第65話 今度はもう、逃げられない

リューネブルク市・司教府・コンクラーヴェ会場―――


 その男の人生は、バルムンク総統リヒテルと似ていた。ファーヴニルの長の子息であり、十年前の反乱で父親を失った。

 彼の故郷、ライプツィヒ市を支配下においた貴族はリューリク公家に末席に連なるも、当主であるウラジミール公に認められず悲嘆しており、腹いせととばかりに弾圧を繰り返した。

 母親は彼を庇って殺され、妻は慰み者とされ狂死し、幼い息子は気づいたときには首を狩られていた。

 幾度となく起こした反乱は、幾度かは本部たる司教府に迫ったが、首都からリューリク公家の援軍が駆け付けるとなすすべもなく壊滅し、もはや彼以外、ファーヴニル組織、ロスヴァイセの幹部はいなくなった。

 しかし、幹部が死んでも構成員はいっこうに減らない。家族を失い、職を失って生活の糧を失った者達が続々と入団してくるのだ。

 彼らにあるのは復讐ではない、ただの惰性だ。ただ見込みのない反乱を計画し、予定調和のように蹂躙される。

 弾圧するスヴァルトは反乱が起きると、「狩りの季節」が来た、とその徒労ぶりを嘲る。

 しかし、そんな日々も終わりが来た。偉大なるファーヴニルの指導者、リヒテル・ヴォルテールの台頭、救いの主は十年ごしにやってきた。

 彼らはもう死を覚悟している。徒労と惰性ばかりの人生に耐え切れなかった。そこに例えば傭兵隊長マリーシアやヨーゼフ大司教のような打算はない。

 勝てそうだから戦うのではなく、もはやその道しかないから戦う。

 目に映るのは敗れたにもかかわらず、全てから解放されてような穏やかな死に顔を見せた仲間達、蹂躙されることしか知らない、悲しき者達。

 その姿が未来の自分に見える恐怖、それが彼らを突き動かす。狂ってしまう前に、正気でいられるうちに、何か成したい、と……。

 その苛酷な日々、それでも故郷を捨てられなかった男が今、ここにいた。


「私の名前はイグナーツ・ゲルラッハ。ライプツィヒ市の裏街を治めるファーヴニル組織、「ロスヴァイセ」の頭領です」


 ゆっくりとイグナーツは席から立ち、会場の中心、バルムンク幹部が座る上座の手前に向かう。

 彼は未だ二十代半ば、その容姿はリヒテルに少し似ていた。同じ金髪、碧眼の瞳、ただ髪はリヒテルと違って長髪ではなく、うなじのあたりで短く切り揃えており、また茶色が混じっていた。


「リヒテル総統の親類か……」


 誰かがイグナーツをそう呼称した。

 彼はついに中心に立ち徐に膝につくと、頭を床にこすりつけた


「リヒテル総統、私は貴方様に仕えるためにここに来ました。どうかこの願いをお聞きとげください」

「頭を上げろ、イグナーツ。ここに集いし者は皆、平等だ。貴族も奴隷もない、皆、平民なのだ。お前は貴族主義のスヴァルトを辛抱しているのか、違うと言うのならば立ち上がれ、同じ目線で話し合おうか」

「はっ、かしこまりました」


 イグナーツが法悦の表情を浮かべる。彼が感激したのはリヒテルの言葉だけではない、リヒテルは同じ目線と言った、その言葉を実証するかのように上座から降りてきたのだ。

 それにヴァンが続こうとする、だがエルンスト老に抑えられた。

 今、この瞬間、この場にはリヒテルとイグナーツしかいない。


「いろいろと調べさせてもらった、お前の境遇も、お前の不幸も、そしてあえて聞く。私宛によこしたあの手紙……あれは真実か?」

「勿論です」


 イグナーツが自信に満ちた表情で頷く。感情過多のきらいがある彼だが、その内容を聞けば、今回は当然との評価を多くの者が下したことだろう。


「ライプツィヒ市の住民の心は私のそれと同じ、此度の戦い……ウラジミール公を殺せます」


*****


「なんだと……」

「簡単に言っていいのか」

「本当かよ、嘘だったらタダじゃおかねえぞ」

「静まれ!!」


 リヒテルの一喝で場は治まった。しかし、会場の人間は皆、不審そうな目をイグナーツに注いでいる。

 当たり前だ、今回の戦い、司令官たるウラジミール公を倒せば戦争は勝ったも同然、残された貴族達は次代のウラジミール公を選別するために味方同士で殺し合いを始める。

 バルムンクなど、本当の敵を気にかける余裕などなくなるだろう、しかしそれは相手も分かっている。

 鉄壁の警護、ウラジミール公は軍勢の中心に置かれるだろうし、それを掻い潜っても、最後の壁たる「親衛騎士団」が存在している。

 千名程度の軍勢だが、精鋭ぞろいで、かつウラジミール公に絶対の忠誠を誓っている。公が死ねと言えば、それがどんな理不尽な理由でも死ぬ。その顔に喜びを見せて……。


「ライプツィヒ市が補給基地になるのは知っている。だが、逆に言えばそれだけでしかない。補給基地が一つとは限らないし、またスヴァルトもライプツィヒ市の住民が恨みを持っているのは分かっているはずだ。恐らく警備は厳重で、反乱どころか、外を出ることすら叶うまい」

「ええ、そうです。外を出ることすら叶わないでしょう。ですが、それ以外は比較的自由です」

「それはそうだが……」

「今、私達が住んでいるのはかつて、十年以上前はスラムと呼ばれていた場所です。本来、住んでいた居住区は十年間、手入れをロクにされずもう再建はできない、物も、何より人がいない、死んでいった一万の住民は帰っては来ない。私達は生まれ変わりたいのです。一度、灰になるしか他に方法がない」

「まさか……」

「十年かかりました、初めは私一人でしたが、今は皆が手伝ってくれます。仕掛けを動かせば街は火の海、守備隊は全滅です、スヴァルトの軍に大穴を開けれます。後は下水道に潜んでいた私達が斬りこみ、混乱に乗じてウラジミール公の首を取るだけです」

「……街ごと焼き尽くすというのか、女子供も、何よりその策を知らない者もいるだろう。無関係な人間を巻き添えにするというのか?」


 スヴァルトとて馬鹿ではない。街ぐるみの陰謀などすぐに察知するだろう。関わる人間が多いほど、秘密は露見しやすくなるからだ。

 つまりこの策は秘密を守るために少人数で行うしかない。それは無関係の人間を大勢、巻き込むことでもあった。


「戦闘時は反乱を警戒したスヴァルトによって住民はスラムに集められます。被害は最小で済むでしょう。それでも巻き込まれる者は出るでしょうが……それは諦めます」

「綺麗ごとでは何もできぬか……お前の策は採用する価値があるな、こちらからも援軍を派遣しよう」

「ありがとうございます。では、その人選に少し、お願いがありまして……」

「できる限りは考慮しよう」

「では、死術士ヴァン……彼を貸して欲しいのです」

「何……?」


 リヒテルが思わず、背後を振り返った、そこには十年間、彼に仕えた忠臣がいた。

 死術士ヴァン、その能力は優秀だ。十代半ばという最年少でありながら、白兵戦に秀で、頭も切れる。

 出自を気にしすぎるきらいがあり、他の構成員と友好関係を気づこうとしないために、頭に据えるには問題がある人物だが、事、参謀としてはバルムンクとして五本の指に入る。

 精鋭ぞろいのスヴァルト、正面から打ち破ったのは総統リヒテルを除けば、ヴァンとブリギッテの二人しかいない、その片割れだ。

 しかし彼は仇敵スヴァルトとの混血であり、その出自により反スヴァルトを標榜するバルムンクでは浮いた存在でもある。

 味方に殺されてもおかしくはない人物なのだ。そしてそのことを受け入れてもいる。

 イグナーツの求めを聞いても、ヴァンは平静を保っていた。


「理由を聞こうか……」

「彼の死術士は死体を兵士に変える術があると聞きます。死んでいった仲間を軍に加えたいのです。志半ばで散っていった彼らの無念を晴らしてやりたいのです。せめて……形だけでも」

「死んだ者は何も思わないがな……いいだろう、ヴァンを援軍に加えよう」

「ありがとうございます」

「ヴァン……今回の戦いはお前にとって、見知らぬ者と肩を並べることになるが、構わないな」

「そこは命令してください、総統リヒテル。ご下命、承りました」


 この瞬間ヴァンの中で、自身の最期が決定した。アールヴ人の敵、虐殺魔、ウラジミール公と差し違えるなど、最高の栄誉ではないか。

 ヴァンは戦争の後、バルムンクにとって、混血である自分が必ず邪魔となると考えていた。

 外にスヴァルトと言う巨大な敵を見据えるアールヴの楽園。なればこそ異端である混血は邪魔なのだ。

 しかし追放するにはヴァンは組織の内情を知り過ぎた。もう殺すしかない。裏切り者と同じくらい、有害な味方は危険だ。それに比べれば……戦死など慈悲に等しい。


「ご下命、承りました。必ずや、ウラジミール公の首級をあげましょう、この命を代価に……」

「よし、これで全ての人間が発言を終えたな。裁決を始めよう」


 リヒテルはヴァンの覚悟に気付かない。リヒテルはいつも前を、上ばかりを見てきたのだ。翼持つ獅子は地上の雑務に囚われない。

 しかし、多くの人間は地上にいるのだった。それを彼はグスタフ程には理解してはいなかった。


「裁決はお待ちください。まだ、わしが発言していませんぞ」


 会場にて、未だ発言をしていない唯一の人物、グレゴール司祭長が挙手していた。リヒテルは迂闊にも舌打ちする。


*****


「今更何の用だ、グレゴール。既に大勢は決した。もう反対の声を上げても誰も聞かぬ」

「何をおっしゃるのですか……わしとてアールヴ人、スヴァルト選民主義には常に憂いておりました。開戦には賛成です。侵略者スヴァルトを撃ち滅ぼしましょう」

「散々、スヴァルトと繋がり利益を上げておきながらよくも抜け抜けと……」

「ですが、話を聞くだけならばタダではないかと、何、時間は取らせません」

「……いいだろう」


 リヒテルは、強硬裁決に持ち込みましょう、と目線で訴えるヴァンをやんわりと退け、グレゴール司祭長に発言の許可を与えた。

 ヴァンはリヒテル程、組織運営には秀でていないし、長期的な視野も持っていない。故に分からないのだ。

 リヒテルは既に開戦が可決されることを周知の事実として認識している。彼が望むのは次の段階だ。

 いかに三分の二の票を得て可決されたとしても残りの三分の一、軍勢の三分の一が反対、つまり嫌々、戦場に行くことになっては意味がない。

 皆が納得し、一致団結してスヴァルトと挑む。その体勢がなくては精鋭ぞろいのスヴァルトには勝てない。

 少しの不信があってもいけないのだ。ここで全て吐き出させなければいけない。

 コンクラーヴェ開始前、リヒテルはグレゴール司祭長を軽視する発言をしたが、その内実、言葉ほどに彼を侮ってはいなかった。


「まずは、その前にヨーゼフ先輩、いや、ヨーゼフ大司教。貴方はこの戦いの前にも何度か各地に反スヴァルトの書状を送りましたね、勿論、ライプツィヒ市にも」

「ええ、勿論よ。スヴァルトに反感を持っているのは貴方だけじゃない、それを知って欲しかったのよ」


 さりげなく、ヨーゼフとの関係をほのめかすグレゴール司祭長、しかしヨーゼフ大司教とて簡単に乗るほど愚かではない。

 貴方は一人じゃないと教えたかった、と綺麗ごとでごまかし、煙に巻こうとする。

