メイド③
目が覚めると、外は夕暮れで燃えるように赤く染まっていた。
記憶にはないが悪い夢でも見たのだろうか、起き上がるとベッドは汗でぐっしょりと濡れている。
メアリーは汗で纏わりつく寝巻きを鼻先に近づけて眉を顰めた。
着替えを探すため備え付けのチェストまでフラフラ歩くも、着替えは愚か何一つ入っていない。
昨日まで自分が着ていた衣服も見当たらず、誰かに聞かなければと、よろめきながら扉に手をかけた。
汗をかいたせいか、体が水分を欲し、喉が渇きを訴える。
(一階に降りたらノインさんがいるかな?この時間なら食事の準備をしているかもしれない。水を貰って替えの服があるか聞いてみよう)
メアリーは上手く働かない重い頭で、そんなことを考えながら自室を後にした。
少しばかりの目眩と覚束無い足取りが気持ちを憂鬱にさせる。
食堂の扉を開けると、午前中に出会った屋敷の主たちが椅子に腰を落としていた。
視線が集まる中、メアリーは慌てて頭を下げる。
「きょ、今日からお世話になるメアリーです。よろしくお願いします」
レオンは緊張した様子のメアリーに、眉尻を下げて苦笑いを浮かべた。
「話はノインから聞いている。楽にして構わん」
「は、はい。ありがとうございます」
レオンはメアリーの濡れている寝巻きを見て、不意に顔を背けた。
寝巻きの下は何も身に着けていないのだろう。膨らみかけた丘陵の先端が桜色に透けて見える。
レオンを隣で観察していたフィーアは、一瞬ムッとするも直ぐに笑顔を取り繕う。
少なくともレオンの前では大らかでなければならない。大好きな主に好かれるためフィーアも必死である。
フィーアはメアリーに笑みを向けると、濡れた寝巻きのことを問いただした。
「寝巻きが濡れていますね。どうかなされたのですか?」
「フィーア奥様。あの、寝ていたら汗をかいて……」
メアリーが恥ずかしそうに俯いていると、フィーアが満面の笑みを浮かべた。
屋敷でも奥様と呼ばれるのが嬉しいのかもしれない。向かいに座るアハトに「ふふん」と、得意げに胸を張った。
アハトは「ふぅ」と溜息を漏らすと、それは所詮お芝居だろ?と、哀れみの視線を向ける。
だが次のレオンの言葉でアハトは直ぐに視線を外した。
「寝巻きが濡れたままでは何かと問題がある。寝具も綺麗にする必要があるな。アハト、魔法で屋敷の中を全て綺麗にしろ」
「はっ!畏まりました――[
綺麗に乾いていく寝巻きを見て、メアリーはノインの使っていた魔法を思い出す。
「凄い!アハト様も魔法が使えるんですね」
「そうだな。この屋敷で魔法が使えないのは、君と其処のオチビちゃん。後は大飯食らいのトカゲくらいのものだ。それと私のことはアハトと呼び捨てで構わない」
「はい。アハトさん」
レオンはメアリーと従者のやり取りを微笑ましく眺めてた。
(仲良くやっていけそうだな。ノインの言う通り性格も良さそうだし、この屋敷にも直ぐに馴染むだろう)
「ずっと立っていては疲れるだろう?奥の空いている席に座ったらどうだ?」
「はい。旦那様、それでは失礼いたします」
メアリーはレオンに促されるままアハトの隣に歩みを進めた。
自然と正面に座る褐色の女性と視線が合う。初めて見る女性に緊張しながらも、メアリーは深々と頭を下げた。
「初めましてメアリーです。今日からこのお屋敷でお世話になります」
「私はヒュンフ、レオン様の冒険者仲間――みたいなものよ。メアリーはレオン様に屋敷のメイドとして認められたのだから、私のことも呼び捨てで構わないわ」
「はい。ありがとうございますヒュンフさん」
メアリーは満面の笑みで返した。
細長い耳の女性は見たことがなかったが、褐色の女性自体は珍しくない。メアリーは行商人として各国を巡っていたため、多種多様な人種を見てきた。
そのためか、ヒュンフにも違和感を感じることなく、遠い異国の人だろうと直ぐに受け入れていた。
メアリーが椅子に腰を落とすと、バハムートがテーブルの上をトコトコ歩いてやって来た。
メアリーはバハムートを見るのは二度目であるが、最初に見たバハムートはフィーアの胸で眠っていたため、バハムートがメアリーを見るのは今回が初めてになる。
初めて見る女性に興味があるのだろう。
バハムートはメアリーの前にちょこんと座ると、口をぽかんと開けてメアリーを凝視しながら、こいつは誰だと言わんばかりに指差した。
