第99話 死してもなお蔑まれし者達

リューネブルク市・司教府中庭・バルムンク本陣―――


「総統リヒテル、現在、戦闘は我が軍の優勢……敵は内壁に取りつくどころか、橋を渡り切ることすらできない様子、このまま続けば今日の所は支えきれそうです」


 司教府の中庭にあるバルムンクの本陣、そこではバルムンクの総統リヒテル、そして彼を補佐するイグナーツが全体の統括を行なっている。

 バルムンクにとってヨーゼフ大司教やブリギッテ竜司祭長率いる神官軍の残余二千名は、正式な訓練を受けた軍人の集団であり、いわば切り札とも言える存在だが、リヒテルはあえて市の防衛には加えていない。

 彼ら神官軍はリューネブルク市を中心にした半径五リュード(約二十キロメートル)範囲で待機している。

 ガレー船を使えば半日以内にリューネブルク市に帰還できる距離、そしてグラオヴァルト法国軍の索敵範囲をギリギリ逃れられる距離でもある。

 リヒテルは彼らに自由な羽を与え、采配を任せたのだ。市外に配置されたことにより完全な遊軍と化した彼らがどのような働きをするかは分からない。

ただ、それはリヒテルが彼らを信頼していることの証でもあった。

 このリューネブルク市を見捨てて逃走しないという程度ではない、彼らの能力を信用したのだ。

 独裁者として君臨した今までのリヒテルにはない発想である。


「安心するにはまだ早い。今戦っている兵士は使い捨てにされた寝返り組のファーヴニル軍、グスタフにとってこれは戦闘ではない、ただ処分に困ったゴミを始末しているだけだ。本格的な戦闘は貴族連合軍や法王軍が着てから……外壁の準備はどうなっている?」


 外壁とは、司教府含む上等区を囲む外側の城壁の事である。

 上等区と市街地を区切る内壁と比べても高く堅固であり、その高さは四ディース(約十五メートル)、厚みが一ディース(約四メートル)もある。

 投石器や破城槌程度ではビクともしない、かつてこの都市が対蛮族の最前線にあり、リューネブルク砦と呼ばれていた頃のなごりだ。

 しかしその大城壁も万を超える軍が攻撃をかければどうなるか……不安は多い、特にそこを守る兵士が寄せ集めとなってはなおさらである。


「監視役を数名ずつ配置しています、何かあればすぐにでも報告が来ます」

「報告が来たらすぐに予備兵力を全て外壁に投入しろ」

「全てですか……」

「中途半端な兵力では支えきれないだろうし、兵士の質の問題もある。外壁の指揮はお前が取れ」


 精鋭たる神官軍を抜いた防衛組の内訳は、寝返りが相次ぎ、ほとんど親藩だけとなったバルムンク直属のファーヴニル達、それに市民から募集した義勇兵が加わる。

 義勇兵の中でも特に、スヴァルト貴族レオニード伯爵に故郷を焼き滅ぼされた、ライプツィヒ市の生き残りは復讐の念に燃えていた、まさしく刺し違える覚悟で戦線に立っているのだ。

 ただ元が市民である彼らは経験に乏しく、また士気の高さが災いして冷静さを欠いてもいた。

 よって、彼らを正しく扱うには経験のある部隊長が、その目の届くところに配置するのが望ましい。

 部隊長はライプツィヒ市の顔役でもあり、彼らライプツィヒ市出身者のまとめ役であったイグナーツ、そして目を届かせるために兵力を集中して扱うのだ。

 復讐を胸に勝手に動き始める彼らをとてもではないが分散配備などできなかった。

 そして彼らを扱える人間はイグナーツしかいない、バルムンクの人材枯渇はもう底を漁るほど深刻なものとなっていた。


「時間を稼げば稼ぐほど、法王シュタイナーがこのリューネブルク市に近づく、到着すれば和平が結べる。それまでの辛抱だ」

「……」


 リヒテル最後の賭け、それはグスタフの上位に位置する唯一の人物、国家元首たる法王シュタイナーとグスタフを抜きにして和議を結ぶ事。

 そのためにはいかなる手段も、この身を犠牲にしてもそれを成し遂げる。それがこの戦争を起こした彼の責任の取り方であった。

 しかしリヒテルは知らない、その希望が、法王シュタイナーがグスタフの虜となり、もはや和議を結べる状況にないことを……掴んだロープがただのわら束でしかないことを彼は知らない。

