第4話 花火と僕とテロリスト

 防波堤越しに聞こえる波の音を聞きながら、僕たちは並んで歩いていた。標示の剥げたアスファルトを通る車はいない。だから、車道の真ん中を歩く。

「学校までは、どのくらいかかるの?」

「15分くらいです」

「もっと近くに作ればよかったじゃないか」

 この世界は、死神の想像によって、僕の都合のいいように作られる。15分も歩き続けるのは、僕にとって好都合ではない。

 死神は、声色を変えずに答えた。

「この世界も半分を過ぎました。 だから私が話し手で、少しだけお話がしたかったんです」

 納得はいかなかったが、納得したふりをした。別に、海沿いの道路を歩きながら、死神と話し合うのは嫌ではない。僕は「それで、話って?」と、視線をずっと先に向けながら続きを促す。

「生きる目的は見つかりましたか?」

 なんだか久しぶりに聞いた気がする言葉だ。

「いや、見つかってないよ」

「そうですか……では、どうすれば見つかりますか?」

 ずっと先に向けていた視線を空へと向け、考える。

 生きる目的の見つけ方が漠然とでも分かっているのなら、僕の人生に学校の屋上なんてものは必要ない。だが、そのままを答えるのは違う気がした。

 一度は、死神へ「生きる目的を見つけてみよう」と宣言してしまったのだ。僕には、探す義務がある。放棄することは捻くれ者ではない。

「やり方に問題はない。 ただ……」

 死神が「ただ?」と反復する。

 僕は、最良の捻くれ者でいられる言葉を探し、話を続ける。

「学校の屋上を必要とする人生は、何かが欠けてるんだよ。 僕は、身勝手なのかもしれない。 この世界では、生きたいと思うからね。 君だって、そういうのはあるだろ?」

「分かりません。 私は、気づいたときには死神でしたから。 このままの姿で『魂をあるべき場所に運ぶ義務』だけを目的に、成長も老化もしない<死神>という存在で、生きてきていますから。 必要な物もなければ、不必要な物もありません」

 死神が、死神であることを忘れていたようだ。白いワンピースが似合う華奢な体に凛とした美しい顔立ちが問題なのかもしれないけど、もっと根本的な問題は、この世界で、死神の彼女は、あまりにも僕に馴染んでいたのだ。

 だが、それを認識してしまうと違和感ともいえた。

「僕と君とじゃ、生き方が違うんだね。 じゃ、僕が思う、死神の人生に必要な物をあげよう」

 真っすぐに向け続けていた視線を死神へ向ける。すると、興味ありげな彼女の視線と重なった。

「死神は、もっと面白くあるべきだ。 だから、これから魂を運ぶ前に、この話をするんだ。 君の語りだしは『こんな可笑しな男の子の魂を運んだんです』でいい」

 死神の双眸は、今までとは違い、微かに温度を持っていた。

 今から贈る、死神への話は、僕が『夏祭りでテロを起こす計画を立て失敗した話』と『となりの空席に恋をした話』――

 最良の捻くれ者らしい話で、嘘だらけの演劇みたいな話だ。だが、この二つの話だけは、どこまでも本当でおかしな話なんだ。

 僕は、少しだけ微笑み。

「夏祭りに、花火を壊すテロを企てたんだ」

 と語りだした。


  *


 僕が、小学1年生か2年生の時、たった一人で夏祭りと戦っていたんだ。淡い提灯の明かりや出店の香ばしい香り、花火に期待する暖色みたいな光景が敵に感じていた。だから、夏休みの40日をかけて『夏祭り破壊計画』を企てた。

 しかし、この計画は、8月31日にあっさりと失敗に終わる――そんな物語だ。


 その日は、最高気温30度を超える猛暑が続き、いつも作戦を考える公園のドーム状の遊具(いわゆる秘密基地)にいることはできなかった。中に入ると、溜まった熱気に噎せ返りそうになり、クラリと眩暈がする。

 だから、今日の秘密基地は、近所の駄菓子屋だった。子供好きのおばあさんが一人で営む、良心でなりたっている小さな駄菓子屋さん。携帯ゲーム機とクーラーに心を奪われた同年代の子供は、誰もいないから都合がよかった。

 僕は、そこでラムネを飲みながら、『夏祭りハカイけーかく』と題した自由帳とにらめっこをする。

「夏休みに、勉強かい? 偉いね」

 おばちゃんが、しわだらけの優しい顔で言ってきたのを覚えている。

 だから、僕は、あくまで真剣に。

「違うよ。 神社でやる夏祭りをぶっ壊すんだ。 だから、おばちゃんは、今日の夜、神社に来ちゃだめだよ。 特別だからね」

 と答えた。

 おばちゃんは「優しい子だね」と笑い、決して僕を馬鹿にしたりしなかった。本当は、子供の戯言と受け流していたのかもしれないのだけど、その時の僕には、心地いい誇らしさがあった。

 小学生の僕が戦う夏祭りは、地元の神社で行われる小さなものだ。だけど、地域の花火職人の好意で、毎年試作の花火を3発だけ上げてくれる。

 僕は、その花火を破壊したい。

 作戦はこうだ――500mlのペットボトルに入れた水をかける。

 鼻で笑ってしまいたくなるほど、馬鹿げた作戦だと思う。だけど、当時の僕は、本気でできると思っていた。まぁ、それも、知識不足と力不足、解決しようのない小学生という足枷が、作戦を失敗させた。

 失敗した過程を詳しくは説明しない。説明してしまうと、格好悪くなっていまうからね。他人に話される話なのだ。僕は、格好よくありたい。

 とにかく、僕は、作戦に失敗した――止められた大人に力尽くで抗ってはみたものの、体が傷と泥で汚れただけだった。

 

 戦いに負けた僕は、夏祭りが行われている神社の長い石段に腰かけ8月31日を過ごした。家に帰ることはできなかった。汚れた体で帰れば、母が慰めてくる。

 それが嫌で、結局、可能な限り夏祭りの喧騒と提灯の明かりが届かない石段で、じっと敵が去るのを待っていた。

 だが、僕が戦いを挑んだ敵は、思っている以上に強大で悪質だった。

 一瞬、微かに聞こえていた夏祭りの喧騒と縋っていた夏夜が失われる。

 それが、空に打ちあがる一発の花火だと気づくのに時間はかからない。体を殴りつけるような衝撃と耳を汚すような音――どこまでも、夜を美しく飾る火の華。

 二発目が上がる。一発目と全く同じように。

 僕は、顔を上げて花火を見た。視界の全てを覆う花火を見ていると目のあたりが熱を持っていた。最後の火の粉が儚く消えるまで、奥歯を噛みしめていた。

 あと一発の花火を我慢すればいいのだ。

 最後の花火が打ちあがる。だが、それは、一発目とも二発目とも違う――時雨花火だった。

 その花火が打ちあがり、火の粉が地上に降り注いでいる間。いや、それからもずっと長い時間、声を上げて涙を流した。

 夏祭りを倒せなかった悔しさなのか。花火を美しくないと決めつけていた自分を憎んだのか。それとも、もっと根深い理由があるのかは、当時の僕にはわからない。

 ただ、間抜けみたいに泣いてしまった。


   *


 僕が「な、面白い話だろ」と自虐的に問う。

 死神は、やっぱり温度を持った目で。だけども、切なくも思える目で。

「とても……私が、大好きな話です」

 と答えた。

 彼女には、もう一つ『となりの空席に恋をした話』を贈るつもりだ。

 だけど、もう学校についてしまったようだ。

僕は、一度足を止める。

 ――死神をつまらないと評価した僕への仕返しなのだろうか。

 対峙する校門のスライド式のフェンスへ手を掛ける死神が「どうしました?」と首を傾げた。

「そのフェンス、錆びついているから開けにくいんだよ」

「はい、知っています。 ここを蹴るんですよね」

「あぁ……そうだよ」

 先へ進む死神の背中をゆっくり追いながら、一度、後ろを振り返った。そこには、もちろん誰もいない。

 これは、本当に、死神の仕返しなのだろうか。

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