第18話 ひみつの抜け道と内緒話
スライムを倒して得た素材をあらかた回収し終えたひいなと花乃華は、脇道へと入っていった。
通路に充満していたスライムによって塞がれていたその通路には、灯りがない。ひいなが先に立って、エモーショナルスターロッドの先端に光を灯す。
ぼうっと、ふたりの周囲だけが淡い光に照らされる。
やけに清潔な印象だった。ダンジョンの他の壁にへばりついている蔓や苔の類も、まったく見あたらない。天井が低いせいもあって、何となく窮屈でもある。片田舎の一軒家から都会のマンションに引っ越したときに感じた、居心地の悪さに似ていた。
頭上のほう、天井の向こうから、何かがごごん、ごごん、と動く音がする。しばしばリアルタイムに変形する第15階層のダンジョンが、また姿を変えているのかもしれない。
「ちょっと上り坂になってる?」
「下り坂だったら下の階層に落ちちゃうよ」
ひいなのつぶやきに、花乃華が珍しくとぼけた答えを返してきた。
もしかしたら、まだ感情をうまくコントロールできていないのかもしれない。ひいなのスレット・スラッシュ・サンダーボルトに巻き込まれ、恐怖感を増幅された花乃華は、いつになく激しく感情をさらけ出した。気持ちの振幅は、たとえ一時的なものであったにしても、記憶にずっと残って心をかき乱す。
そのことは話題にしない、と約束したけれど、それで何もかも消えてなくなるわけではない。
ごんごんと、頭上から響く音は鳴り止まない。
<水も涸れ果てた古道を 迷い迷いの果てはいずこ>
いつしか、その音が歌のように聞こえてくる。クリーチャーの出現を先触れする歌の響きに近いそれに、警戒心をあおられる。
しかし、クリーチャーはいっかな姿を現さない。この隠し通路までは入り込んでこないのかもしれなかった。
「平和だねぇ」
「油断しないの。突然上から何か降ってきたっておかしくないんだから」
花乃華は険しい声で言いながら、ちいさく吐息をついた。振り返ったひいなの目に映った花乃華は、いつもの無表情ではあるものの、いくぶんうつむいて、目線も低い。
「歩ける、花乃華ちゃん?」
「平気」
淡々と、花乃華。しかし、のろのろとした足運びだとか、わずかに肩を上下させている様子だとか、彼女の仕草からは疲労感がにじみ出ていた。
コウモリと戦っているときから、花乃華は疲労を隠せていなかった。回復薬を使ったとはいえ、心身の消耗をすべて取り除くことはできていないらしい。
と、花乃華は目線をあげた。上目遣いで、ひいなを見つめる。
「ひいなこそ、疲れてるんでしょ」
「えっ」
突然そう言われて、一瞬、きょとんとしてしまう。
それから、ひいなは大声で笑う。
「だーいじょーぶだって! まだまだ絶好調だよ、物足りないくらい」
「ほら、前!」
「えっ!?」
花乃華の指摘に、慌てて前に向き直るひいな。
足が滑った。
「わたっ!」
べたん、と顔面から思いっきり床に突っ込んだ。額と胸をしたたかに打ち付けて、じん、と痛みが走る。
「う~……」
「床の傾斜が変わってるから、気をつけて、って言おうとしたのに」
「早く言ってよ……」
笑いをかみ殺している花乃華に抗議しながら、ひいなはのろのろと上半身を引き起こし、ロッドを杖にして立ち上がろうとする。
その足下が、またふらついた。今度は両足を広げた女の子座りで、ぺたんと座り込んでしまう。
「あれっ?」
「ひいな、やっぱり疲れてるんだよ。最初っから変にテンション高かったし、あんな大技使うし」
花乃華はため息混じりに言いながら、ひいなのそばに歩み寄り、手を伸ばす。右手の甲には、さっきスライムに襲われたときの傷が、まだうっすらと残っている。
「立てる?」
「……うん」
ロッドを支えに、今度こそひいなは全身を持ち上げた。まっすぐ立ってみると、膝にうまく力が入っていなくて、かかととふくらはぎで自重を支えているような不安感がある。でも、歩けないほどではなさそうだ。
深呼吸して、ぐるぐると足首を回して、ひいなはロッドを前に掲げた。
「よし、行こっか」
歩き出そうとするひいな。しかし、花乃華はひいなを半眼で見つめたまま、動こうとしない。足を止めて、今度はひいなが首をひねる。
「花乃華ちゃん? どしたの、花乃華ちゃんもまだしんどい?」
「……なんでもない」
「ほんとに私は平気だよ、ほら、歩けるし」
ぱしん、と、スカートから伸びる太ももを、わざとらしく音を立てて叩いてみせる。戦いには不安があるかもしれないけれど、歩いていくくらいなら支障はない。花乃華が心配しているなら、そんなの杞憂だ、と伝えたかった。
花乃華は、無言でひいなに歩み寄ってくる。
そして突然、ぐい、と、ひいなの背中を押し始めた。
「わ、ちょ、花乃華ちゃん?」
花乃華に押されるまま、ひいなはよろめくように坂になった通路を上る。花乃華はひいなの顔を半ばにらむように見つめたまま、両肘でひいなの背中を執拗に押し上げてくる。逃げるわけにも行かず、かといって押しとどめるわけにもいかず、なすがままに押されながら、ひいなは花乃華に言う。
「いや、だから、歩けるし。何、どうしたの花乃華ちゃん」
じっ、と、花乃華はひいなを見上げる。
「ひいなは、肝心なときに、ひとりになっちゃいそう」
「え」
つかのま、息が止まった。
つまずきそうになるひいなを、花乃華はかまわず押していく。とっさに足が前に出て、ずっとつんのめり続けるような感じで、ひいなは歩き続ける。
花乃華は、ひとりごとに似た声で、言った。
「困ったり、弱ったりしたら、わたしもいるから。あんまり頼られても困るけど、本当に辛いときは、言ってね」
緩やかな坂になった通路を、ふたりで上り続ける。ひいなはうまく答えを返せないまま、花乃華に押されるままに足を踏み出し続ける。花乃華は、ひいなの方に体重をかけ続けていて、むしろ彼女の方がひいなから離れがたい、とでも言うようだった。
遠くに響いていたダンジョンのうごめきの音が、次第に近づいてくる。クリーチャーの歌に似ていたその音は、いつしか無機質な、工場の稼働するような音に変わっていた。
上り坂のむこうから、ダンジョンの明かりが射してくる。それは、薄い緑色の光を混ぜて、奇妙に非現実的な光だった。
「……あれは?」
ひいなは前を向いた。花乃華も後ろでつぶやく。
「ゲート?」
青い光の柱。それは、ダンジョンと地上とをつなぐゲートだ。
ふたりの歩いていた斜面は、自然に、平らなダンジョンの床へとつながっていた。そこは、小部屋のような空間になっていて、ゲートだけがまっすぐに屹立している。ふたりの来た道とは別の通路が、反対側の壁から奥に続いていた。
進むこともできるし、このゲートから引き返すこともできそうだ。
「どうする、花乃華ちゃん?」
「今日は疲れたし、いったん撤収しよ。結構稼いだし」
「同感」
かくして、ふたりはゲートから、地上へと帰還した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます