第六章 それぞれの決戦前夜

第55話 裏切り者は誰であろうとも処罰しなくてはならない

リューネブルク市・スラム街・東門―――


「よくもまあ、人相の悪い者ばかり……名うての悪党ばかり集まったな」


 リューネブルク市東門、先の戦いでスヴァルトの潜入を許した曰くつきの門の頂上に、バルムンク〈頭領〉、リヒテルが立っていた。

 その下には門を抜けようとする人々が並んでいる。商人の類ではない。いずれも法の外に生きるゴロツキ達だ。それもケチなコソ泥ではなく、数十から、数百人単位で構成されるファーヴニルの一族。

 そもそも、ファーヴニルとはある一定地域の裏街を支配する無頼漢達の事であり、その名は一種の称号だ。だからその内訳も様々で、盗賊や傭兵、武装商人や官吏崩れ等、共通するのは暴力を生業とすることぐらいだ。

 本来ならば一般民衆に忌み嫌われる彼らだったが、スヴァルトの反乱と支配、人種差別が進むにつれ、屈服した官を見限った民衆が彼らファーヴニルに希望を見出し、彼らを称え始めたのが全ての始まり。

 しょせんは、盗賊が見た儚き夢。嫌われ者が願った、人々に好かれるという奇跡。しかしその夢は正夢となりつつあった。リヒテル・ヴォルテールと言う一人の梟雄によって。


「……やはり、強引に呼びつけたのは問題があったのではないか。いずれもお主よりも年嵩で、武勇はともかく、経験では比べ物にならぬ豪傑どもだ。もう少し、謙虚に……」

「エルンスト老……助言はありがたいのですが、相手はウラジミール公。馴れ合い所帯では勝てる相手ではありません。私は、自分が生まれるより前から剣を握ってきた彼らに首輪を嵌める。嵌めて御さなければならないのです」

「犬のように扱うと言うのか。しかし……」

「できなければ、スヴァルトの討伐軍に勝てない。負ければ私の破滅。そしてそれは我らアールヴ人の破滅と同義だ」

「……」


 リヒテルは自身の破滅を、アールヴという一つの人種の盛衰と同一視した。そのあまりにも傲慢な言い草に、しかしエルンスト老は咎め損ねる。

 リヒテルより放たれる気迫。普通のファーヴニルならば息を吸うのさえ困難となるであろう空気を、凄みを帯びていた。

 ヒルデスハイムにいたエルンスト老はリューネブルク市がゴルドゥノーフ騎士団に襲撃された詳しい内容を知らない。聞いたのはただ一言。

 リヒテルの姉、アーデルハイドが死んだ。

 何があったのか、何がリヒテルを変えたのか、憶測でしか予測できない。だが、一つだけ確信した。

 リヒテルは変わったのだ。謙虚で、他人のことばかり考えていた男は、今や、一人の王となった。望むのは国民の幸せ。そのためにはどのような手段も取ろう。大空を翔る翼持つ獅子は地上の雑務に囚われない。


「ならば、何も言うまい。お主は存分にわしを使え。犬にもなろう、売女のような真似も強いられても逆らうまい。じゃから、必ず生き延びろ。わしの息子達の代わりに……」


 スヴァルトの策謀にて〈息子達〉を失った老人はリヒテルにその殺された息子達を重ねていた。

子供は親の慰みだ。最も明確な自身の生きた証。紡がれる血の絆は未来よりも過去が遥かに長いであろう老人の最期の救いなのだ。


「感謝する……」


 短く返答したリヒテルの横顔をエルンスト老は、老ファーヴニルは眩しそうに見やる。ウラジミール公の譲位宣言、並びにバルムンク討伐の親征の報が伝わって一週間、予想では一月後に討伐軍は編成を終え、エルベ河、バルムンクの国境に到達する。

 報告を受けたバルムンク幹部はまるで塩の柱にでもなったように硬直した。その中にあって、リヒテルの平常のままだったのだ。

 彼は一言、幹部に告げた。


「兵を集めよ……」


 檄を飛ばしたのは各地のファーヴニル組織、職を失った傭兵団、搾取された大商会。いずれもスヴァルトに弾圧され、仲間の無惨な最期に涙を流した男達……

 復讐の時は来た。弱い者が弱いままでいるとは限らない。傲慢なるスヴァルトに一矢を報いる瞬間。だが士気は高くとも雑多な彼らをまとめるのは容易ではない。

 彼らをまとめ、一つの軍隊に変えることができるのか、それはリヒテルの手腕にかかっている。

 王が真か偽か……選定の剣は目の前の台座に突き刺さったままだった。


*****


リューネブルク市・司教府―――


「目が見えない……やはり、死術の副作用ですか?」

「君はこの前の戦いで死術を使ってないじゃないか。ただの過労だよ……目が充血を通りこしてどす黒く染まっている。一週間は休みなさい」

「そんなには休めませんよ。貴方は死術士でしょう、何か方法はないのですか」

「君も死術士じゃないか」


 リヒテルがスラムの東門にいた頃、彼の側近たる死術士ヴァンが、同じ死術士にして、医者でもあるツェツィーリエ、彼女の診察を受けていた。

 彼女は気狂いだ。死術の研究のために、いくらでも他者を犠牲にし、アーデルハイドの死にも間接的とはいえ、かかわっている。

 伝承にある、家が火事になった時、家族が焼け死ぬ光景を絵に描いた狂気の画家。それと同種の人間だ。

 だが、相対するヴァンはそんな彼女に見習うべきところがあると考え、親交を結ぶことにした。彼は敬愛するリヒテルの、王の汚れ役である。

 その職務故に、王以上の冷徹さが求められる。狂っているが故に、強靭で、何にもとらわれないツェツィーリエの精神はある意味、理想の姿なのだ。


「あの影の力、検体が欲しいと言ってましたね。私がその検体になりましょう。私を疲労など感じない体に変えてください」

「本気かな……君は灰になったアーデルハイドの最期を見ていたはずだが……同じ最期を迎えたいのかな?」

「スヴァルトとの決戦を前にそんな甘いことはいっていられない」


 ツェツィーリエは少し考えこんだ後、やんわりとヴァンの訴えを退けた。


「君を実験に使うのは構わないのだけど、唯一の死術士の検体、失敗したら代わりがない。それにだ……もしまかり間違って君が死んだら、僕はテレーゼ姫に殺されてしまう。彼女の性格は知っているだろう。例え、あのリヒテルが止めても聞いてくれるような人じゃない」

「それならば、問題はありません。もう、私はテレーゼお嬢様と会うことはないでしょう。戦争前に疎開させます。抜け殻となった身では自衛すらできない」

「あらら、まだ魂が抜けたままなのか」


 アーデルハイドの死後、娘であるテレーゼはまるで抜け殻のようになってしまった。一時は歩行すら困難になり、日がな焦点の合わない目で壁を眺めているばかりだ。

 食事も睡眠も、促さなければ自主的に行おうとはせずに、大麻中毒者末期の廃人とどちらがマシかというぐらいである。

 その悲しみが母の死が原因であることは明白だったが、それだけではないとヴァンは感じていた。感じていたのだが、それ以上のことは分からない。彼は憶測すらできなかったのだ。


「抜け殻の状態は洗脳に便利なんだけどな。忠告するけど、これは荒療治が必要だよ。無理矢理にでも彼女に目的を与え、導くのだ。悪い人に騙される前に……聞きたいか、その方法?」

「聞くだけならば、タダですね」


 どこか投げやりな風でヴァンが応える。彼は件の狂人を、その精神力と死術に対する知識以外でまったく評価していなかった。

 それどころか、戦争が終わった後に始末しようとまで考えている。それだけこの女は〈いけ好かない〉。しかし当の本人はヴァンの心内を知ってか知らずか満面の笑みで先を続けた。


「彼女を押し倒してしまうんだ。夜這いでもいい」

「私に死ねと……?」

「大丈夫、大丈夫。他の人間ならば全殺しにされるだろうけど、幼馴染である君ならば半、いや、七割殺しくらいで済ませてくれるよ。後は命令にするにしろ、お願いするにせよ、彼女は、心の大部分を占めた君の言うことを聞く」

「全く理解できない。頭が腐っているのではないのですか」

「効果的な方法だと思うよ。人には依り所が必要だ。それがどんな形であれ……ああ、面倒臭くなってきた。もういいや、それよりも実験に使う人間をもっと回してくれないか」

「結局はそれですか……ゴルドゥノーフ騎士団の捕虜を数十人程、送ったはずでは……」

「もう、壊しちゃったよ。もしかすると、体質的にスヴァルトは死術に耐性がないのかな」


 港を襲撃したスヴァルトの多くは戦死したが、怪我なので身動きが取れなくなった者もまた存在する。彼らは見せしめに公開処刑される数名を除き、多くはツェツィーリエの死術の実験に使われた。