 グレゴールの真意は分からない。だが、今の何の後ろ盾もないグレゴール司祭長がヨーゼフを利用することなど不可能だった。

 なればこそ、彼が狙う標的は別にいる。


「それに対し、スヴァルトは反乱を起こせば虐殺すると公言し、実際、そのような方法で各地の反乱は鎮圧されてしまいました。まあ、中には穏健派を気取って反乱を鎮圧できなかったミハエル伯爵のような間抜けもいますが……」

「老人の悪い癖だ。話が長すぎるぞ、グレゴール。用件だけを言え」


 リヒテルがわざと苛立った姿勢を見せ、グレゴールを嗜める。グレゴールはこれは失礼と……形ばかりの謝罪をした。


「つまりは、スヴァルト側が反乱に対し、対応を変えたということです。このような……書状が出回っています」

「苛酷な統治を緩めるとか……」

「それをしたミハエル伯爵はバルムンクの蜂起を許して死んだぞ」

「では、さらに厳しく……」

「それをしたボリス侯爵は各地の反乱に戦力を分散させられて自害する羽目になった」

「スヴァルトとて先任者の失敗を繰り返す程馬鹿ではない」


 会場が騒がしくなった。リヒテルはあえてそれを抑えようとはしない。今、力づくで抑えれば、疑問を抱えたままで戦場に向かうことになる。

 恐ろしいことに、彼の老人は口先だけで会場の全員を翻弄していた。だが、それすらも序の口でしかなかったのだ。

 次に放たれた言葉が、会場を混迷に落とし込む。


「書状の内容は総統リヒテルを称える内容です。始祖シグルズの生まれ変わり、一人で万の軍勢をなぎ倒す勇者。天上の英知……これを見た民衆は反乱を見送りました」

「なっ……!!」

「説明を求める……説明しろ、司祭長!!」


 会場の空気が一瞬で入れ替わる。不信と疑念、少しの衝撃で砕け散る古びた城壁のような脆さ。対ウラジミール公の戦略を話し合うコンクラーヴェはその隠された脆弱さをさらけ出したのだ。

 ちなみにスヴァルトの新たな対応というのは嘘だ。書状を送ったのはグレゴールであり、その期間から書状が届いていない地方が大半だ。

 しかし、リヒテルを称える書状が届いた地域で反乱が沈静化されたのは事実。民衆は、バルムンクを見限ったのか。そうではなかった。


「よいですかな、民衆というのはしたたかですが、同時に臆病でもあります。反乱を起こすとは他者を巻きこむということ。スヴァルトとの戦いで見知った顔が死ぬのです。自らの決断のせいで……その責を背負える人間がどれだけいます? リヒテル、つまりはバルムンク連合軍だけでウラジミール公に勝てるのならばそんな責任を背負う必要はないでしょう」

「あいつらは、俺達に危険を押し付けて!!」

「いいではないですか、私達は選ばれた勇者なのです、死ねばヴァルハラに行けますよ。民衆は臆病です。自分のせいで犠牲を作りたくはない。ならば、私達が最初の犠牲に、いや、唯一の犠牲になるのです」

「……」

「ご安心ください、私達がいなくなっても民衆は困りません。私達の犠牲に感謝し、あるいは忘れ、幸せに生きることでしょう!!」


 ファーヴニルはそもそも無頼漢であり、盗賊であり、社会の外縁に生きる存在だ。そんな彼らが崇めたてられた背景はひとえにスヴァルトの侵略がある。

 官軍たる神官兵は役に立たない、ならばまだマシな武力を持つファーヴニルに期待を寄せたのだ。しかしもし仮にスヴァルトが惨敗し、ルーシ地方に追い払われれば、もはやファーヴニルを崇める必要はない。

