第81話 知った風な口を、あの雌豚が

ライプツィヒ戦線より中央戦線・ロスヴァイセ連合軍がリューリク公家軍本陣を奇襲する直前―――


 ヴァンは自分が見ている光景がにわかには信じられなかった。食糧、武器、防寒具などの軍需物資がうず高く積み上げられている。

まるで客人を待つ露天商のように、リューリク公家軍は無防備な背中をロスヴァイセ連合軍に晒していた。


「勝てますね、ヴァン……ウラジミール公がいる天幕まで目と鼻の先だ。あの憎んでも憎み足りない王が死ねばウラジミール公国軍は崩壊する」

「……罠の可能性はないのですか」

「その必要はないでしょう、何よりもこの機会を生かさない道理はないとご自分でおっしゃっていたではないですか、始祖シグルズが我らを勝たせたがっているとしか思えません」


 友軍の奮闘、敵の油断、多種多様な要素が絡まりあってこの奇跡が現出したのだ。

それに感情の波が激しい副官イグナーツは狂喜し、ヴァンは持ち前の猜疑心を発揮して警戒した。

 つまりは副官、指揮官としての偽装がはがれ、本来の性格が浮き彫りになったのだ。それがどのような作用をもたらすかは分からない。


「いいのですか、ここから先は死地です、ロスヴァイセ頭領の貴方には構成員を導く義務があります。私は本心では貴方が非戦闘員を避難させた後に戻ってきてくれた方が望ましい、その頃にはウラジミール公の首を取っているか、あるいは逆に返り討ちになっているかおおよその結果が出ているでしょう」

「そんなおいしい所を持っていくような真似を私にしろと総指揮官はおっしゃるのですか……第一、その台詞は私よりも前に言うべき人間がいるでしょう」

「……」


 ヴァンはゆっくりと後ろを振り向く、そこには年若い三人の女の子、最も内二人はヴァンより年上だが……がいた。

 一人は言うまでもなくヴァンの幼馴染であり、斬りこみ隊長ともいうべきテレーゼである。

 妙に自信満々であり、かつ先ほど突然ヴァンの首を絞めた(テレーゼからすれば抱擁)謎な行動が不可解だが彼女はいい、並の戦士を上回る実力を持っている戦闘要員だ。

 もう一人はテレーゼの従者扱いのリーリエ、非道な死術士ツェツィーリエの改造により、記憶と感情を半ば失っている彼女は市内に撤退する影術士部隊への動向に従わなかった。正確には凍死の危険がある自身の状況を理解していないのかもしれない。

 その生への無関心さが恐ろしい。

 そして三人目、最期の一人は一番の問題かもしれない、ヴァンとの心中を望むアマーリアだ。

 彼女は非力かつ臆病で完全な非戦闘要員だ、軍楽隊とともに市内へ帰れと命令したのだが、言うことを聞かなかった。

 それは気丈であると言う理由からでは決してない、忙しなく目を動かす様はまるで小動物のようであり、しきりに腰のあたりを触っているのはヴァンに取り上げられた無理心中用のナイフに執着するが故。

 それだけで彼女が戦場に存在していることに大きな重圧を受けていることが分かる。


「これより、リューリク公家軍の本陣に奇襲を行います……その前にアマーリア、貴方には改めて命令します、ライプツィヒ市に撤退してください」

「いったい何を言っているのですか、ヴァンさん……私と貴方は一心同体、離れたりはしないのですよ」

「戦闘が始まれば私は生き残るかもしれない、ですが貴方は確実に死にます」

「生き残る……生き残ってどうすると言うのですか、生き残っても混血である私と貴方はどの道バルムンクに粛清させる身ですよ、希望で人を騙し、散々使いまわしたあげく、用がなくなれば処分する。それがあのリヒテルのやり方です」


