を、花乃華は、眉をひそめてにらむ。
純白のブーツに、ふわり、と緑色の魔力が灯る。
「ジュニパー・クラッシュ!」
どすん、と、花乃華の踵が床をぶち抜いた。「えっ?」と、呆然とひいなは割れた床を凝視する。
割けた床板から、黒々として複雑なモーターの機構と、赤い火花が見えた。高速で回転していたモーターが、みし、と不吉な音を立ててねじ曲がり、ちぎれた部品が回転に巻き込まれてはじけ飛ぶ。それで回転部分にひびが入り、自らの速度を制御できないままに一気に自壊していく。
ぎぎぎぎぎっ、と、車輪と線路が悲鳴を上げた。電車の速度が急激に遅くなり、ぐらり、と皆が一斉に姿勢を崩した。
近くの座席につかまりながら、ひいなは信じられない思いで床下を見つめる。
「え、ちょ、そんな呆気なく?」
「真実は意外と間近にあるものだね」
不安定な車内にひとり平然とまっすぐ立ちながら、言い放つ花乃華。その表情が、やたらに堂々として見えた。
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