 盗賊なぞと一緒に生活はできないのだ、感謝はしつつも民衆は彼らが再び社会の外縁に帰ることを願うだろう。


「これで、わしの話は終わりじゃ。裁決に移ろうかのう」


 簡単に砕け散った彼らの統率を横目にして、慇懃に、しかし内心、勝ち誇りながらグレゴールは着席した。

 対して、リヒテルは顔を俯かせ、その表情は誰にも伺えない。とぼとぼと檀上をあがり、上座に戻る。

 何もできなかった、積み上げてきた者がグレゴールの一言で崩された敗者。完全な……敗者の姿であった。


*****


 投票が始まる。だがそれはグレゴール司祭長にとってはあらかじめ決められた儀式以外の何物でもない。

 投票に向かうファーヴニル幹部らの顔は一応に民衆に対する不信や苛立ちで醜く歪んでいた。

 自分達を便利な道具と考えている民衆、犠牲を厭い、しかしスヴァルト打倒という利益だけを享受したい民衆、そんな彼らのために命を懸ける程、ファーヴニルは愚昧ではない。

 数百年の平和の中、多数派たるアールヴ人の民衆は堕落した。だから人口比で五分の一もいないスヴァルトに倒されるのだ。


(愚かな、リヒテルめ。所詮は若造よ。お前は人を信じすぎる)


 結果は見えている。反対多数ではない、賛成と反対が少数、もっとも多い回答は無回答。ファーヴニルとて人間だ。責を負いたくないのだ、まとめられなかったコンクラーヴェの後ならば尚更である。

 責任者不在で、つまりは文官の長たるグレゴールが頂点に立つことができる。外様のファーヴニルにリューネブルク市は統治できない。ブルギッテ竜司祭長は日和見。そしてリヒテルは惨敗。

 グレゴールは非常に気分が良かった。だからこそ、長年、手足のように使い、同時に虐げてきた少女奴隷であるアマーリアに情けをかけたくなった。


「コンクラーヴェが終われば、恐らくわしが司教代行としてこのリューネブルク市を統治することだろう。その暁にはお主に良縁を紹介してやろう、大商人の妾でも神官の妾でも、少しランクを落とせば正妻を狙えるかもしれぬ。どうじゃ?」

「そんな……私のような人間にそのような配慮、恐縮です。ですがそれでしたらもっと他の事を頼んでもいいでしょうか」

「なんじゃ、今のわしならば大概の事は叶えてやるぞ。わしに仕え続ける選択肢意外ならばな」


 アマーリアの願い、大概の事は叶える気ではあった。欲望は理性を支える柱であるとグレゴールは考えている。

 何も求めず、何も目指さない人間はもはや正常な精神の持ち主ではない。そんな人間は恐ろしい、何もない人間ほど恐ろしいものはないのだ。

 その状態にアマーリアは限りなく近づいている。


「司祭長様が頂点に立てば恐らくヴァンさんが邪魔になりましょう」

「ヴァン……あのリヒテルの側近じゃな。確かにリヒテルに忠誠を誓った人間は排除せねばなるまい」

「はい、ですから排除する時に私も一緒に処分してください」

「それは一緒に死ぬということかのう……」

「はい……一人はさびしいですから」


 アマーリアはまるで太陽のように輝かしい笑顔を浮かべていた。しかし、グレゴールはその笑顔に言い知れぬ恐怖を感じ、目を背ける。

 会話を強引に断ち切った彼はコンクラーヴェ終了後、即座にアマーリアを抹殺することを心に誓った。

 もうアマーリアのことは考えたくはない、故に会場の中央に置かれた投票箱に目線を戻した。いつのまにか投票は終わっていた。開票ももう間もなく終わるのだろう。

 開票しているヴァンの表情が硬い、予想外、あるいは予想通りの結果が出たとグレゴールは確信した。


(まったく、余計なことをしなければ長生きできたというのに、リヒテルといい、若者というのは本当に愚かでしかないのう。お前らはわしのような老人の言うことを聞いていれば良いのじゃ。理不尽な命令にもハイ、ハイ、とうなずき、金を出せと言えば、喜んで差出し、そして奉仕できることに感謝する。それが本来の姿じゃ)