 どんな扱いをされたのか、知りたくもないが、犠牲者の追加分の当てはある。つまりは、殺しても良心が一摘みの塩程も痛まない連中。つまりは捕えられた、グレゴール司祭長ら腐敗神官達だ。


「それでは、神官達を送りましょう。遠慮はいりません、全て殺処分してください」

「おお、珍しく、過激だなあ……君はバルムンク内では良識派ではないのかな」

「テレーゼお嬢様に、二度も冤罪をかけた彼らに同情の余地はありません。因果応報、罪には罰を、自分が行ったことに責任を取ってもらいましょうか」

「相変わらずの贔屓か……しかし、変だな。捕えた神官達を丁重に扱うように副、いやリヒテル頭領から命令が来ているよ」

「リヒテル様から、そんなはずは……」


 ヴァンは首を傾げた。穏健派のアーデルハイドとは違い、強硬派のリヒテルはスヴァルトやそれに与する腐敗神官達に一切の情けをかけない。バルムンクの支配体制を新たに構築する以上、彼らの協力は必要ないし、むしろ日和見主義の彼らを生かしておくだけ危険な位だ。


「十六、七くらいの、顔に包帯を巻いた女の司祭が教えてくれたよ。ほら、そこに命令書が……」


 死術にしか興味がない彼女にしては以外にも、丁寧に保管されていた書類の束をヴァンは見る。確かにリヒテルの署名が書いてある命令書であった。しかし……


(偽造か……)


 形式はあっている。だが、細部、何よりも判の意匠が微妙に違っているのだ。ただし、素人に見破ることはまず不可能。書いてあることは丁重に扱えというだけであり、別段、おかしなことが書いてあること訳ではないから疑問に思われることはない。

 しかし、これは腐敗神官が良く使う、重ね合わせと呼ばれる詐術なのだ。

 嘘を信じ込ませる有効な方法は、多くの真実の中に一つだけ嘘を混ぜ込む方法だ。全てが嘘ではすぐにばれてしまう。

 例えば殺人罪。アリバイも、凶器もない。まったく無関係の他人でも、そこに被害者に恨みを抱いていた、と言う嘘を混ぜれば、その他人も途端に怪しくなってくる。

 神官らは数多の正規の書類の中に一枚の違法を紛れ込ませることで私腹を肥やしてきた。

 金貨百枚の租税、全てが神官の懐に入れば疑われるが、少しだけその徴税に関わり、一割だけ掠め取れば、そんなものかと多くの人間が納得する。

 その一割が、いつの間にか二割、三割、となってくるのだが、ともかく腐敗神官らには一切の妥協は許すべきではない。


「感謝します、これを作成した腐敗神官には厳罰を科すべきでしょう。いや、泳がせて恐らくは作成を命じたであろう、グレゴール司祭長を断罪するべきか……まったく、牢にぶち込まれてもあの老人は……」

「まあ、グレゴールだし……えっと、作成した神官の名前は……あ、侍祭なんだ、司祭かと思っていたけど、神官の服装って分かりにくいから……」


 軽口を叩きつつ、ツェツィーリエが書類を読み上げる。ヴァンが厳罰を科すべき神官、その名前は……。


「作成した神官は、侍祭、アマーリア・オルロフ。あれ、この人確か、君の愛人じゃなかったけ……おいおい、自分の女の動きくらい把握しておけよ」

「愛人と言うのは私を利用するための方便ですよ。実際はそんな関係ではありません。そうか……結局は古巣であるグレゴール司祭長についたのか」


 ヴァンは顔には出さなかったが、失望と言う名の毒が心を犯していくのを自覚していた。アマーリアは元々、グレゴール司祭長の少女奴隷。しかし、理不尽な理由で捨てられ、ヴァンが半ば保護する形となった。

 ヴァンはスヴァルト、侵略者との混血、そしてアマーリアもまた同じ混血である。その生まれながらに虐げられる立場に耐え切れなかったヴァンは、外法使いたる死術士となり、人の道から外れた。

 しかしそれとは逆に、アマーリアはひたすら拾われた神官らに奉仕することで自らの立場を確保しようとした。ヴァンが選ばなかった道を行く彼女を、ヴァンはガラになく贔屓していた。

