opening1「潮騒」
「本当に此処しかないのかよ」
心底嫌そうな声色で、黒髪の少年……UGNイリーガル、
場所は草臥れた民宿の一室。窓から日本海の広々とした海原が臨める、中々に風情のある宿なのだが、たかだか齢十余そこそこの安達には、その価値がまだ理解出来なかった。
「仕方ねぇだろ……観光地でも何でもない漁村なんだからよ」
その不満の声に少し高い位置から応えるのは、同じく黒髪だが癖毛の青年……UGNエージェント、
汗でズレ落ちた眼鏡を掛け直しながら、手荷物を部屋の隅に置く。もう四捨五入すれば三十路の藤村にとっては中々悪くないロケーションの宿だが、同時にまだまだ若年の安達からすれば、全く満足できないロケーションである事も重々承知であった。
藤村だって、こういった風情についての理解を得たのはつい最近なのだ。まだ若い安達が不平不満を言いたくなる気持ちも、わからないでもない。
「狭ぇし地味だし……せめて一人一室には出来ないのかよ」
「うるせぇ、男女で分けられてるだけまだマシだろ。俺じゃなくて上にいってくれ」
「俺からすれば、その上がアンタなんだよ、藤村さん」
「……まぁ、そうだけどよ」
実際、UGN市川支部長という立場でもある藤村は、そういった現場のクレームを受けるべき立場でもあった。とはいえ、此処は藤村の管轄地区でもなければ、そもそもUGN支部すらない僻地も僻地である。安達と同じく僻地に飛ばされてきた立場でしかない藤村からすれば、何とも釈然としない気持ちで一杯だ。
こういう時の為の連絡員じゃねーのかよと、今回此処に自分たちを送り込んできたニヤケ面のヘッドフォン野郎に内心で舌打ちを漏らすが、この場にいない誰かに何を言っても仕方がない。文句は心中だけで済ませておく。
「えーと、すいません……今、いいでしょうか」
「あ……?」
思わず、ドスの利いた声で振り向いてしまった藤村の視線の先にいたのは……黒髪を短く切り込んだ少年だった。当然、安達ではない。この民宿の一人息子だ。
やべぇ、聞かれてたな今の。
横目で安達を睨むが、既に安達は素知らぬ顔で窓枠に頬杖を突いて、丸きりこちらを見ていなかった。ふざけやがって。つか、田舎はノックもしないのかよ。
「……夕飯は19時頃に出しますので、その頃に居間までお越しください。布団はその間に準備しますんで」
「あー、えー……はい、御丁寧にありがとうございます」
「それでは……これで」
陰気な顔を引っ提げたまま、民宿の少年が下がっていく。一応笑顔で藤村は見送るが、当然引きつっていた。タイミングが悪すぎる。
「……」
「……」
階段を下っていく足音に聞き耳を立て、それが十分遠ざかったのを確認してから……藤村は溜息を吐いた。
「安達君よぉ……こういう時だけ俺に押し付けるのはちぃとズルいんじゃねぇか?」
「……それこそ、正規人員の藤村さんの仕事だろ。そんなことより、他に二人来るんじゃねぇのかよ」
露骨な話題逸らしだったが、安達の言い分は忌々しい事に正当である。藤村も舌打ちだけで済まし、蓬髪を掻く。本当はそれすら弁えなければいけない事はわかってはいたが、それを我慢できるほどの度量は、まだ藤村にはなかった。
「一人は遅刻で、一人はバス停まで迎えに行ってるよ。そのうち、連絡来るだろ」
「電波ねぇのに?」
「……」
言われて、スマートフォンを確認する。そこにあったのは、輝く圏外の文字。マジかよ。日本国内にまだこんなところがあっていいのか? 行政は何をしてるんだ? いや、行政じゃなくて携帯会社だけど。
しかし、携帯会社はあくまで会社である以上、利益を追求するのが当然であり、その利益が出せない地域のインフラにまで気を遣う義理は当然ない。QED……証明終了。
「……で、どうすんだよ」
詰問するというより、少し辟易とした様子でそう尋ねる安達に対して……藤村が出せる答えは一つしかない。
「……俺らもいくか」
幸いにも、迷えるほどの広さは、この漁村にはなかった。
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