 彼はその信念のままに皆を泥船に載せて大海を漂う無能な船長であった。


「耐え抜いて見せる……どんな手段を用いても、お前らを生かして明日を迎えさせる……ごほっ、ごほっ!!」

「大丈夫ですか……総統リヒテル」

「……大丈夫だ、少し喉が渇いただけだ」


 指示を下すリヒテルが激しくせき込んだ。

 本来ならば彼は重病人、一週間足らず前のブライテンフェルト会戦でのグスタフとシャルロッテに深手を負わされて両脚と左腕を切断したのも記憶に新しい。

 特にシャルロッテに受けた死術の毒は深刻だった、もう解毒はあり得ない、回復する体力がもうないのだ。

 死ぬまで苦しむ、そしてその死もそう遠い事ではない、死に至る病、常人ならば激痛でまともに思考することすらできないのだろう。

 しかしリヒテルは少なくとも平常の姿を保っていた。

 それは彼が常人ではないから、だが果たしてリヒテルは常人以上だろうか……常人以上の英雄などあるいはおとぎ話の中だけでしかないかもしれない。


「少し濃度を濃くします……」

「頼む、効かなくなってきた」


 イグナーツが粉のようなものを水に溶かしてリヒテルに提供する。

 それをリヒテルはまるで齧り付くように飲み込んだ、その数分後、呼吸すら困難になりつつあった咳が治まった。


「効かなくなっている、使ってまだ数日だと言うのに……」

「ケシの実の精製を上げれないのか」

「これ以上は濃度を上げても仕方がないです、粉ごと食すか、あるいは煙草のように喫煙するしかありません」

「喫煙は止めておこう、頭が一度でダメになる」


 リヒテルが飲んでいるはケシの実を精製して作ったアヘンである。

 沈静作用と倦怠感をもたらすその薬物は、率直に言えば麻薬である。もはや最期を見据えたリヒテルは体が壊れるのは毒も変わらないと、中毒者への道を歩むことで表向き、平常を保っていた。


「ヴァンやテレーゼ嬢には教えられませんね」

「……そうだな、姉上にも教えられない」

「……貴方の姉上はもう死にましたよ、貴方が殺したのでしょう」

「そうだ、そうだったな。今、姉上に話しかけられた気がしたのだ……嘘だ、冗談だ」


 冷やかな視線でイグナーツがリヒテルを見やる。

 元々、一度捨て石にされたことがある彼はリヒテルには懐疑的だ、殺してやろうと思ったことも一度や二度ではない。

 ただ今それをやればバルムンクは崩壊し、ヴァンらは死ぬだろう。

 それを考えると手が出ないのだ。幾度となくスヴァルトに反旗を翻し、数多の同胞達を戦場に連れ出してきた男は、随分甘くなったと自嘲していた。


「もはや意地ですね、あの子らに格好つけるために、それだけのために今、指揮を取る」

「もう我々にそれしか残されていない、戻るべき道も、行くべき道もない」


 やや自嘲するようなリヒテルの弱音、しかしイグナーツは取り合わない。


「貴方と一緒にしないで下さい、私はライプツィヒ市の代表として、市民を受け入れてくれた恩義で貴方に付き従っています、ですが貴方の人格ややり方を欠片程も評価していない」

「それでいい……全てはこの戦いが終わるまでの間、その手を合わせよう」


 欺瞞と不信を覆い隠して結ばれた盟約、その真実をヴァンらリヒテルに付き従った者達には見せられない……なぜならば、ヴァンらは彼らと違い、人々と心もまた一つにしていたからだ。