 彼女は自分よりも強い人間だ。少なくとも人の道より外れた自分よりも……ならば幸せになるべきなのだ。そうなって欲しい。そうでないのならば、混血という名の存在はどのようなことをしても許されないということではないか。

 だが結局のところ、やはり、アマーリアは半分とは言え蛮族だったようだ、スヴァルトの血を引く者。ヴァンが属するバルムンクというアールヴを解放する組織とは相いれない。

 ヴァンは思う。権力を与えてはいけない人間に与えてしまったのだろう、と。


「殺すのかな……」

「殺すさ。裏切り者は誰であろうとも……処罰しなくてはならない。特別扱いはできない」

「なるほど、平等に扱うと言うのか。立派、立派。君は正しく、リヒテルの勲功を受けた弟子だね。十年も経てば、彼のようになれるよ」


 ツェツィーリエの声には皮肉の成分が混じっていたが、ヴァンは気づかぬふりをした。彼にはやらなければならないことが山程ある。

 死術士の世迷言に付き合う暇などない。


「私は永遠に未熟者です。それに……十年後に生きているかも怪しい」


 そう言うと、ヴァンはゆっくりと立ち上がって、部屋から出ていった。目の異常が過労と分かった今、長居は無用だ。

 少し、仮眠を取れば治ることだろう。


*****


「行ったか……まったく、バルムンクの連中は狂人揃いだ」


 ヘラヘラと笑い、ツェツィーリエはヴァンに見せた書類をたたんで戸棚にしまうと、奥の部屋に向かった。

 そこには彼女の患者がいる。


「ご機嫌は如何かな?」

「……」


 奥の部屋では、壁に背をつけて、赤毛の男が蹲っていた。服や肌にはほこりと汚れがこびりつき、その体からはすえた匂いがする。

 だが、嗅覚が半ば麻痺している彼女からすれば、何のことはない。

 それよりも、彼の存在そのものが彼女にとっては素晴らしい検体であった。

 なにせ、一度、不死の兵士となった後、再び自我が戻ったという事例はない。扱い次第で有益な情報が取れることだろう。


「せ、先生……俺は地獄に来ちまったのか。周りが全て泥みたいに見えるんだ。歩いている奴らもみんな死体見てえな気持ち悪い奴らでよ。そいつらが人間みたいな声を出すんだ」

「そうか……聴覚だけは元に戻ったのか。なるほど、なるほど」


 男は自我を取り戻した、しかし、感覚が元通りにならなかったのだ。聴覚だけは元通り、しかし他の五感は狂ったままだった。

 そしてツェツィーリエは男の訴えに耳を貸しているように見えて、彼の悲劇に毛筋ほども同情していない。

 実験用のネズミが籠の中を動き回っているのを見るような、そんな相対する者を人間とは思っていない、そんな冷たい視線を向ける。

 男は元来、粗暴であった。彼女の無礼に感じない程、鈍感でもなかった。本来ならば殴りかかっていても不思議ではないのだが……しかし、今はまるで母親のように慕っていた。

 それもそのはず……この泥と死体ばかりの世界、彼の視覚では、〈唯一の〉人間であったからだ。


「屍兵は、死術士以外の人間を見分けられない。不死兵は生きている人間を洗脳したものだけど、心臓に同じミストルティンを使う以上、同じ結果になっても不思議ではないか」

「俺……どうなるんだ」

「ふむ、下手に薬を使っても良くなる可能性は少ない。脳を切り開いていじくってもいいかな、しかし大事な唯一の検体をな……」


 ツェツィーリエは男を完全に無視した。と言うよりも聞こえていなかった。彼女は学者や研究者が時折あるように、己の目的に没頭している時にはその他のことに鈍感になる。

 見捨てられた形となった男は、ガックリと肩を落とし、しかしそれでも希望は捨てきれず、一言だけ口から吐き出した。


「一つだけ教えてくれ……俺を兄貴と言って襲い掛かる化け物らはなんなんだ?」


 男の名はアンゼルム・グルムバッハ。スヴァルトに故郷を滅ぼされ復讐を誓う、ファーヴニルであった。

 しかし、彼はハノーヴァー砦攻防戦で可愛がっていた同郷の舎弟を殺され、その悲しみに耐え兼ねて、ヴァンの死術でもって不死兵という化け物へと変わった。

 そして今、奇跡的に自我を回復したのだが、全てが元通りにはならなかったのだ。彼は世界を認識できず、人を人と認識することができない。

 彼の苦悩は続く、生きている限り、恐らくは永遠に……

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