middle2「紛い物」

「……何もないな」

 

 ウミネコの鳴き声と潮騒以外、何も聞こえない海岸沿いを歩きながら、安達は倦んだ吐息を漏らした。目に付くものは砂浜と県道、あとは防風林程度のものだ。


「そうね、まるでこの国みたいだわ」


 前髪を片手で抑えながら、すぐ後ろからスコルピオが続く。藤村とフューネラルはいない。今は別行動中だ。万一に備えて一応ツーマンセルで動いてはいるが、はっきりいって気が乗らない。一人のほうがずっとマシだった。

 まぁ、それはスコルピオも同じ思いなのだが。


「……本部エージェントさんはその割に日本語が堪能だな」

「仕事で必要だから覚えただけよ。それとも、もしかして皮肉? 妙な訛りでもあるかしら?」

「……知らねぇよ、どっちだって会話できるなら十分だろ」

「そうね。なら、つまらない事言ってないで仕事に専念してくれる?」

「チッ」

 

 大きな舌打ちをわざとらしく漏らして、あてもなく歩き回る。不毛極まる。だいたい、日本支部の仕事だろうになんで本部エージェントがいるんだ。北米の連中から見れば、こんなところ極東の僻地も僻地だろうに。そんなところに本部人員を放り込まなきゃいけない程に人手不足なのか? それにしたって、こんなツンケンしたガキを送り込んでくるなんて、何かの当て付けとしか思えない。

 これだから、UGNは気に入らない。

 安達の内心は不満で渦巻いていた。


「……それより、さっきから何チラチラ足元見てんだ? 小銭でも落としたか?」

 

 無理矢理話題を逸らして、スコルピオに振り返る。長い赤髪が、潮風に吹かれて微かに揺れていた。視線は、先ほどからずっと砂浜に注がれている。


「巻貝探してるだけよ」

「巻貝? 食うのか? 密漁だぞ、それ」

「違うわよ、貝殻よ、貝殻」

「貝殻……?」

 

 怪訝そうな顔を隠しもせず、安達は小首を傾げた。意味がわからない。水質汚染調査でもするのだろうか。そこからレネゲイドに関するアレコレでも弾き出すとでもいうのか?

 答えが出ないまま眉間に皺を寄せる安達に、澄ました声でスコルピオは答えた。


「海の音が聞こえるらしいじゃない。アレ、聞いてみたいの」

「え?」


 間の抜けた声を出してしまう。

 確かに、貝殻を耳に押し当てて漣の音を聞くというのは……浜辺では定番の遊びの一つである。まぁ、実際は漣の音ではなく、貝殻と耳の隙間に風が流れることによって聞こえる雑音をそれと勘違いするだけの現象なのだが……。

 例えるなら、かき氷のシロップのようなものだ。メロンもバナナもブルーハワイも色が違うだけで味は同じだが、色が違うだけで違う味だと人は勘違いする。それと変わらない。


「勤務中にくだらねぇ遊びするのが本部エージェントの仕事なのかよ」

「うっさいわね、ちゃんと捜査だってやってるんだから良いでしょ」

「歩き回ってるだけじゃねぇか」

「それはアンタだって同じでしょ」

「……」

 

 残念ながら反論の余地がなかった。

 小一時間、スコルピオと安達は延々と海岸沿いを歩いているだけだ。


「あった」


 黙り込んだ安達を放っておいて、スコルピオがしゃがみ込む。お目当ての貝殻を発見したらしい。軽く砂を払って、目を瞑りながら、すぐに耳に押し当てる。

 どこか楽しそうに、笑みを浮かべながら。


「……ほんとに波の音が聞こえるわ、不思議ね」

「ただの錯覚だろ」

「そうね、でもそれが何か問題でもあるの?」

「別に問題はねぇけど……所詮、紛い物じゃねぇか」

「紛い物に価値はないわけ?」

「……」


 そう言われると、安達も眉を顰める。別にそんなことはない。紛い物や贋作に価値がないなら、イミテーションは全て無価値ということになる。だが、現実に……それらの商品は市場に溢れている。需要が存在している証だ。


「贋物でもなんでも、当人が満足するなら……それで良いじゃない。むしろ、手に入らない本物より地に足がついてるわ。本物の波の音は、ポケットには収まらないんだし」


 そういって、スコルピオは大事そうに、貝殻を上着のポケットにしまった。

 ……思わず、安達は目を逸らして、舌打ちを漏らす。共感したとは言いたくなかった。

 例え録音したところで、それは結局紛い物。生で聞く漣とはくらべものにならない。それを後で聞いて思い出に耽ったところで、それはある意味で錯覚の延長線上でしかない。そう思えば……今ポケットにしまった貝殻と、何が違うというのだろうか。

 安達はスコルピオの言葉に、これっぽっちも反論が出来なかった。


「そんなところで何してるんです?」


 不意に、声が掛かった。

 声の主は、民宿の少年。土手の上の県道から、安達とスコルピオを見下ろして、怪訝そうに二人を見ていた。

 

「……貝殻拾ってただけだよ」


 取り繕うでもなく事実だけを安達は告げたが、直後に嫌気がさした。本当に我ながら、何をしているんだか。内心で苦笑すら漏れない。


「その辺はあんまりうろつかない方がいいですよ。満ち潮になると今お客さん達が歩いてるあたりは海に沈みます」

「え、ああ……そうなのか」

「そろそろ日も沈みますし、観光は適当なところで切り上げるのをお勧めします。夕食の時間も近いですし。今夜はハマチの刺身です」

 

 そう言って、発泡スチロールの箱を見せる。恐らく、今夜の夕食だろう。


「それでは、俺はこれで」

「ああ……ありがとう」

「お気を付けて。田舎の夜は早いですよ」


 そのまま、少年は背を向けて宿へと戻っていく。それを見送り、安達は小さく溜息を吐いた。


「……だとよ、調査は切り上げだな。まぁ、藤村さん達の方の収穫に期待するか」

「……」

「おい、聞いてんのか」

「え? 何?」


 海の彼方を睨むように見つめていたスコルピオが、そこでようやく安達の声に気付き、視線を向ける。


「聞いてなかったわ。もう一度言ってくれる?」

「貝殻探しなら後にしてくれ」

「はぁ!? そんなんじゃないわよ! もう一個あるんだから十分だし!」

「はいはい、なら、そう言う事にしとくよ。今夜は刺身らしいし、密漁を疑われても厄介だ。貝殻はちゃんとしまっとけよ」

「サシミ? え、それって……もしかして、魚を生で食べるあれ?」

「……そうだけど、食ったこと無いのか?」

「あるわけないでしょ……っていうか、生魚をそのまま食べるなんて、正気とは思えないわ」

 

 まぁ、欧米ではそういう考えも少なからずあるだろう。食文化の溝が思ったより深い事は安達も知識では知っている。


「出されたもんは食っとけよ。田舎の楽しみなんてそれくらいしかねぇぞ」

「……最ッ悪」

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