 勝利を確信したグレゴール司祭長はその好々爺とした風貌から醜悪な本心が漏れ始めていた。

 それはその老人の真実の姿。他人を虐げ、しかしみずからは動かず、利益だけは吸い上げる。このグラオヴァルト法国を統治していた腐敗神官の権化。

 それはスヴァルトの反乱でも表にでず、しかし今、その姿を晒そうとしていた。


「開票を終了します!!」


 ヴァンの宣言が、終焉を示していた。


(しかし、アールヴ人は自由の民じゃ。わしが死んだ後は自由にするがいい。自分よりも若い人間を搾取する。それで帳尻は合うじゃろう。じゃがわしが生きている間は駄目じゃ。なにせわしは……何をしても許される身分じゃからな!!)



賛成 128 反対 1



「リヒテル総統を総指令官とした遠征は可決されました!!」


 その瞬間、グレゴールは自分が何を見ているか理解できなかった。彼の予想では遠征は大量の無回答により、否決されるはずであったのである。

 それが可決。イカサマか、不正か……自身がそうであったように汚い手段で投票結果をごまかしたのか。

 幾通りの不正手段、そしてその不正を看破する方法、必死に考える彼を嘲笑うようにコロコロと笑う、上品な声がかけられる。


「最初にして唯一の犠牲、貴方が言っていた事じゃない。そうなるために皆、集まったんだから……まあ、これだけ人数がいるとそうでない人も少なからずいるでしょうけど、そんな野暮は言う必要ないわね」

「よ、ヨーゼフ先輩」

「なあに、グレゴール後輩?」


 ヨーゼフ大司教の上品な笑いに彼女の言わんとすることを察し、グレゴールは追いつめられたネズミのように周囲を見渡し、会場の顔を見渡す。

 百人以上の人間が同じ意見を選ぶはずがない。これは仕組まれている。

 びっくりしているブリギッテ竜司祭長、興味なさげなテレーゼ。そして恐らくはヴァン。この三人は今回の事態を知らない。

 他にも知らなかった人間はいる。しかし、全体の半数。いや、可決に必要な三分の二、九十名は口裏を合わせたことだろう。

 九十名が知り、一人、グレゴールだけが知らない。そんなことはあり得ない。秘密は人数が増える程露見しやすくなる。

 人間は皆、考え方も主義主張も能力も違う。これだけの人数がいれば必ずヘマをする人間は出て来るはず……そんな疑問に対峙するリヒテルが簡潔に答えた。


「グレゴール……何のためにお前をコンクラーヴェ当日まで牢に隔離したと思う」

「ぐっ、リヒテル……」

「誰もが知っているのではない、牢に隔離されていたお前だけが知らないのだ」


 リヒテルが他者を平伏させるほどの威厳を発していた。その王者の覇気というものに押され、グレゴールがよろめく。

 先の打ちひしがれた姿は全て演技、グレゴールは自身がリヒテルにとって、相手にする価値もないちっぽけな存在であると自覚した。


「今回、お前はコンクラーヴェをかく乱するために相当な無茶をしたな。実務をアマーリアだけに任せたこともそうだが、隠蔽工作も地下牢の中ではうまく行えまい」

「……」

「お前の罪は全て白日のものとなった。どうやって誤魔化す、それとも他人に罪を被せるのか。どちらにせよ手遅れだ」


 冷然と、リヒテルは死刑判決を下した。


「今度はもう……逃げられない!!」

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