 強大過ぎる敵を前に、この街を守るために一致団結する、その手を一つに……であるならば形ばかりの握手を交わす二人が、味方に不要とされるのはそう遠い事ではない。

 それを当の両者が誰よりも理解していた。


*****


リューネブルク市・上等区・ヘルムート橋・城壁上―――


「ヴァン様、貴族連合軍の旗が見えました!!」

「いよいよ本番が始まりますわね」

「ええ……これからが本当の戦いです……それにしてもなんとも憐れな」


 城壁の上からヴァンは下を見下ろす。

 そこには害虫駆除の後があった。

 督戦隊、そしてヴァンらは知らないが死術による脅迫によって特攻させられた寝返り組のファーヴニル軍、一万余り。

 彼らの死体が歴々と積まれ、橋を、石畳を埋め尽くしていた。

 どの顔も断末魔の叫びを残した無残な物であり、重なり合い、互いに互いを盾にして矢から逃れようとしたその醜態は見る者に吐き気を及ばせる。

 全滅、文字通りの意味で全滅である。

 恩赦と言う名のエサにつられてバルムンクから法国軍に転向した者は皆、法国軍に手に平を返されてヴァルハラに叩き込まれた。


「自業自得とはいえ、これはいくらなんでも……」

「同情は禁物です、テレーゼ様、彼らが選んだ道を尊重しましょう……」


 敵に情けなどかけないヴァンが冷たく言い放つ、彼は裏切り者に対し、それが例え幼子で煽るとも容赦などして来なかった。

 バルムンクの流儀、血の掟に従って処分してきたのだ。


「ですがこの戦いが終わったら墓ぐらいは作ってあげましょう」


 ただ、この頃はその姿勢は変わらずとも、一つまみ程の優しさを見せるようになった。

 それが蒼い髪の幼馴染のおかげか、あるいは元奴隷の狂女のせいかは分からなかった。


「そうですわ、そのぐらいはしてあげましょう」

「ただ、予算が多分あまり出ないでしょから、共同墓地ですよ、一万人が同じところに眠るのです」

「あら、素敵ですわね、仲良くあの世で喧嘩すればいいですわ」


 軽口を叩きあうヴァンとテレーゼ。

 ファーヴニル軍を退けた所で戦闘が一時的に停止していた。

 原因は恐らく敵軍の連携不足、ファーヴニル軍と貴族連合軍の足並みがそろっておらず、ファーヴニル軍が奮戦している間に、貴族連合軍が到着できなかったのだ。

 その証拠にファーヴニル軍が全滅してもその首魁たる死術士シャルロッテは陣がある教会前から動かず、ただ指をくわえているだけ、明らかな作戦ミス、無駄な犠牲を強いたのだ。


「矢のストックは……」

「まだ一割も使ってないですよ」

「一割近くも使った……です、ムスペルの炎は?」

「そちらはもう三割以上使ってます。すみません、少し節約します」


 ただ万を超えるファーヴニル軍の犠牲はまったくの無駄とは言えない。

 バルムンクの物資にも限りはなる。

 クロス・ボウの矢やムスペルの炎などの焼夷兵器、特に素人には作成が困難なムスペルの炎は工房で作った物もあるが、その半分以上が商会からの購入だ。

 資金の限りが物資の限り、いかにこの街を守るためとはいえ、タダで武器は揃えられない、商会からの援助も既に底をついていた。

 彼らにも生活がある、何もかも徴発するわけにはいかない。


「外壁に劣るにしてもこの城壁も厚みがあります、簡単には壊せないでしょう。この城壁を突破するには梯子をかけて昇ってくるしかない、矢やムスペルの炎が尽きてもかけられた梯子を外してしまえばなんとか……」

「まあ、いざとなったら町中に隠した油の樽に火をつければファーヴニル軍も貴族連合軍も法王軍もイチコロですわ」


 慎重に戦局を見据えようとするヴァンに対しテレーゼはやや楽天的だ。

 勝利を疑わないその姿勢は愚かと言えば愚かだったが、その下に就く者にしてみればむしろテレーゼの方が安心する。

 彼らはヴァンとは違い戦局の全貌を知らない、あるいは理解できていない。

 慎重だが何を考えているか分からないヴァンはその得体の知れなさから不信感を持たれやすいのだ。

 とかく他者の理解を求めず、それどころか他者をただの道具として扱うきらいがヴァンにはある。

 それは自分もリヒテルに道具のように扱われてきたから、上に立つにあたってヴァンはテレーゼの補佐が必要だ。

 そしてテレーゼもまたヴァンの補佐が無ければ最大限の力を発揮できない。

 彼女には学問とはまた別の意味合いを持つ、知力という物が徹底的に欠けている。あるいは狡猾さが足りない。

 彼らは二人で一つ、バルムンクの両翼なのだ。


「火攻めは最後の手段ですよ、あれを使ってはこちらも動揺が大きい」

「この上等区は河で区切られていますけど?」

「兵士達は本当の虐殺という物を知らない、それを知るのは十年前のマグデブルクを知っている者のみ、その瞬間、それを行った罪悪に耐えられるのが今のバルムンクでは三人だけです」


