第15話 愛でカッ飛べ! 魔法少女!

 ひいなと花乃華の眼前、足下を埋め尽くしているのは、青い液体状のクリーチャー。狭い通路のずっと先まで、その巨体がいっぱいに満ち満ちている。通路のこの一帯だけが細長いプールのようになっていて、そこにクリーチャーが満たされているという状態だ。


「”アモルファスライム”だって。普段は固体状だけど、獲物が近づくと液体に近づいて、さっきみたいに触手で捕まえる。飲み込まれたら、皮膚とか溶かされちゃうって」


 花乃華はスマホでクリーチャーの情報を確認する。ひいなは身震いした。


「それ、しゃれにならないでしょ……」

「ともかく、徒歩じゃ抜けられないし、捕まったら一大事ね」


 青くぬらぬらとたゆたうアモルファスライムを見据えながら、花乃華はつぶやく。


「気長に待った方がいいんじゃない? 別ルートが開くかもしれないし」


 ひいなはそう提案する。ダンジョンが変形し続けているなら、真横の壁がいきなり開いて、迂回路ができるという可能性もある。だが、それはさすがに楽観的すぎる、とは自分でも自覚していた。

 案の定、花乃華は即答で否定した。


「そんな希望的観測に期待する気はないよ」

「だよねぇ」


 花乃華は、下から上へと顔を振り向ける。10メートル以上の高さのある天井は、地上からでは見通せない。


「通り抜けるだけなら、要は、スライムの触手の届かない高さを通過できればいいんだけど」


 花乃華の身体能力と、ひいなの飛行魔法なら、7、8メートルぐらいの空中を飛び越えていくことはできるかもしれない。他の探索者ならいざ知らず、魔法少女にとっては、空中を飛び回るのはお手の物だ。


「とりあえず、ちょっと行ってみる」


 花乃華は、ぐっとひざを曲げて大ジャンプの姿勢だ。


「気をつけてね」


 ひいなの声に背中を押されたように、花乃華が跳ぶ。

 壁を蹴り、その反動で反対側の壁に到達、それを再度蹴る。ゲームのキャラクターでしか見ないような挙動で、花乃華はあっという間に床から5メートル以上の高度に到達する。

 スライムは花乃華の気配を察知して触手を伸ばすが、花乃華のジャンプはそれより速い。


 この調子なら、と、ひいなが思ったとき。


「くっ!」

「花乃華ちゃん!?」


 空中の花乃華が、黒々とした何かにまとわりつかれて体勢を崩した。翼の生えた小さなクリーチャーの群が、いっせいに花乃華に襲いかかったのだ。


「プレシャス・プリズム・ブロッケード!」


 ひいなの呪文で、ロッドの先端からクリスタルの分身が花乃華の方に飛んでいく。花乃華の周囲を守るように配置されたクリスタルが、光の矢を発してクリーチャーを追い払う。

 花乃華は空中でよろめきながら、どうにか壁を蹴って、クリーチャーの群から脱出。

 彼女の足を狙って伸びたスライムの触手を、間一髪で逃れて、花乃華はひいなの前に着地した。


 花乃華の手足に、赤く小さな傷が浮かんでいた。鋭い牙でかみつかれたような状態だ。

 今度は、ひいなが花乃華に薬を渡す。さっきスライムに襲われたときのお返しだ。


「何だった、あれ?」


 薬を傷に塗り付けながら、花乃華は顔をしかめる。


「コウモリっぽかった。天井の辺りを巣にしてるのかも」


 データを確認すると”ニゲコウモリ”というらしい。第5階層あたりから、天井に住み着いているという。普段は他のクリーチャーや探索者のいない天井にへばりついているが、獲物の気配を察知して襲ってくるらしい。普段は死体狩りみたいなことをしているそうだ。


 きぃきぃと、耳障りな声でニゲコウモリが歌う。


「強くはないけど、あの数はやっかい」

「それに、相手してたら、スライムに襲われるよねぇ」


 中途半端な高さでコウモリの相手をしていたら、スライムの触手が届いてしまうかもしれない。


「ひいなの空飛ぶ魔法で、一緒に抜けられない?」

「うーん……久々だけど、一応試してみよっか」


 言いつつ、ひいなは花乃華をじっと見つめる。


「じゃあ、私にぎゅーっと抱きついて」

「はあ??」


 いつになくでっかい口を開けて花乃華があきれた。歯が白いな、と、ひいなはどうでもいい感想を抱きつつ、説明する。


「だって、そうしないと連れてけないし。ふたり一緒に飛ばすのはバランス悪すぎて大変だもん」

「いや、そのロッドの後ろに乗せてもらうとかでいいんだけど」

「これにタンデムは無理でしょ」


 1メートルくらいのエモーショナルスターロッドをぶんぶん左右に振って、ひいなは肩をすくめる。大きさはある程度自在に変えられるものの、それにも限度がある。だいたい、細長い棒にふたりでまたがって空を飛ぶのは、言うほど簡単じゃない。