 さも馬鹿にしたようにアマーリアがヴァンをせせら笑う、だがその体は震えていた。彼女は戦場に恐怖していた。


「私は貴方に生きていてほしいのですよ……それは理由になりませんか」

「それは押しつけですよ、自分が何かをしたという自己満足に浸りから私を守ったことにしたい、ですが残念ですね、貴方では私は守れない」

「ではどうしろと……」

「知りません!!」


 どこか疲れたようにヴァンはアマーリアを見やる。彼は彼女が何を言いたいのか分からなかったし、何をすればいいのかも分からなかった。

 彼にできたことは痛みに耐えることだけ、いつの間にか脇腹に正拳が突き入れられていた。


「痛いです……テレーゼお嬢様」

「馬鹿なことばかりをするからですわ、何、貴方、あの子と喧嘩したいのですの?」

「そういう訳ではないのですが……」

「だったら、もう少し考えて……も駄目ですわね、私に、恋愛の達人である私に任せなさい」

「恋愛……恋愛相談と称して人様に介入し、幾多の恋人達を破局に追い込んだ魔性の女が何を言うのですか?」

「それは今、関係ない事でしょう!!」


 真っ赤になって慌てるテレーゼは取り繕うようにアマーリアに矛先を向けた。指を突きつけ、彼女に宣言する。


「この問題は、後で三人で話し合いましょう、私は必ずヴァンを生きて連れ帰りますわ。だから今は待っていてくださる」

「いったい貴方は何を……」

「リーリエ、彼女をライプツィヒ市まで……そして貴方もそこで待機していなさい」

「承りました」


 影の魔物を召喚し、それをちらつかせながら影術士がアマーリアを促す。

納得したわけではなかった、ただ魔物の脅威に押される形でアマーリアは口を噤んだのだ。


「まずいですよ、ヴァン、リューリク公家軍の兵士がこちらに気付き始めました。このままでは援軍を呼ばれます」

「攻撃開始、ウラジミール公を討ち取れ!!」

「おぉぉぉぉぉ!!」


 アマーリアの沈黙はあるいは彼女にとって大事な機会を一つ潰したかもしれない。

 アマーリアにとっては不味い、ヴァンにとっては都合のいい方向に、事態は推移し始めていた。

 戦闘の開始、ファーヴニル隊、民兵隊、共にスヴァルトに恨みを抱く彼らはその王を討ち取れる状況に歓喜していた。

 もはや悩む必要はない、ただ目前の敵を討ち取ればいい。

 自分の生命の心配すらも、もうこだわることもなく。余計なことを考える必要はなくなった。



「私に続け!!」

「くっ……」


 突撃していく彼らに置いて行かれた形のアマーリアはただ黙って唇を噛む。この場を離れたくはなかった。一人にはなりたくはなかった。

 だが彼女を促す影術士は執拗に撤退を進言してくる。その脅威に抗えない、抗う力も気概もない、どこまでも一般人の枠を抜け出せない女がそこにいた。


「知った風な口を……あの雌豚が!!」


 その無力感、喪失感、多種多様な感情を炉にくべて彼女は憎しみという名の炎を燃え上がらせた。

 その熾火のような火を、ヴァンも、またテレーゼも知らない。


*****


リューリク公家軍本陣―――


「敵襲、敵襲!!」

「馬鹿な、どこからあんな軍勢が……」

「旗印からライプツィヒ市のファーヴニル組織、ロスヴァイセと思われます」

「まさか、貴族連合軍を超えてきたと言うのか、いや、それ以前に相対していた駐留軍のレオニード伯はどうした、敗退したと言う連絡は受けていないぞ!!」


 ロスヴァイセ連合軍の奇襲を受けてリューリク公家軍の本陣は混乱した、奇襲をかけてきた軍は凡そ数百、それに対し、本陣に残っている兵士は千名程しかいない。

 総攻撃をかけた故に残っているのは直接戦闘に参加しない工兵や衛生兵が大半であり、あるいは負傷して担ぎ込まれた味方の兵もいるにはいるが、彼らに戦闘を強いるのは無理というものである。

 純粋な戦闘要員は二百名程、三倍の兵力差でバルムンクに決戦を挑んだ彼らがこの局面に限れば数倍の兵力を相手にしなければならない。


「騎士ヴァルラム様!!」

「狼狽えるな、ドラを鳴らし、笛を吹け、友軍に我らが父の窮地を知らせるのだ!!」


 指揮官である騎士ヴァルラムはこの状況にあって冷静かつ的確に指示を下した。その指示に従って部下は行動するが、その顔がすぐ後に絶望に変る。


「ドラを鳴らしました……しかし」

「遠見役より伝令、友軍動かず、繰り返します、友軍は動かず、我らを助けに来る様子はない!!」

「馬鹿な、ここには陛下もいらっしゃるというのに……」

「違う、軍が敵陣に深く入り込み過ぎたのだ、吹雪でドラの音が聞こえていない」

「では伝令の騎兵を出せ、急げ!!」

「はっ!!」


 彼らが主君、ウラジミール公は高齢であり、この吹雪で体を痛め、一歩も動けなくなっていた。

 そのため、進撃する主力軍との距離は開き、本陣は孤立していた、連絡に支障をきたすほどに離れてしまったのだ。

 自らの勝利を疑わない傲慢さがこの事態も招いたのだ、ウラジミール公の戦死が全軍の崩壊を招くと知っていながら、油断していたのだ、彼らも、そして主君であるウラジミール公も……。


「私は陛下を安全な場所までお連れする、それまでこの場を死守せよ」

「分かりました……ですが」

「なんだ、まさか貴様、己の生命が惜しいのか、それでもスヴァルトか、死ね、戦って主君のために死ね!!」

「いえ、そうではなく、陛下が誇り高きお方、むざむざと敗軍のような真似をするでしょうか」

「ここにとどまるというのか」

「はい……」


 リューリク公家の兵士はウラジミール公の性格を知っていた。かの主君は自身を一つの芸術のように考えている。

 偉大なるスヴァルトの指導者、スヴァルト人の誰もが崇拝する君主、だからこそスヴァルト人は彼をいただくが故に鉄の結束を維持できているのだが、その意志は時に現実も見る目を曇らせる。