 十年前のマグデブルク虐殺、その地獄を今、バルムンクは再現しようとしている。

 街に火を放ち、数万の兵士を焼き殺すその罪を果たして行った兵士は耐えられるのだろうか……。

 テレーゼはイチコロと言った、恐らく彼女は地獄を理解していない。


「……そういう言い方をするからあちこちで首を傾げられて」

「……」


 テレーゼが小声で愚痴る。

 ヴァンはさっそく悪い癖を出していた。

 秘密を自分だけで抱え込み他者に知らせない。

 理解できているのは自分だけでいいとはあまりに傲慢、だが彼の本質を知るテレーゼは気にした様子もない。

 話したいときに話してくれるだろう、そこには確かに信頼があった。


「あ……」

「どうしました?」

「二階建ての家の屋上に弓兵らしき物が見えます、服装から騎士ですわね、矢を番えて今、矢を……」

「盾を構えろ、来るぞ!!」


 テレーゼののんきな声とは画してヴァンが素早く命令を下した。

 その瞬間、数百の矢が城壁の上に到達した。

 風切る音が鳴り響き、木製の矢避けに次々と突き刺さる。

 地上より三ディース(約十二メートル)、まるで羽でも生えているかのように速度を落とさずバルムンクのファーヴニルらを射殺さんと突入する矢群。

 後少しヴァンの命令が遅れていれば何人が殺されていた事か……。


「……相手は本当に人間ですの、矢は上から下に落ちるものですわよ」

「彼らは遊牧民、定住民たるアールヴ人とは弓矢の扱いでは雲泥の差があります。常識外はむしろ想定内……恐らくは名のある人間を選抜したのでしょう、家などの括りを無視して、ブライテンフェルト会戦では烏合の衆に近かったのに」


 遠目に見える弓兵の服装は統一されたものではない、ヴァンにスヴァルト貴族の紋章学の修めていれば、家名が特定できただろう。

 先の会戦で大した功績を挙げなかった貴族連合軍は今、互いのいさかいを一時忘れ、打倒バルムンクを合言葉に団結したのだ。

 彼らは特権を弄ぶ腐敗した存在だったが、武人としての矜持と技量は残していた、このまま争えば、グスタフに全てを奪われることにようやく気付いたのだ。


「先頭はレオニード伯爵ですわ、ライプツィヒ市を焼き討ちにした豚野郎。あの時、逃がしたことが悔やまれてなりません」

「ライプツィヒ市の生き残りが喜びそうです、ですがまだ黙っていましょう。反撃の瞬間まで、牙は隠しておくものです」


 全滅したファーヴニル軍と入れ替わる形で貴族連合軍がその威容を現す。

 数は先の万を誇ったファーヴニル軍の倍以上に見える。

 数ばかりではない、後ろには攻城戦に使う投石器に破城槌、バリスタ、その合間に動物の死体のような物も見える。

 疫病に感染した死体や死骸を放り込むつもりだ。


「皆、頑張りましょう、ここからが本当の戦いですわ!!」

「おぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 テレーゼの威勢のいい掛け声に皆が応える。

 彼らの目には未だ絶望はなく、その先に見える道は輝かしいものであった。


*****


リューネブルク市・市街地・教会前・ファーヴニル軍本陣―――


 ファーヴニル軍本陣、今やほぼ全ての兵士を失った憐れな将軍がそこにいた。

 小柄な体、顔の左半分を隠した漆黒の仮面、グスタフの奴隷少女、死術士シャルロッテである。

 彼女は左腕に巻かれていた包帯を剥ぎ取る、左腕は茶色に染まっていた。

 ごつごつとしたその岩のような左腕は石化したようで、まるで樹木のようだった。


「Всхожесть(芽吹け)、Всхожесть(芽吹け)、Всхожесть(芽吹け)、Парень поднял Вудс(森を育てた男よ)、Пожалуйста, одолжите мне ваши силы (汝の力を貸したまえ!!)」


 湧き上がるは邪悪の波動、彼女は今、不死王にその魂を捧げ、失われし古代の秘術を行使する。

 全ては自らを救いし主のために、その主が彼女を駒程度にしか思っていないことを知らぬままに……。


「Сделать ваш покрытия земли(地上を覆い尽くせ)!!」


*****


リューネブルク市・上等区と市街地の間・ヘルムート橋―――


 そこにいたのは万の罪人達、卑劣で軽薄、愚鈍で盲目、彼らは勝ち馬に乗るべくバルムンクにつき、敗戦の折に寝返った者達。

 だがその転向は許されずに断罪とばかりに虐殺された。

 逃げらぬように種を埋め込まれ、味方の矢でもって追い立てられた彼らは見限ったバルムンクによってその生を終わらせられた。

 しかし寝返りは罪だとしてもこんなにも重い罰を受ける程重い物だったのか、彼らは生きるのに必死だけだったに過ぎない。

 一人で生きていた者ばかりではない、愛する者を養うために心を殺して敵に従った者もいたのだ。

 組織のためと称し、家族を殺してきた総統リヒテルと彼らは違う。


「……」


 許せない、憎らしい……殺されてもなお蔑まれる戦士達、その魂が震えるように血の失せた肉体が今、愚劣なるかつての指導者に反逆ののろしを上げる。


「……!!」


 無音の雄たけびを挙げて、断罪されし万のファーヴニルが立ち上がった。

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