「あと、花乃華ちゃんが抱きしめてくれると、魔法も強くなるから」

「……本気?」

「いやこれはほんとだって。私の魔法、感情で左右されるんだ。プレジャー・フライヤーは喜びの感情のエネルギーだから、嬉しくなると加速するし」

「……本気の本気?」

「疑ってる? 前もやったじゃん、解体姫と戦ったとき」


 第14階層のボス戦のときだ。ハッピィ・ラッキィ・トルネードを撃つために、花乃華にぎゅっとしてもらったことがある。あれは効果的だった。

 あのときの、花乃華のほっそりした体に、危うさを感じたのを今でも覚えている。守るべき存在だ、と花乃華を認識したときだ。


「……わたしに抱きつかれるの、そんなに、嬉しい?」


 なのに、今さら花乃華はそんなことを言う。目を伏せて、どこか不安げに、きゅっと眉尻にしわを寄せて、言うのだ。

 ひいなの胸に、別の感情がわいてくる。いっしょにいて嬉しいとか、守りたいとか、そういうのとは別の、何かだ。


「当たり前じゃない」


 そう告げて、ひいなは花乃華に歩み寄る。

 花乃華の頭を片腕で抱き寄せた。


「わぷ」


 ひいなの胸に頭を抱え込まれて、花乃華が息苦しそうな声を上げる。胸元が開いた衣装のせいで、花乃華の額が熱を帯びる感覚と、彼女のもがく仕草が、ありありと伝わってくる。

 思わず、よけいに、ぎゅっと腕の力を強めてしまう。


「ほら、こうしてるだけで、魔力が高まる感じする。わかる?」

「……人を道具にしないで!」


 するり、とひいなの腕から抜け出して、花乃華が真っ赤な顔で抗議する。怒ってるんだか、照れてるんだか、その表情と声音からではわからなかった。


「別にガソリン代わりにしたつもりはないんだけどね。ただ、花乃華ちゃんがかわいらしくて、つい」

「それはもっとやばいよ、犯罪者になるよ?」

「強引に人んちに泊まりにきた子の言う台詞じゃないよなぁ」


 犯罪に近い、というのであれば、あのときの方がずっと危険だった。お泊まりとシャワーが良くて、抱きしめられるのがNG、という花乃華の感覚も、微妙にずれている気がする。


 花乃華はぶんぶんと、熱を冷ますように首を左右に振る。ひいなに顔を向けたときには、もう、いつもの白晰の無表情だ。


「のんきに馬鹿話してもいられないよ。またダンジョンの構造が変わったら、攻略の計画もおじゃんだし」

「じゃあ、急いで突破するしかないね……」


 ひいなは花乃華を、じっと熱のこもった目で見つめる。険しい目で、花乃華がにらみ返してくる。

 無言の感情のぶつかり合いが、数秒。


 音を上げたのは、花乃華の方だった。


「わかった! しょうがない、わたしが燃料になって上げる!」

「だからガソリン扱いじゃないってば」


 とは言いながらも、ひいなは嬉しさを隠せない。頬の端から隠しきれない笑いがこぼれ、ついでに、エモーショナルスターロッドの輝きがぐんぐんと増している。

 スライムの青い海のそばに立って、ひいなは告げる。


「じゃあ、花乃華ちゃんが後ろね」

「わかった、妥協する!」


 杖を構えるひいな。

 その背中に、花乃華の細くて華奢な体の重みがのしかかってくる。両腕が、ひいなの胸の前に回されて、ぎゅっとしがみつく。抱き留められて、ひいなは、ぐっと胸の奥に高まるものを感じる。


「……意外と柔らかい」

「うるさい!」


 花乃華がかみつきそうな勢いで叫ぶ。


 ひいなは微笑んで、エモーショナルスターロッドを構える。杖の先端のクリスタルからは、今にも爆発しそうなエネルギーが溢れている。


「プレジャー・フライヤー!」


 呪文ひとつで、ふたりは飛んだ。


 ごうっ、と、一気に地上から離れる。風圧がひいなと花乃華の髪と衣装をかき乱す。驚いたように花乃華がいっそう強い力でしがみついてくるので、ひいなは思わず笑う。


「怖い!?」

「怖くない!!」

「けっこう!!」


 青いスライムが、獲物の気配を察知して触手を伸ばしてくる。

 頭上からは、コウモリの群がかすかな鳴き声を上げながら襲いかかってくる。


 どっちも、遅い。


「いっくぞーっ!」


 魔法の力に背中を押され、ひいなと花乃華は、宙を駆ける。

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