「むぅむぅ」言っているバハムートに、メアリーは首を傾げてニコッと微笑み返す。
「お嬢様は可愛いですね」
「むふぅ!」
お嬢様と言われたバハムートは途端に上機嫌になる。
ドヤ!と胸を張り隣のアハトを見上げた。
アハトは呆れたように溜息を漏らすと、バハムートの頭をわしゃわしゃ撫で回す。
「そんな事を自慢するのは感心しないな。それではフィーアのような駄目な大人になるぞ?」
メアリーは「え?」と、アハトに視線を移す。
屋敷に仕える使用人が、その奥様を蔑むのだから驚くのも当然である。しかも本人が居る前で堂々と。今の発言だけでも屋敷を追い出されておかしくない。
メアリーはちらりとフィーアの顔色を覗う。
だが、フィーアはアハトの言葉を聞いていないのか、ただ優しく微笑み返すばかりであった。
メアリーがほっとするのも束の間、フィーアの次の言葉で緊張が走る。
「アハト、本人を目の前にそれは失礼ではなくて?私の何処が駄目なのかしら?」
フィーアは声も穏やかで微笑んでいるのだが、えも言われぬ不穏な気配を放っていた。
メアリーが緊張する中、アハトは馬鹿を見るようにフィーアに視線を向けた。
「そうやって猫被ってるところかな?外見だけ取り繕っても中身が伴わないのでは、レオン様には相応しくないと思うのだけれどね」
フィーアは微笑んだまま瞳だけがすうっと細くなり、アハトの瞳を見つめ返した。
「アハト、私とちょっとお散歩しませんか?大事なお話しがあります」
「大事なお話し?素直に気に入らないからぶっ殺すって言えばいいのに」
互いに笑顔で見つめ合ってはいるが、言動がおかしなことになっている。
緊張に耐えかねたメアリーは堪らずアハトに小声で話し掛けた。
「あ、あの、アハトさん、奥様にそのようなことを言うのは不味いですよ」
「ん?ああ、大丈夫だよ。この屋敷の人間はみんな昔からの知り合いなんだ。あのおくさまもね」
「ふん!」と、アハトの馬鹿にしたような口調にフィーアは遂に笑顔をやめた。
異様な雰囲気になり、メアリーはオロオロと周囲を見渡す。だが当事者の二人以外は誰も気にする様子もない。
いや、レオンだけは俯き頭を両手で抱えていた。
ここ最近は穏やかな日々を過ごしていたのだが、また始まったのかとレオンは肩を落としていた。
レオンは顔を上げるとアハトの瞳を真っ直ぐに見据える。
「いい加減にしないか!今回のことはアハトに非がある。自分でも分かっているな?」
「はい……」
レオンの言葉を聞いて、フィーアはいつもの笑顔に戻っていた。
一方のアハトは叱られた子犬のように体を丸くしている。
アハト自身も今回は全面的に自分が悪いと理解していた。バハムートを嗜めるつもりが、思わずフィーアを怒らせるようなことを言ってしまったのだから。
奥様と呼ばれたフィーアに、無意識の内に嫉妬していたのかもしれない。フィーアとの会話で途中から歯止めが効かなくなっていた。
見るからに憔悴するアハトに、レオンは深い溜息を漏らす。
(何で言い争いをするんだよ……。毎回毎回、怒られるの分かってるだろ?最近は穏やかな日が続いてたのに。拠点に居た時みたいに頻繁に止めに入るのは嫌だぞ?)
「今回は見逃す。以後、つまらん事で私の手を煩わせるな」
「レオン様のご慈悲に感謝の言葉もございません」
アハトは深々とレオンに頭を下げた後、フィーアに視線を向けた。
「すまなかったフィーア。許して欲しい」
頭を下げるアハトに、フィーアは何を今更と自然な笑みを浮かべていた。
「気にしなくてもいいわ。女としてアハトの気持ちは分かるもの。それに私の行動も少し大人気なかったから……」
フィーアが言っている大人気ないとは、奥様と言われた時に、自慢するように胸を張っていたことである。
立場が逆であったなら、フィーアも間違いなく嫉妬している。それを思えばアハトの発言も仕方ないだろうと頷けた。
顔を上げたアハトの表情は僅かに笑みを帯びている。
フィーアとアハトは何も言わなくとも、互いの気持ちが手に取るように分かっていた。
レオンが一から創り出した従者たちは、昔から争いには事欠かない。だが、それだけに互をよく理解している。逆に言えば、それだけ仲が良いのかもしれない。
心から笑い合うフィーアとアハトを見て、レオンは相変わらず訳が分からないと顔を顰めるばかりであった。
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