「その時は……私に考えがある、必ずや援軍を連れてこよう」


 そう言うと、騎士ヴァルラムは主君の元に向かった。

彼の部下は正しかった、ウラジミール公は進言を拒絶し、この死地にとどまることを選択した。

 そして騎士ヴァルラムは爆死した。ムスペルの炎に矛槍を叩き込み、その天を突くような爆発で友軍に危機を知らせたのだ。


*****


ライプツィヒ市近郊―――


「許さない、許さない……テレーゼ」


 熱病にかかったようにアマーリアは戯言を繰り返し、ライプツィヒ市に歩みを進めていた。

 彼女は既に善悪の感覚がなくなっていた。八つ当たりだとか逆恨みだとか、そのようなことはもう考慮の範囲外だ。

 ただ憎らしい、恨めしい、どのような手段を用いてもヴァンとテレーゼの足を引っ張り、貶めてやりたい。

 ただそれだけを考えていた。その狂乱に、精神の半ばを喪失していたリーリエは気づかない、リーリエが考えているのはただ新たな主であるテレーゼの命を叶えること、そして叶えたあと、その主の温もりの中に再び還ることだけだ。


「方法はある、私にもできることがある、グレゴール司祭長のように市民を扇動すればいいんだ、元よりバルムンクは盗賊団、どこかで市民は恐れている。そこをつけば……私だけ苦しむのは間違っている、皆、皆地獄に落ちればいい、不死王の贄となればいい、死ね、死ね、私は悪くない、私が悪いんじゃない!!」


 ブツブツと呟き、彼女はついにライプツィヒ市の目前までたどり着く。さあ、これから急がなくてはならない。

 市民を扇動して、ヴァンらを血祭りに上げなくては……。


「え、なんで、何が起こっているの?」


 そう考え、それを実行しようとし、彼女は途方に暮れた。目の前にあったのは十年前、故郷である首都マグデブルクで起こったそれと寸分違わないものだった。


*****


ライプツィヒ市正門―――


「痛い、痛い、なぜスヴァルトの貴族である私がこんな目に……アールヴの奴隷共が!!」

「レオニード伯、お気を確かに……」


 決戦に敗れ、惨めな敗軍の長となったレオニード伯はその屈辱に身を震わせた。

 戦士として称えられる可能性、生意気なアールヴを打倒す聖戦、会戦前に思い浮かべた栄光は全て泥にまみれた。

 今の彼はただの豚であった、勇気を振り絞り戦場に立ったものの、しょせんは豚にできることなど限られていた。

 味方の嘲笑が幻聴する。そしてさらに彼を苛む自体が起こったのだ。


「ライプツィヒ市正門に市民が集まっている。決戦の結果を知ろうとしているのか」

「まずいな、我らは市民に恨まれている。敗北した無様な姿を見せれば弱いとみて蜂起の可能性も……」

「レオニード伯、裏門に回りましょう」

「ふざけるな!!」


 レオニード伯が血走った眼で狂騒する。栄光あるスヴァルト貴族がコソコソとネズミのような真似をしなければならない、その事実が彼の矜持を完全に崩壊させた。


「これは戦争だ、今よりライプツィヒ市に攻めのぼり、我らに仇すアールヴの市民を皆殺しにしろ!!」

「レオニード伯!!」


 決戦に先立ち、ヴァンは兵士をまとめるためにレオニード伯が街に放火し、虐殺を行おうとしているとの偽報を流した。

 それはあくまでヴァンにとっては汚い策略に過ぎなかったが兵士だけでなく、市民もまたそれを信じた。

 レオニード伯が身の潔白を訴え、市井の安定を望んでもそもそも過酷な圧制者である彼を信じる者などおらず、街は怨嗟と恐怖に包まれていた。


「私を信じず、ロスヴァイセの嘘を信じると言うのならばそれで良かろう、望む罰を与えてやろうではないか!!」


 賛成多数、反対極少数でその惨劇は可決された。

 レオニード伯、及びその部下にとってアールヴ人など奴隷でしかなく、殺人など動物の虐待程度の罪悪感しか持たなかったのだ。

 彼らの憎悪で矜持を傷つけられた、つまりはその点において人間扱いしているにもかかわらず、その程度の罪悪しか感じなかったのだ

 同じスヴァルト人である騎士セルゲイが嘆いた、スヴァルト貴族の腐敗、その権化がそこにあった。


「焼き尽くせ!!」


 冷酷な号令が下される、そしてライプツィヒ市は炎に包まれた。

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