Sランク冒険者㉔
それからは何気ない会話をしながら時間を潰すが、まだ陽は高く夜までは十分時間がある。だからと言って部屋で寝ていても体が鈍るだけだ。そこでクライツェルはある提案をする。
「レオンもこの天候だと街からは出られないだろ?もし良かったら俺たちと一緒に戦闘訓練でもしないか?ミハイルも付き合うだろ?」
「僕は構いませんよ」
「私も構わないが場所はどうするつもりだ?この風では屋外での訓練は難しいのではないか?」
「それなら問題ない。少し遠いが借りられる場所があるからな」
「そうか、では場所を移すか」
そう言ってレオンが立ち上がると、釣られるようにクライツェルらも立ち上がる。だがケリーだけは椅子に腰を落とし動こうとしない。顔を伏せたまま、じっとお茶の入った器を見つめていた。
「どうしたケリー?」
「すまないクライツェル。俺は一足先に部屋で休ませてもらう」
その後に小声で囁やいた言葉を、隣りに座るヴェゼルだけは聞き逃さなかった。
「これ以上は自信を失いそうだからな……」
その気持ちはヴェゼルにも分かる。自分の得意とする分野で相手に完敗したのだ。背後に回り込んだことを簡単に察知され、剰え逆に背後を取られた。しかも相手は
ケリーの暗い表情から察したのだろう。クライツェルも冗談交じりに努めて明るく振舞ってみせる。
「じゃあ四人部屋を取ってくれ。俺たちのいない間、部屋に女を連れ込むなよ」
ケリーは振り向きもせず力なく片手を上げた。そして気にせず行ってくれと、僅かに指先を動かして意思表示をする。それに対しクライツェルは、「行ってくる」と、寂しげに一言だけ告げて宿を後にした。
外は相変わらず強風が吹き荒れている。冷たい風が肌を刺す中、クライツェルは先陣を切って歩いた。
横にはミハイルが並ぶが、その表情はムッとしていて機嫌が良さそうには見えない。
路地裏に入り建物で風が遮られると、ミハイルは後方を振り返り、レオンとの距離を確認する。レオンとフィーアは最後尾、距離が離れているのを確認してから――
「クライツェルさん。僕はレオンさんを試すようなことは、絶対にしないでくださいとお願いをしましたよね?」
「なんか不機嫌だと思ったらそのことか。お前がそう言うってことは、フィーアの実力には気付いていたんだな」
「フィーアさんですか……。まぁ、そうですね。サラマンダーを最初に手懐けたのもフィーアさんですから」
クライツェルが後方を振り返りフィーアに視線を向ける。外見は美しい女性でしかない。体の線も細いように見える。だがケリーを出し抜いた手腕は見事の一言に尽きた。それにサラマンダーをも手懐けたとなると――
「なるほど。彼女は唯の魔術師じゃないってことか」
ミハイルもフィーアのことを詳しく知っているわけではない。だが、あのレオンの妻である。普通の魔術師と違うであろうことは容易に想像がついた。
ミハイルとしては、クライツェルの興味がフィーアの方に向いているのは不幸中の幸いだが、何がきっかけでレオンの怒りを買うか分からない。
それに、自分の妻が好奇の目で見られるのを、好ましく思う夫は何処にもいないはずである。だからミハイルは再度クライツェルに釘を刺した。
「……兎に角、今後は先程のような馬鹿な真似はしないでください。怒らせると本当に怖いんですから」
「そう言えばケリーを殺すとか言ってたもんなぁ。冗談にしても言い過ぎだと思うんだが……。まぁ、見かけによらず気も強いし腕も立つ。確かに怖い女ではあるか」
そう言って笑い声を上げるクライツェルであるが、それとは真逆にミハイルの表情は暗かった。フィーアはそんな冗談を言う人間ではない。レオンが止めなければ、間違いなくケリーは死んでいただろう。
何も知らずに笑い声を上げるクライツェルを見ると不安しか感じられない。ミハイルは何事もなく今日が終わることを願わずにはいられなかった。
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